2007年04月
2007年04月26日
科学と輪廻転生
エネルギー保存の法則を前提とすると、この宇宙にあるエネルギーの総和は一定であると考えられる。つまり、ビックバーンで生まれたこの宇宙には、ある一定のエネルギーが与えられて、それが増えることもなく、減ることもなく、この広大無辺な宇宙の時空間にあるということなのだ。それがどんどん膨張していることだといわれている。それと、アインシュタイン博士の相対性の理論の支柱は、光速不変の原理である。光の速度よりも速いものは、この時空間には、存在していないというのである。そのために時空のゆがみが証明されている。エネルギー保存の法則と光速不変の原理を考えてみると、世にも奇妙な世界観が生まれてくるのである。どうしても、帰結する問題は、どうして、なぜ、だれが、どの目的で、という点に波及してくる。光速は30万km/secである。30万キロ空間の事象は必ず一秒遅れることになる。つまり、今を認識することが、30万キロの遠方の過去を見ていることになるのである。それを前提とすると、30万キロ遠方で起きた事実は、人間が観測して、その事実を確定させない限り、事実としては存在していないことになる。
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エネルギーとはなにか
(装置雑誌に投稿した原稿の一部を抜粋してブログに載せます。すこし、難しい話かもしれませんが、エネルギーというものの本質、力というものの本質が見えると思います。)
物を上から落とすと、下におちる。なぜ、落ちるのか、万有引力があるからだと教えられている。それは、質量があるからだということになり、つまるところ、エネルギーを持っているからだということになる。では、エネルギーはどこからくるのか、それはわからない。なぜ、この世があるのかという問題と同じなのである。つまり、それはあるからあるのである。エネルギーを我々が判断できるもので、定義すると、力(ニュートン)がどれだけの距離を移動したか(m)という事になる。つまり、力(N)と長さ(m)の積になる。では、力とはなんだろうか、それもわからない。質量を加速度でかけたものが、力として定義される。加速度とは、速度の変化率である。△v/△tであらわされる。そういうものが力というものになる。まったく、よくわからなが、そういうふうに世の中の決まりを定義していくと、我々人間にとって、都合よく機能するということ、それに基づいて色々なもの(論理)を構築していくと、人間社会が万事うまくいくということになる。しかし、ものの本質をたどっていくと、最後にたどり着くのが、なぜ、それがあるのかという問題にぶつかり、しまいには、それは、人間の脳の中で組み立てている論理で、それが真理かどうかは、わからないという認識論にまで発展することになる。
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2007年04月16日
IQ(intelligence quotient )とEQ(emotional intelligence quotient )
理論を導く理論などない。それは、直感によって得られる。経験で得られたことを知的に考えた末の直感である。アインシュタイン博士の言葉を意訳すると、そういう言葉になる。ある独創的なアイデアで理論を考えた。それは、従来の考え方にない発想である。独創的というのはそういうものである。それは、知識から得られるものでなく、ひらめきや直感で得られるものだというのである。まったく、同感である。ただ、素人が突然にひらめくことではなく、ある程度の知識と経験をもって、知的に考えた末の直感として出てくるものなのである。それを模倣して、理論を構築して、学問として確立させるのが、直感ではなく、知識や知能なのである。そう、直感、別な言葉で言えば感受性の能力、それがEQであり、知識や知能の能力がIQという範疇になるだろう。
通常は、IQとEQとは、相互補完するはずである。しかし、どちらかと言うと、EQは、感受性が強くでてくるために、IQを邪魔することがある。逆に、EQが強い人は、IQによってその能力の開花が邪魔されることがある。現代の社会は、学歴偏差主義があるため、EQの能力が押さえつけられる傾向がある。EQが強い人は、型にはまったことを嫌う。当然に、IQの指標の学歴偏差主義には合わない。だから、EQの強い人は、学閥のラインには入らず、いや入れず、社会にでて開花するか、はたまたその能力が開花されずにうずもれる可能性がある。EQの強い人は、芸術や芸能、または、職人として活路をみつけだすだろう。企業の経営や営業にも強い力を発揮するはずである。
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2007年04月15日
言霊と音霊
言霊という考え方がある。言葉には霊的な力があるというものである。力があるなら、それは、一体どこから来るのだろうか。そもそも霊的な力とは、なんであるのか。一般的な感覚から、霊といえば、不可解な力の作用、我々の知覚を超えたものから作用する力といえるだろう。したがって、言葉、それ自身には、霊的なものはないと感じる。もしあるのなら、それは、読み手や書き手の意識の中で霊的なものと思った瞬間に、その力は現れるといったほうが正しいのかもしれない。呪詛も言葉だけでは、効果はないだろう。つまり、何か霊的なものがあるなら、それは言葉が発せられたその音に意味があるのである。つまり、言霊というよりは音霊といったほうが、より分かりやすいかもしれない。
物質の究極の構成要素(アトモス)は、6種類あるクオークと電子だといわれている。さらに、それを構成するものは、最近、ひもだといわれている。ひもだろうと、ひもでなかろうと、いずれにしても、そのエネルギーの元は、振動であることには変わりはない。つまり、そこに空気という媒質があれば、その振動は音になるのである。我々には、可聴周波数領域がある。その周波数以下でも以上でも聞き取ることはできない。それは20Hzから20000Hzだといわれている。つまり、音霊も振動なのである。また、言霊もそれ自身には、意味はない。言葉を見ることで何があるかと言えば、それが意識の中にあがり、その音を脳の中で読んでその音を再生しているのである。つまり、耳から入った言葉の音が脳の中に入ってくるのと同じことなのである。音霊とは、可聴周波数領域から外れた振動するものであり、それが脳の中に伝達されたとき、それをうけて脳の中で変化するものの総称である。それがどのようなイメージで捉えられるかは、人の脳によって異なるだろう。
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2007年04月05日
桜が咲くころに思うこと (別れと出会い)
桜が咲く。可憐なピンクのはなかいどうの花も咲く。赤紫のはなずおうも咲く。月桂樹の花もさく。日本で一番美しい季節がやって来る。ソメイヨシノが開化すると季節は一変する。そして、桜の季節には、別れと出会いが生まれる。別れとはやはりさびしいものである。しかし、別れの寂しさを感じるとともに、新たな出会いの喜びもまた感じられる季節でもある。暖流と寒流が交じり合うように、そこに変化が生じるのである。何かが隠れ、何かが現れる。陰と陽が入れ替わるようなときでもあるのである。生じるものもあれば、消滅するものもある。とにかく、春になれば、バラ科の樹木は一気に花をつける。そして、落葉樹には、新緑が芽生え始めるのである。
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明智光秀の涙
あのとき、本当に明智光秀は、天下を平定できると思ったのだろうか。狂人信長を討った後の世界をどのように再構築しようと思っていたのだろうか。信長をうっても、徳川家康がいる。羽柴秀吉がいる。柴田勝家がいる。中国には毛利、越後には上杉がいる。光秀は何を考え、信長を本能寺で抹殺したのだろうか。信長を討った後、すべての武将が自分に臣下の礼を尽くすと考えていたのだろうか。桜が満開になるころ、ふと光秀の魂が心によぎった。
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