2009年05月28日

ブログを移転いたしました

美粒ブログは移転いたしました。
移転先URLはこちら↓です。
http://www.memoriaaquae.com/blog/



nano3000xp at 20:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年02月23日

景気は気分である。政権交代こそ、最大の気分転換であり、景気対策である。

 商店街をぶらぶらすると、お惣菜屋があった。ニ三軒の間に、同じような店があった。つまり、お惣菜屋がニ三間はさんで、2軒あった。昼時だから、売っているものはほぼ同じである。コロッケや揚げ物、ごはんのおかずである。店の外層もそれほど、差はない。もちろん、味に大差などあるはずがない。しかし、人の出入りには、顕著な差があった。ひとつは、多くの人がいて、もう一つは、それほど人がいなかった。どうしてそれほど、差がつくのかな、と調べてみると、そこには、あきらかな違いがあった。あ、なるほど、商売とは、やはり、ここが基本であり、重要なんだと痛感させられた。当たり前のこと、しかし、その当たり前を人は忘れるものである。

 それは、活気である。ひとつは、普通におばちゃんがいて、お客さんと対応している。もう一つは、若い意気のいいお姉さんが、派手な割烹着を着て、元気良くお客と対応している。当然に、私に需要があれば、お金を出して、物を買おうとすれば、中味は同じ、値段も同じ、それなら、若くて意気のいいお姉さんの方へ行きたいと思うのが、当然だと自分でも思った。もしかしたら、綺麗なお姉さんの方がおいしいかなと思ったりもした。よく考えれば、タレントという家業も似たものかもしれない。タレントは、どこから、収入を得ているかといえば、スポンサーがいるからである。民放局がテレビ番組を作れるのは、スポンサーがいるからである。スポンサーの関心ごとは何かと言えば、スポンサーの商品がうれること、その為の広告宣伝である。スポンサーにとっては、多くの人に見てもらえる番組がいいのである。だれも、見てない番組にお金を出す人はいない。だから、視聴率が重要なのである。だから、視聴率の取れるタレントが強いのである。それによって、タレントの商品価値が決まる。つまり、人をどれだけひきつけられる能力があるか、それがすべてである。あるいみ、どれだけ多く人をひきつけられる人を、前線に布陣できるかで、商売はきまるといっても過言ではない。だから、若くて意気のいいお姉さん、それも、愛嬌があり、気さくに話しかけ、笑顔を絶やさない人、その人に商売が流れるのである。営業の基本は、体面商売である。車のディラー、化粧品、教材、生命保険等、商品は同じでも、売り上げは、ピンきりである。その差は一体なんであろう、芸能界のおばかキャラとおなじである。人をどれだけひきつけられるか、その能力である。おばかを演じるためのお勉強も必要なのである。
続きを読む

nano3000xp at 16:54|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2009年02月20日

完全に底割れした景気、消費型からリサイクル型(エコロジー型)へとCHANGEする。

 中川昭一前財務相の醜態による辞任、麻生内閣の低支持率、小泉元首相の衆議院再議決の際の欠席発言等、無茶苦茶な国会運営が続いている。連帯責任は、無責任といわんばかりに、民意と裏腹な政策を自民党は、繰り返している。最後の断末魔のように見えてくる。衆議院選挙が、9月の任期満了まで遅らせれば、日本の経済や、しいては国際経済の秩序がもたない。日本は、アメリカについで、依然として、世界第二位の経済大国であり、多くの国への資金を提供している債権国である。世界の水準をベースにしてみて考えれば、日本はとても豊かですばらしい国家なのである。世界では、同じ人間として命を受けながら、貧困にあえぎ、明日の命の保障させ与えられず、生きている人が多くいる。もちろん、平均的には、アメリカの方が日本より豊かである。しかし、アメリカはひずみのある国家で、大金持ちはとことん大金持ちで、貧乏な人はとことん貧乏なのである。だから、ぽっと、何気なく、町や人のたたずまいをみれば、アメリカよりも日本の方が豊かであると感じる人が多くいる。

 外需依存の経済体質のひずみがやってきた。使い捨ての消費型経済で、ここまでは、なんとかやりくりしてきた。リサイクルといっても、ただの見せ掛けのため、余計にコストがかかる。本格的に稼動させるには、消費型からリサイクル型に商品のシステムを変更しなければならない。だから、形だけである。そして、色々な矛盾が昨年の11月から一気にやってきた。バブルと同じように、車は作れ、液晶はつくれ、世界の市場はまだ飽和になっていない、その需要は無限大であるという感覚で、供給を続けた。しかし、需要が無尽蔵にあるわけがない。そのために、エネルギーが膨大に膨れ上がり、リサイクル、再利用できない消費型の物品であるため、使えば使うほど、熱として、エネルギーが外気へ放出さたのである。地球規模では、森林が伐採され、緑がなくなるため、二酸化炭素と酸素との光合成による交換もすくなくなり、ますます地球の内部の熱は蓄積していった。地球温暖化である。それによる異常気象、生態系の狂い、それが、多くの人の心理を不安にしたのである。ネット社会でつながった、不特定多数の大衆は、この消費型市場経済の先には、地獄しかないと感じたから、サブプライムがきっかけとなり、一気に、消費が落ちたのである。この大不況を作ったのは、多くの人の将来に対する生存への不安が引き金になっている。

続きを読む

nano3000xp at 14:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年02月18日

江東区女性殺害、星島被告の愚かさ

 会社員、東城瑠理香さん(当時23歳 )を殺害し、遺体を切断遺棄したとして、殺人、わいせつ目的略取、死体損壊の罪で問われた星島貴徳被告(34歳)に、2月18日、東京地裁で無期懲役の判決がおりた。この事件の特異性は、性の奴隷にしたいという愚かな欲望がその犯行の動機にあることである。事実関係は明記すれば簡単である。昨年の4月18日の午後7時半ごろ、東城さんの部屋に押し入り、東城さんを自分の部屋に拉致し、約三時間後、包丁で首を刺して殺害し、その後、遺体を細かく切断して、トイレや近くのゴミ置き場にすてたというものである。

 星島被告が、仮に、誰かを性の奴隷にしたいと思っていても、それ自身は、何の罪にもならない。実行しなければ、変態だと思われるだけである。そして、誰か女性が、逆に性の奴隷にされたいという願望があり、その人が、星島被告と出会い、意気投合し、それぞれが、変態プレーを楽しんでいれば、あくまでも自己満足の中で、その特異性がしまわれるだけである。それであれば何も問題はおきない。夜、回りを見渡しながら、路上をあるけば、家の窓の向こう側で、そんな特異性のある営みが行われていることを、想像しても、特に問題が起きるわけがない。そして、現実的に行われていても、同意の上であれば、そこに、痛みを伴った倒錯的な性の営みがあろうとも、本人同士がよければ、犯罪にはならない。ネットで検索していけば、変質的な星島被告が願望した世界を満たせる場所が、どこかにあったはずである。そこで、働いた金をつぎ込んで、自己の欲望を沈め、そして、何食わぬ顔して日常性に帰って、己の変質的な欲望が己の老化とともに、静まるのを待てばよかったのである。

 裁判長は、「被害者をあたかも廃棄すべき物のごとくあつかったもので、自己中心的で卑劣な犯行」と非難したが、それと同時に、包丁で首を1回突き刺すという殺害の仕方は執拗(しつよう)なものではない、わいせつ行為には至っていない、殺人には計画性がないと、認定し、極刑を避けたようである。確かに、性の奴隷化という動機をもとに、東城さんを拉致したが、性の奴隷化の願望を充足するような具体的な行為は、行われなかった。そして、発覚がばれることをおそれて、殺し、その遺体をばらばらにして捨てたのである。

続きを読む

nano3000xp at 17:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年02月16日

中川昭一財務相の醜態、なぜ、自爆するのか?

 ローマでの先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後の記者会見での、中川大臣の状態は、醜態を通り越して、妖怪にでも取り付かれたような不気味な風体であった。中川大臣は、先日小泉元首相が麻生首相に対して笑っちゃうぐらいあきれているといった発言を行った会見に対して、「総理にもなった人の発言か」と小泉元総理を勇ましくある意味否定した人である。その化け物のような醜態を見たあと、それが、何か虚しい猿芝居のようにしか見えなくなってしまった。それほど、強力なインパクトもって、見る人の心におぞましさを感じさせた。それほどの映像であった。

 中川昭一大臣は、まったくテレビの力、不特定多数の力、世論の怖さというのをご存じない、もちろん、知っているのだろうが、あまりに、無頓着すぎる。それより、財務大臣という地位を得て、ポスト麻生に対しても己の力を行使できるとある意味、慢心していたのだろうか、それとも、己に過信があったのだろうか、あまりに、無防備すぎる。中川昭一大臣のあの醜態は、ある意味、赤城元農水相の絆創膏とひげ顔の不気味さと同等か、それ以上の不快さを表していた。今は、ハイビジョンである。あの憔悴した、そして、ろれつが回らない、なにか、この世のものとは思われない、表情が画面いっぱいに映し出されたのである。端正な顔つきで、若々しく毅然とした態度で、国会の討論を制してきた中川大臣には、いつも若さがあった。すくなくとも、テレビの画面からはそう見えていた。その印象がずっとあった。そのために、中川昭一大臣は、好印象を持たれていたはずである。

 テレビは、怖いのである。不特定多数の力は、怖いのである。特に、政治家やタレントやミュージシャンは、人気商売である。政治家は、いくら、集票マシーンの組織に守られていても、悪い印象を運動員や大衆に与えたら、大物でも落ちてしまう。落選してしまえば、政治家は、タレントにしかなれない。タレントは、もろに好印象を与え続けなければならない人気商売である。テレビは、カメラが捕らえたものをそのまま伝える。カメラの裏は伝えられない、だから、メーキャップの人がいたり、演出家がいたりして、テレビの映る人物像をフィルタリングする。素を出したら、ぞっとする。アドリブを任せられる人は、アドリブという体裁をとっていようが、ちゃんと、まわりの空気を読んで、自分に要求された役割を演じきれる人である。だから、任せられるし、その分、ギャラが高いはずである。本当のおばかでは、芸能界ではおばかなキャラは演じきれない。ちゃんと、自分が演じなければならないキャラを周りの空気を読んで、演じているのである。もちろん、演出家や脚本家が用意されて、テレビという限られた時間で、ちゃんと収まりがいいように、作られている。それが、テレビであり、今のネットワーク社会である。

続きを読む

nano3000xp at 16:41|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2009年02月13日

笑っちゃうぐらい、ただただあきれていると言われた麻生太郎首相、

 久しぶりに、小泉元首相の名言を聞いた。たぶん、今年の流行語にノミネートされると思う。もし、小泉元首相のその言葉が、引き金となり、麻生内閣がつぶれ、終いには自民党がなくなれば、正しく、昔小泉首相がいった、古い自民党をぶち壊す、そのことが実現することになる。確かに、普通の感覚で麻生太郎首相の郵政民営化に関する一連の発言を聞いていれば、おいおいおい、それをいっちゃ、お終いよといいたくなるものばかりだった。私は、民営化には反対だったが、みんなで決めたことだから、賛成したと、よく言ったものである。もちろん、公認が与えられず、刺客を送られ、無所属で立候補し、そして落選した議員もいた。先の衆議院選挙の結果は、小泉元首相の郵政民営化の是非を問う選挙であった。その結果、先の参議院選挙で過半数を確保できない結果であっても、その前の衆議院選挙で2/3以上の議席を得たために、今の麻生太郎総理大臣が生まれたのである。民営化を見直すことは、問題はない。しかし、あるときは、私は民営化を推進する大臣だったといい、あるときは、郵政民営化から外されたという。自分に都合がいいように、ころころ話を変える。これは、確かにいただけないはなしである。「怒るというよりも、笑っちゃうぐらい、ただただあきれている」小泉元首相のその発言は、波紋どころか、おそらく、自民党の根幹を揺るがすことになる。

 ある意味、小泉元首相は、ばけものみたいな人だと、自民党議員の人は思っている。常識的にみて、自民党をぶっ壊すと自民党議員としていったのだから、回りの自民党議員の長老は、もろに不快の念をあの当時あらわしたはずである。麻生太郎首相と同じように、小泉構造改革に否定的な見方をしている議員も多くいたであろう。しかし、小泉人気である。誰もが時の権力者に右顧左眄し、長いものには巻かれるふりをしていた。それは、それで正しいのである。小泉元首相に、周りに人は相当気を配っていたはずである。その小泉元首相が、次の選挙には出馬しないとまでいった。小泉構造改革に否定的だった人は、これでやれやれ、厄介者が政界から離れると安堵したはずである。寝ている赤子を起こさなくてもいいものを、麻生太郎首相は、小泉元首相を、公の場で、奇人変人扱いしたのであるから、小泉元首相は、むっとしたはずである。だから、小泉元首相は「私は常識をわきまえている普通の人だ」と反論した。そして、痛烈なのは、定額給付金での話である。『あの時賛成したけど、実はそうではなかった』と言いたくない」と述べ、本当に(衆院の)3分の2を使ってでも成立させなければならない法案だとは思っていないと言い切ったのであるから、麻生首相は、びっくりしたはずである。

 ご老公のような小泉元首相の横には、助さん格さんのように、中川秀直元幹事長、武部勤元幹事長が陣取ったのであるから、ある意味、凄みがあった。数日前、町村派の会合で、降格させられた中川秀直元幹事長が、むっとしても、平然を装っていたのは、小泉元首相との会合がセットされていたからだと、納得した。

続きを読む

nano3000xp at 18:04|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2009年02月12日

実質的な景気の底は3月でおわる。株価の乱高下は続く。

 冷静に人の動きをみていれば、市場がどういうふうに動くかは、予想はできる。社会現象を動かすのは、あきらかに、不特定多数の意思である。一人ひとりが、今という時間とこの地球という環境の中で、何らかの作用を受けて生きている。その受けた結果の現れが、今の状態を作っている。膨大なN数が、市場経済で密接につながっている。しかし、株価は、株取引をして、そこから利益を得ようとしている人の現れである。不特定多数ではなく、特定の少数の意思が株価に反映されていると考えたほうがいい。だから、株価が乱高下するのは、その特定少数の人の心理が反映されている。少数と言えども、その投資ゲームに参加する人の数は、膨大である。しかし、地球全体の人口からみれば、あくまでも少数である。

 乱高下は。ある意味、子供の駄々っ子状態と同じである。自分たちの思いが満たされなければ、すねて見せるのと同じである。残念だが、強欲の自己中心的な市場原理をベースにして、収益をあげようとする企業家の人たちにも、これからは、汗をかいてもらわなければならないときが来る。投資ファンドや株で収益を上げている人は、それが仕事である。お百姓さんが、毎日、汗をかいて、農作物を育て収穫するのと同じである。工員が、毎日、汗をかいて、現場でトンチンカンしているのと同じである。すし屋の親父さんがすしをにぎっているのと、植木職人が、植木をいじっているのと、おなじ、みんな生きるために働いて、その対価としてお金をいただいている。みんな同じである。投資ファンドの人もそれが仕事である。だから、できるだけ利回りのいいものをみつけ、それに投資し、その利ざやで儲ける。製造業や小売りでもない、無形財の価値を安く買って、高く売りさばく、需要があれば、必ず供給がある。その差を利用して、商売をする。銀行も同じである。ある範囲のなかで、活動していれば、なんらおかしくないのである。

 問題は、すこし強欲になりすぎ、エゴを出しすぎたためである。景気が低迷すれば、国が何とかしようとする。そこに便乗する。しかし、国も限度がある。強欲の自己中心的な人たちに有利になるような政策は、もう取れないはずである。アメリカも日本もヨーロッパも一部の人たちに有利になるような政策を推進できない。なぜなら、格差を生むからである。格差が生まれれば、選挙でまけるからである。5%の人が、95%の全所得を取ることはできないからである。そうなれば、社会政策で、税金をとり、所得の再分配を国が行うからである。ある意味、社会主義国家である。突き詰めれば、原始共産性になる。不特定多数がそれを望めば、一日でそれは実現する。その日のうちに、強欲の自己中心的な人たちの財産は没収され、彼らは路頭に迷うことになる。
続きを読む

nano3000xp at 17:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年02月04日

地方分権、道州制による大きな地方政府、小さな中央集権政府

 もはや、中央集権的なやり方では立ち行かなくなった。大きな中央集権的な政府から小泉構造改革的な小さな中央集権的な政府へ変えようとしたが、結局それも、立ち行かなくなり、とうとう麻生首相のように、大きな中央集権的な政府にもどろうと、なりふり構わず、大盤振る舞いしだした。やるやるといっても、から元気ばかりで、実質的には何も出来ていない。環境や状況がかわったのだから、従来のようなやり方では世間は動かない。前原民主党副代表が予算委員会で、首相を詐欺呼ばわりするのも、当然かもしれない。

 大手自動車会社から、エンジンを取ったら、何も残らない。ある意味、エンジンと回りの関連会社の技術で、日本の車が世界でトップにたった。エンジンをモーターに入れ替えて、ガソリンを電気に置き換えたら、まさしく電気自動車である。くだり道、減速、モーターは、発電機になる。そこから生じる電気を蓄電することもできれば、車と電線を何かの形で導電すれば、そこへ送電することもできる。そこから、電気をもらって、走ることも出来る。トロリーバスに近いものがある。ある意味、エンジンをすてて、モーターに切り替えれば、補助の発電、太陽光でも、風力でも、自然のエネルギーを電気に変換できるものの利用価値があがる。必要は発明の母である。需要があれば、必ず頭のいい人がそれに対する供給を行うのが、世の慣わしである。今の日本の技術であれば、技術的にはどうにでもなる。しかし、現実的には今すぐできない。それは、色々な規制があるからである。色々な人や企業の思惑があるからである。

 今の官僚制度も、明治以来の中央集権的な国家が前提となっているから、今現在、閉塞するのは当たり前である。あまりに複雑になりすぎ、自縄自縛になっているからである。連帯責任は無責任の論理がまかりとおっている。自分の財布でないから、好きなことが出来る。そして、責任をとらないのだから、誰でも遊蕩になる。税金と言ううちでの小槌をもらい、好きなように振ればいいし、たとえ、無駄になろうと、自分の懐は痛まない、それで、首になることもない。そこに費用対効果などの感覚が根付くわけがない。この大不況でも、非正規雇用者が職を失っても、正規雇用者が職を失っても、対岸の火事である。これほど、気楽な家業はこの世にはない。しかし、そんなことが長く続くわけがない。それが世の中である。

続きを読む

nano3000xp at 16:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年02月02日

景気は、秋以降V字回復か垂直回復しなければ、

 昨年の11月以降、仕事は止まった。先週、東京の大田区で仕事の関係で加工関係の人たちとあった。仕事が7割減少している。3割減少なら分かるが、3割しかないそうである。それをそれぞれの業界で分け合っているそうである。原子力や防衛関係、つまり国が管理するところの仕事は減っていない。民間の一般材の落ち込みが激しい。これは何を意味しているか、業界のマーケットを握っている企業が、ブレーキを踏んだため、その業界の下位のみんなが同じようにブレーキを踏んだのである。内部留保が5兆10兆をもっている大手の会社がリストラをかけたら、それ以下の会社も同じようにリストラをかけないわけには行かない。ある意味、業界が持久戦を仕掛けてきたのである。体力勝負である。ばたばたと倒れるのを待っている状態である。もちろん、やりすぎれば、マーケット全体が崩壊する。そうなれば、自分も同じように崩壊する。核爆弾と同じである。威嚇のためにもっているのはいいが、実際使ってしまえば、相手も倒れるが自分も倒れる状態になる。それと同じ。だから、頭のいい経営者はそんなことはしない。この大恐慌は、人為的に作られたもので、ある意味、時代の調整として出てきたのである。

 なぜ、この不景気がおきたか、それは交通渋滞と同じである。原因は簡単である。先行き、このままの状態ですすんだら、地球は崩壊すると多くの人が実感したからである。地球温暖化である。このままエネルギーを無造作に垂れ流したり、資源を無駄に消費すれば、どういうことが起こるか、多くの人が異常気象という形でその恐ろしさを体感したからである。それとネットで、リアルな映像を世界の人が共有したからである。そんな中で、同じように車が売れるとは思えないし、次から次へと電化製品を使い捨てなどできない。そういう不安が根底にあるから、いままでのやりかたに多くの人がNOといったのである。NOと言えば、経済は回らない、アメリカのサブプライムローンは、経済の論理からみれば、インフレをつくれば、その債務も吸収できたはずである。右肩に上っていけばという前提が崩れたのであるから、すべてのロジックがひっくり返るのはしかたがない。

 少なくとも、今多くの人が一年前と同じように生活している。当たり前のようにパソコンを使い、当たり前のように、携帯電話を使い、当たり前のように、ネット検索をかける。何も変わらない。同じように車に乗っているし、新幹線も飛行機も同じように動いている。N700系が増えた分、進化したかもしれない。多くの人が毎日餓死で死亡しているという記事もない。失業が増えたといっても、完全失業率が10%を超えることもない。それほど、変わっていない。だから、それほど、昨年と変わりがない、−3%、前年度より落ち込むという程度しかない。しかし、現実的には7割仕事がへっている。失業者がふえている。自然発生的に生じているのではない。やはり、それよりも何か人為的に止めていると言ったほうが正しい。


続きを読む

nano3000xp at 20:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2009年01月29日

化粧品や薬用化粧品の本当の意味、スキンケアーの本来の目的とは

 日本で販売している化粧品や薬用化粧品(医薬部外品)等は、薬事法に準じて製造販売されている。広告も、医薬品等適性広告基準、それにもとづく薬務局長通達、全国医薬品等広告監視協議会におけるガイドラインという規定を受けている。確かに、化粧品や医薬部外品(薬用化粧品)は、非常に独特な環境下に置かれている。通常のマーケット戦略には乗らない世界だからである。そう、今でも良い物が必ずしも売れるとは限らない世界だからである。それを生み出す要因の根幹は、薬事法第66条にある。これが化粧品や薬用化粧品の販売を規制する大本である。化粧品の各社はそれをどのように潜り抜けようかと模索している。それが彼らのメインの仕事のひとつだからである。

 薬事法66条
「1.何人も医薬品、医薬部外品、化粧品又は医療機器の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。」「2.医薬品、医薬部外品、化粧品又は医療機器の効能、効果又は性能について、医師その他のものがこれを保証したものと誤解されるおそれがある記事を広告し記述し、又は流布することは前項に該当するものとする。」

 そして、そもそも、化粧品とは何かといえば、薬事法第2条第三項に規定されたものである。人の身体を清潔し、美化し、魅力を増し、容貌を変え、又は皮膚若しくは毛髪を健やかに保つために、身体に塗布、散布その他これらに類似する方法で使用されることが目的とされている物で、人体に対する作用が緩和なものをいう。それが化粧品である。だから、効果効能をうたってはいけない。しかし、現実的には人体に対する作用がないでは売れない。化粧品に配合されている油性成分も水溶性の天然の高分子も、どんなものでも人体に作用しないものなどない。だから、作用が緩和なものとしてそれらをみなしているのである。ただし、効果効能はいってはいけない、それが化粧品のきまりなのである。もちろん、化粧品は安全なものである。なぜなら、安全な原料しか使ってはいけないからである。そして化粧品には、全表示義務がある。だから、効果効能を多少たりとも宣伝したければ、医薬部外品(薬用化粧品)にしなさいというのである。しかし、そこも、厳密な決まりがある。なぜなら、医薬品とは違うからである。

 医薬品とは、日本薬局方に収められているもの、人又は動物の疾病の診断、治療又は予防に使用されることが目的とされているものであって、器具器械でないもの。人又は動物の身体の構造又は機能に影響を及ぼすことが目的とされているものであって、器具器械でないもの。それが、医薬品なのである。

 医薬部外品の定義は、特に薬用化粧品に対しては、あせも、ただれ等の防止することが目的とされており、かつ、人体に対する作用が緩和なものであって、器具器械でないものおよびこれらに準ずるもので厚生労働大臣の指定するものである。そして、薬用化粧品の効果または効果の範囲は、化粧水に関しては、肌あれ、あれ性、あせも、しもやけ・ひび・あかぎれ・にきびを防ぐ。油性肌、かみそりまけを防ぐ、ひやけによるしみ、そばかすを防ぐ、日やけ、雪やけ後のほてり、肌をひきしめる。肌を清浄する。肌を整える。肌をすこやかに保つ。皮膚にうるおいを与える。となっており、クリーム、乳液、ハンドクリーム、化粧用油に関しては、化粧水と同じであり、あと二つ、皮膚を保護する。皮膚の乾燥を防ぐ項目が付加されている。

続きを読む

nano3000xp at 13:48|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:



株式会社美粒サイト
www.be-ryu.com/
美粒装置サイト
nano3000.com
メモリアアクエサイト
memoriaaquae.com
美粒ブログサイト
beryu.livedoor.biz
個人販売代理店サイト
memoriaaquae.com/
distributing_agent
音楽配信おとだまデリバー
www.be-ryu.com/music