2007年06月

2007年06月30日

WEB2.0の十分に独立した不特定多数の信頼性の原理から求められる企業や国家や集団のトップに必要なもの

 人は自由な存在である。問題はその自由という定義である。その定義があやふやだから、間違ったことが起きるのである。企業でも国家でも集団でもリーダーが必要である。カリスマ性が必要だといわれる。暴君といわれたヒットラーも信長も名君といわれる上杉鷹山や奥州藤原三代の君主もリーダーである以上カリスマ性があった。問題なのは、その個人の脳の小宇宙が自由であったかどうかなのである。わがままも自由、何かにとらわれてそのとらわれの中で任意に行動することも自由、ある意図や意思にもとづいて、発言するのも自由なのである。何かの欲望にもとづいて行動するのも自由なのである。その自由な定義が間違っているから、おかしな論理がまかり通っているのである。
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2007年06月26日

WEB2.0の十分に独立した不特定多数の信頼性

 微粒子になれば、ブラウン運動を起こす。それは、金融予測で用いられているウイナー過程(確率変数)でもある。ひとつひとつは、何の脈絡もないめちゃくちゃな動きでも、全体をまとめれば、ある確率分布の中に納まることである。ブラウン運動とは、微粒子が空気や水の分子と衝突して起こる不規則な動きでもある。粒子が大きくなれば、慣性の法則が働くため、ブラウン運動は見えなくなる。変動する空間域が同じでも、固体が大きくなれば、その変動する空間域は、分からなくなるからである。外部(空気や水の運動エネルギーの大小)と内部(粒子)のもつ大きさによって、その確率分布の偏差は変わってくる。粒子が大きくなれば、粒子の動きは、ブラウン運動からゆらぎ、そして、静止へと変化するように我々にはみえるのである。 続きを読む

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2007年06月17日

しっかりとしろ。

 障害者の学生を連れて、散策をしている人たちを見た。みんな、仲良く助け合って、昼食をとっていた。この今という時間を楽しんでいた。それぞれが時間と空間を共有して、それぞれの命を尊重して生きているように見えた。小学生の高学年だろうか、それとも中学一年生だろうか、定かではない。それは、確かに楽しい一瞬なのだと感じた。夢と希望があり、彼らのすすむ時間の先が、このように楽しいものだと期待しているはずだと感じた。障害をもったひとも、持たない人も、能力がある人も、能力がない人も、この午後のひと時のように、楽しく、笑って生きられるものだと、どこかで感じているはずなのだ。楽しいことは共有し、つらいことがあれば、助け合い、みんなが幸せに生きていくことができるだろうと、子供たちはそう感じているはずなのだ。そうでなければ、彼らも生きてはいけないはずなのだ。そう私は思った。

 しかし、現実は、そうはならない。時間は残酷に流れ、この共有を必ず引き裂いていく。障害者と健常者という区別さえもなく、一人ひとりが、それぞれの人生をどう生き抜いていくかという命題にぶつかることになる。それぞれが、自分に置かれた状況を受け入れ、障害者なら障害というハンディを受け入れてひとりで生きていかなければならないことになる。それが、誰もが通過しなければならない青春時代の壁になるのだ。そう、それはある人にとっては、辛い現実を受け止めなければならない時になるのだ。楽しい時間を共有できないのだ。自分で自分の人生を切り開いていかなければならない時になるのだ。人生は、過ぎてしまえれば確かに短い。しかし、その辛い時期を走っている若者にとっては、やはり大変なことなのだ。親から離れ、自立しなければならない。そうして、自分で伴侶をみつけ、自分が育てられた家族というものを、今度は、自分で作っていかなければならないことになる。そうして、自分が育てられたように、今度は自分が子供を育てることになるのだ。障害を持った人から見れば、時間を共有していた人は、自分と同じところにはいないと感じるだろう。人は、自分のことでやはり精一杯なのだ。それはそれでしかたがないことなのだ。だからといって、決して、時間を共有した人(特に障害者の人)のことは忘れてはいないのだ。しかし、自分も生きていかなければならない。障害を持った人も、自分でできる範囲の中で、がんばるしかないのである。辛いかもしれないが、そういうことになるのである。
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2007年06月06日

NANO3000に寄せる思い

 水は高いところから低いところへ流れます。低いところから高いところには、別な仕事をさせなければ、ながれません。温度も高い状態から低い状態へ流れます。また、時間というものがあります。時間は、過去から未来へ流れます。つまり、何もしなければ、エネルギーは、高い方から、時間とともに低い方へと向かいます。強い力は、そのままの状態ではいられないので、できるだけ最短の時間で低い状態に戻るようになります。作用と反作用とで力を受けた瞬間、流体は、エネルギーを下げるために、乱れという現象を伴って、気泡を発生させます。力が強ければ強いほど、乱れは激しくなり、その勾配は激しくなります。何もしなければ、竜巻や火山噴火や暴風雨の場となります。原子爆弾が炸裂した広島・長崎の一瞬になります。爆弾と同じものになるのです。
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2007年06月04日

頭のいい人の考え方 (芸術家や技術者やベンチャー起業家の自己陥穽)

 人は、自分が見えない。なぜなら、自分の意識を中心にして世界を見るからである。それは、どうしても避けられない問題なのである。芸術家も技術者も、己の世界を守ろうとする。なぜなら、頭がいいからである。しかし、外部の世界を、自分の意識を中心にしてみているから、己の世界と外部とが重なっていることに気づかないのである。知らないうちに、自分の世界から、抜け出れない状態になっていることに意識がむかなくなっているのである。麻薬患者がその中毒に気づかずに、その耽美的な快楽に落ちていくのとおなじなのである。確かに、個人であれば、自分の芸術性や技術性を意識する。なぜなら、それが自分の頭にあるからである。しかし、世の中は、個人の集合体である。非常に大きなN数が存在しているのである。己はその何十億の一にしかすぎないのである。ひとつひとつに目を向ければ、確かにそれぞれの個性がある。それぞれの能力の差がある。それぞれの特異性はある。しかし、全体を俯瞰すれば、必ず個人の個性は消えて、その動きはある確率の波になるのである。全体は、確率的に存在する。しかし、その全体を、自分の意識を中心にしてみれば、全体はその人の意識の色眼鏡で見られることになるのである。その人の個人的な世界観、個人的な芸術感で全体がこうあるものと勝手に決め付けられてしまうのである。 続きを読む

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