2007年12月

2007年12月31日

何もないことの幸せ (ひとつの人生の通過点)その2

 普通、ベンチャー企業を立ち上げたいと誰でも、夢見る。企業に雇われ、やりたいこともできず、上司の機嫌をとらなくてはならない。自分のやりたいことも許してもらえない。経営者や投資家のエゴが出てくるからである。そして、うまく開発でき、まして、その商品が売れたら、今度は、その開発者のエゴが出てくる。企業がもうけたのは、「俺」の能力があったからだ。「俺」がいなかったら、企業は儲けていない。それにしても、「俺」に対しての報酬が少ないと、激しい欲が出てくるのが自然なのである。なら、独立して、俺が経営者になってやるといって大体、過信して出て行くのである。まず、うまくいく人は、100人に1人以下である。そう、世の中、そう簡単にはいかない。特に、日本では、実績と経験が物を言うのである。何をやるにしても、金が要るのである。その資金調達とキャッシュフローの管理ができないのである。銀行は、担保がなければ、金は貸さないのが原則である。いい技術、いいセンスをもって、ベンチャー企業を立ち上げても、まず、うまくいかない。世の中には、その人たちをかもにしようと、ベンチャー支援うんぬんと、偉い先生が講演したり、公的機関が税金を使ってアドバイスしているが、すこしの参考にもならないのである。儲かるのは、その偉い先生であったり、その公的機関からベンチャー支援のプログラムを発注された企業なのである。うまくいくも、いかないも、その人の熱意(純粋さ)と技術力、それと運なのである。

 話は、昨日のブログの続きとなる。とにかく、イスラエルの友人に機械を作らせ、その機械を友人の福島先生のところに持ち込んで、リン脂質をつかっての微細化に成功した。その機械の総代理店の権利とリポゾームの製造技術をある会社に売ったのである。その原資の一部を使って、日本で会社を作ったのである。まったく興味がなかったが、私しかいなかったので、私が社長になった。社長になろうとしたことなど、一度も考えたことがなかった。とにかく、生活ができればいい、そのくらいの気持ちだった。ここでも、大変だった。ハードは、ユダヤ人が担当している。前の会社では、華僑と交渉していた。ここでは、ユダヤ人である。イスラエルには4−5回行ったが、そりゃ、大変な国である。中国でもそうだったが、ユダヤ人のひとりひとりは、本当にいい人であった。実に頭がよく、実にロジカル的なのである。彼らと付き合って、実に色々なことを学んだ。これまた、商売が伸びてくると、どこでもあくどい奴がでてくるのである。友人のイスラエル人に、悪い知恵をつける投資家が出てきた。これが、ユダヤ商法と嫌われる彼らのやり口だとわかった。このユダヤ人のグループほど、えげつない人たちはいないのである。こいつらの同族が、アメリカや世界経済を支配していると分った。

 そのころから、私は、なぜか樹木に興味をもった。暇があると、緑をもとめて、外をさまよった。デジタルカメラを購入し、花を写しまくった。そして、花と樹木の名前を必死で覚えた。この木は、これ、この花は、これ、徹底的に学習し、名前を叩き込んだ。そうすると、季節の変化が見えてくるのである。何気ない、垣根に植えられている樹木に花や実がなる。あ、これがこの樹木なのか、だんだんと花の美しさに引き込まれた。そして、花や樹木に集まる鳥や蝶にも興味をもった、まさしく、花鳥風月の世界がありありと見えてきた。揺らぐ世界の中に、一つの秩序が見えた。そこから、虚数の世界が見えた。量子力学、波動関数、フーリエ変換、独学で勉強をした。そして、世の中は、微分方程式の変化で動いている感覚をもった。乱れと秩序、まさしく、音楽の世界、そのものだった。
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2007年12月30日

何もないことの幸せ (ひとつの人生の通過点)その1

 何もないことが、いいのである。何かを期待し、何かを夢み、それが得られればいい。しかし、そんな都合のいいことばかり、世の中は起こらない。去年の今頃、不遇にあえいでいた人が、今年の今頃、スポットライトを浴びることもある。また、来年の今頃、どこかにいなくなることもある。傍から、見ていれば、幸せそうに見える人でも、内面は、かなりしんどい人もいる。この瞬間にも、誰かが死んでいる。去年の今頃、来年の今頃、誰も自分が息を引き取るとは予想はしていない。世の中、本当に何が起きるかわからないのが現実なのである。そう、考えてみれば、何もないことが一番の幸せなのかもしれない。今年も、何とか年を越せた。来年も何とか年が越せればいい、そのぐらいの気持ちでいるのが、いちばんいいのかもしれない。

 自分も若いときがあった。あれから、確かに10年、20年、30年、40年、と年を重ねている。それなりの人生であった。楽しいときもあった。苦しいときもあった。哀しいときもあった。一時は、死の淵をさまよったときもあった。一時は、危うく車に惹かれそうになった。そのとき、あ、自分はこのようにして死んでいくんだなと一瞬思った。そして、どこからか、ぼっとしたものに包まれたことがあった。確かに、意識が途切れていく感覚があった。ふと、我に返ると、そこに現実の生きている自分がいた。そう、なんとか、ここまで、生きてこれたことだと、自分を生かしてくれる何かに本当に感謝している。

 いろんなことをやったし、いろんなことを勉強した。小学校のときは、ピアノをやった。そして、友達と野球をして遊んだ。漫画家になろうとも思った。絵のデッサンもやった。中学校のときは、なぜか、気象に興味を持ち、毎日、ラジオから流れる気象通報を聞き、天気図を描いて、雲の生態を学んだ。物理に興味をもった。そして、天文に興味をもった。昼は雲をみて、夜は、星空をみていた。そして、病に倒れた。そして、文学に目覚めた。理系にしか興味を示さなかった人間が、死の淵を通して、文学に興味をしめした。家にあった世界文学全集や日本文学全集をかったぱしらから、読んだ記憶がある。何を学んだかわからない、そして、詩にも興味を示した。立原道造に、かなり傾倒した。高校のとき、学校をやすんで、一人、信濃追分や川端康成の伊豆の踊り子の舞台となった修善寺から下田まで放浪したこともあった。そう、多情多感な青年であったために、多くの恋をした。激しい恋をしたこともある。

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2007年12月29日

中村中さんを見つめると、(性同一性障害の社会的要因)

 今日も、続けて、中村中さんのことを書きたくなった。何故、彼女が性同一性障害に落ちて行ったか、それは、社会の規範がゆるくなったのも、ひとつの要因なのである。デジタル化がすすみ、情報化がすすみ、ひたすら均質化へ動いたからなのである。戦後の若者は、学生運動に力を入れていた。そのとき、得られる情報は、書籍や深夜ラジオ番組か、討論なのである。若い情熱は、汚れた秩序を回復しようと動いたのである。若者はいつの世でも、純粋なのである。不条理に対して、それを許容できなかったのである。視野は、あくまで、個人の純粋な心の価値基準で、社会を見ていたのである。学生運動が、ひとつの合コンに近かったのである。そこで、愛や夢や社会を論じていたのである。それが、学生運動の青春だったのである。それが、若者にゆるされたひとつの美しいモラトリアムだったのである。それが、丁度、今の団塊の世代といわれている人たちの青春だったのである。社会は、確実に階級化され、均質化されていなかったのである。

 私は昭和31年に生まれた。私が学生のときは、70年代安保闘争の残像もなく、学生運動も、終焉していた時代なのである。それでも、社会はまだ均質化されていなかった。日本の因習や規範は、依然とのこっていたのである。高度成長の余波はつづき、活火山から吹き上げるエネルギーは、まだ日本全土を押し上げていたのである。時代が明らかに、変化したと感じたのが、やはり、パソコン通信と携帯電話の普及からなのである。これで、一気に不特定多数の大衆が、リンクしだしたのである。価値観がさらに多様化し、文化は、より女性化へとすすんだのである。

 人間の性格や機能などは、高々、100年、200年で変化するとは思えない。確かに、身長等は、多少伸びたが、それは、栄養バランスの改善がもたらしたものである。だから、いじめも、性同一性障害も、異性同一人格も、人の本性から生じるものは、戦前から今まで、変化がないのである。変わったのは、外的な社会要因なのである。戦前も中村中さんみたいな人はいた。しかし、軍国主義的な社会規範が強かったために、性同一性障害者は、抑圧されたため、その障害それ自身、社会的に顕在化しなかっただけなのである。それでも、少数の人は、男色家の餌食となったか、性転換を強制され、裏の売春組織に売られていったのである。たぶん、戦後もそれが続いていたはずなのである。歴史の中で消えていた人たちなのである。

 潜在的な性同一性障害者や異性同一人格者(詳しくは、12月27日、美粒ブログ、性同一性障害と異性同一人格、中村中さんをメインにして、考える参照)の人口に対する比率は昔から変化がないのである。それは、確率的なものだからである。その潜伏していた要素が顕在化するかしないかを分けたのが、外的な社会的な要因なのである。社会に対する規範が緩めば、より顕在化するだけなのである。そして、その潜伏していた要素が顕在化するのは、ちょっとしたきっかけなのである。それが触媒機能をはたすからである。

 そう、たぶん、私も異性同一人格者だと、自分で感じるのである。もしかしたら、私の幼年時の環境が今と同じであり、私を取り巻く家庭環境がちょっと違っていれば、性同一性障害になったかもしれないと感じるのである。そう、潜在的な性同一性障害者や異性同一人格者の比率は、ある程度一定なのである。ある程度、15-16歳時での男子の外的な体型や身体的な様態を見ればわかるのである。女装しても、おかしくないと、見えれば、そのDNAをもっているはずなのである。今の時代であれば、なおさら顕在化しやすいはずなのである。そして、自分を取り巻く環境の中で、男性と女性の力学関係が女性の方が強ければ、高い確率で、性同一性障害に掛かりやすくなるのである。
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2007年12月28日

中村中さん、その美しさについて、

 年末の大掃除時に、中村中さんのCD、天までとどけを終日、会社で流したのである。弊社の役員に、その歌声を聞かせたのである。全員、耳を疑ったのである。私は、中村中さんの生い立ち、性同一性障害であること、さまざまなことを説明したのである。全員、釘付けになったのである。そして、友達の詩を聞かせる前に、この詩は、性同一性障害をもつ男子から見た詩の内容なのだよ、男からみた男への詩なのだよ、その視点で聞いてごらんといったのである。ある役員は、スピーカーの前に立ちふさがりしばらく呆然としていたのである。また、ある役員は、身震いしたと絶賛したのである。別な役員は、私のブログを読んでいて、中村中さんの歌を聞いていたので、彼らほど驚きはしなかったが、それでも、流れ出る歌声に聞き入っていたのである。二人の役員は、中村中さんの存在もしらなかったし、その歌声も本日始めて聞いたのである。役員は、50歳以上の年齢の人たちなのである。弊社では、中村中さんのことを、すでに「あたる」ちゃんと呼んでいるのである。そして、PCで、中村中さんのPVがあったので、その容姿を見せると、全員、驚嘆したのである。美しい、と全員、言ったのである。社長がいうから、それに迎合していっているのではなく、本心からそう思っているのは、その叫びが真剣だったからなのである。あたるちゃんは、最高、あたるちゃんは、すばらしいと年寄り連中には、絶賛の嵐なのである。弊社では、プレゼン用として、大型液晶テレビにMAC−MINIをつないでいるのである。その大型液晶テレビから、流れる彼女の歌声は、限りなく澄んで透明だったのである。私は、広告やデザインを担当している外部の会社に、あたるちゃんのポスターを探して来い、それに、あたるちゃんのDVDを買って来いと、指示したのである。大型液晶テレビに映し出される中村中さんの姿と歌声を、役員全員が見聞きしたいといったからなのである。そして、紅白歌合戦に、紅組で、あたるちゃんは、でて、この友達の詩をうたうよというと、今年の紅白は楽しみだといったのである。たぶん、ほとんどの年配の人は、しらないから、その歌声と容姿をみたら、全員、びっくりして、釘付けになると年寄りの役員たちはそうコメントしたのである。

 それと、対照的だったのが、若手の社員の反応なのである。どこかで、醒めた目で我々、年寄りのはしゃぎぶりを見ていたのである。それよりも、私が、どうして、ここまで、心を奪われ、それに引き寄せられるか、その訳が分からなかったのである。デザインをやっている外部の人も、すばらしいといっていたが、我々ほどではなかったのである。ボイストレーナーであり歌手のCHIMIKOさんも、ヘアーメイクをやっている若手の先生も、すばらしいといっているが、年寄りの熱中ぶりとは、やはり温度差があるのである。私には、中村中さんが、なぜ紅白に出場できたか、分かるのである。紅白の出場歌手を決める選考委員の人が、我々と同じ年齢の人たちだったからなのである。その年齢の人から、中村中さんをみると、美空ひばりと中島みゆきを足したような、声域となぜか知らないが、無性に心を震わす歌唱力があると感じたからなのである。それと、彼女の体験から生まれた詩の内容がすばらしいからなのである。私が紅白の選考委員でも、一押しに彼女を推挙したはずなのである。

 若手の社員のコメントは、ある意味正しいのである。彼も、中村中さんはいいと思うというのである。しかし、新宿の歌舞伎町に行けば、もっと、美しい人はたくさんいる。性同一性障害は、すでに特殊ではないのである。中村中さんは、今年カミングアウトしたけど、彼の曲は、オリコンの上位にちょっと出ただけある。歌としては、普通だというのである。そうなのである。二十代後半の意識では、性同一性障害は、驚きではないのである。それもひとつのパフォーマンスとして受け取られているのである。彼らとは、どこか遠いところで彼女の歌声は共鳴しているのである。しかし、たぶん40代後半以上の男にとって、中村中さんの存在は、本当に我々の身近なところ、それも、心の中で、強く共鳴しているのである。私は、倉木麻衣さんも好きだった。しかし、中村中さんは、それ以上に強烈に私の内部までその歌声と彼女の心の振るえが浸透したのである。ここまで、熱中させた人はいないのである。私にとって、彼女は歌姫、そのものになったのである。
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2007年12月27日

性同一性障害と異性同一人格 中村中さんをメインにして考える。

 性同一性障害に対して、今だにはっきりとしたことは、分かっていない。もちろん、精神障害についても、脳の障害が、きっかけとなって、何かの精神的な疾患が生じることは、ある程度分かっている。しかし、その本質は、分かっていないのが現実なのである。あくまでも、すべてが、仮説としてなりたっているにしか過ぎないのである。宇宙がどうしてなりたっているのか、エネルギーがどうしてあるのか、心とはいったいなんなのか、それを解き明かすことが出来ないのである。考えるのは、人間である。したがって、それ以上のことを、人間はわかりえないのである。そう、いまある世の中のすべてものは、人間にとって都合がいいように組み立てられ、また、人間の考えるロジックに対して、つじつまがあうようにしているだけなのである。わからないから、そうしているだけのことなのである。本当は、何も分からないのである。分かりえないのである。特に、心や精神に関するものは、絶対というものはないのである。だから、性同一性障害も、本人が自認している性と本来の身体的な性とが不一致だとしても、それは、あくまで自己申告なもので、本人がそうだといえば、そうなるのである。逆に、性同一性障害者と呼ばれている人を多数サンプリングし、その人の症状や状態を聞きだし、それを分類しているだけなのである。それとパターンがある程度、似ていれば、その人が自己申告さえすれば、それで、性同一性障害と呼んでくれるのである。なぜなら、心因的なものを数値化し、定量的に分析することなど基本的に出来ないからである。あくまでも、あやふやな言葉で発した情報を元にするからである。

 性同一性障害者とは、いかなくても、人には、男性なら、内部に女性的なものを持っている人もいるのである。女性なら、内部に男性的なものを持っている人もいるのである。それを異性同一人格と呼ぶことにする。それを明記するためには、階層を3つに分ける必要があるのである。身体的な性―自認する性―もうひとつ内在する性なのである。身体的な性が男(M)であり、自認する性が女性(F)であり、もうひとつ内在する性が女性(F)なら、これは、明らかに、性同一性障害と自己申告するはずなのである。しかし、世の中には、身体(M),性自認(M),もうひとつ内在する性(F)が多数いるはずなのである。違うのは、性自認と身体的な性との不一致がなく、しかし、もうひとつ内在する性だけが、不一致する場合なのである。それは、異性同一人格として、まとめられるはずなのである。

 性同一性障害の原因には、先天性と後天性とその折衷説があるのである。中村中さんの経歴をみていると、どうも後天性の方が強いように感じられるのである。それと、社会規律への柔軟化と価値の多様化と核家族化が、その自己申告をしやすい環境になっている点があげられるのである。中村中さんは、両親が幼少時離婚して、母親の元で、育てられているのである。そして、兄と姉がいて、3番目の末っ子なのである。どうも、その因子がつよく影響しているように感じられるのである。子供が物心ついて、最初に影響をうけるのは、母親なのである。その母親の性格をどこかで踏襲するのである。そして、どこからか父親の影響も受け始めるのである。その父親が不在であったり、その存在が薄ければ、父親からの影響をその男子は受けにくくなるのである。男子と女子を分岐するのは、染色体XYである。そのDNAによる複製時に、性自認をつかさどる部位とその染色体との雌雄の分離での不一致が仮にあったとしても、性自認をつかさどる部位が生まれた後に変化しないとはいえないのである。病気とは、正常細胞の複製が何かの要因で、正常ではない細胞を複製することをいうのである。それが、自己回復力によって、正常細胞の複製にもどれば、病気は治ったということになるのである。だから、性自認をつかさどる部位が脳の中にあったとしても、それは、後天的な因子で大きく変化するはずなのである。そして、人は、成人まで、成長していくのである。ホルモンの分泌も、身体的な成長も、すべてが脳の指令によるのである。それは、外的な因子で変化するはずなのである。中村中さんの家族構成は、兄ひとりと、母と姉の二人の関係で成り立つのである。身体的な特徴はある程度遺伝されるとしたら、たぶん、中村中さんの父親も、色白で、肌がきめ細かい人ではなかったかと想像するのである。

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2007年12月26日

押谷和夫容疑者(48歳)、デート嬢を殺して、女性用下着はいてすて、

 とんでもない、実態があぶりだされたのである。時効寸前だった、94年OLデート嬢殺害事件での犯人が、DNA鑑定で、特定されたのである。これは、科学捜査の賜物なのである。それにしても、押谷容疑者(48歳)、あきれ果てた素性なのである。もし、使用済みの女児の下着を民家に捨てたとして大阪府警に逮捕されなければ、たぶん、押谷容疑者は、そのまま自分の人生を、再確認することなく、あの世へいったはずなのである。もし、今回捕まらなかったら、94年1月16日に大阪北区楳田の大阪第一ホテル26階で、デート嬢をしていた大阪市東住吉区の女性派遣社員(当時26歳)の頭など十数か所を鈍器のようなもので殴り、首を絞めて窒息死させた上、財布が入ったバッグを奪った事件など、忘れ去られ、犯人も特定されず、迷宮入りしていたはずなのである。

 この男に、一体何があったのであろうか、自分で女ものの下着をはき、その後、使用済みとしてその下着を民家に捨てるなどの変態行為を繰り返していたのである。どこかで、社会性が完全に崩れているのである。それ自身をおかしいと判断できる力が、押谷容疑者には、失われているのである。この男は、「なぜ自分だけこんなつらい思いをしなければいけないのか」と供述しているのである。もし、この男が、過去に殺人を犯していなければ、確かに、そういう動機があって、下着を投げ捨てる行為をし、世間から変態と思われるかもしれないが、まだ、社会的に許容される範囲のものだったのである。この事案だけでのこの男の起訴容疑は、廃棄物処理法違反罪なのである。その反社会性は、単に、自分がはいた下着を100件以上民家に捨てたという一点なのである。その下着を盗んだのでもなく、自分で買った以上、窃盗にも当たらないし、確かに変態だが、女ものの下着を男の人がはいても、何も罪にもならないのである。押谷容疑者は、この廃棄物処理法違反に関しては、「女児の下着をはくと興奮し、そのまま出勤したりしていた。庭先で見付けて驚く近所の人の様子を想像するのが楽しく、洗わずに捨てた」と供述しているのである。確かに、変態行為である。しかし、それを変態といって、罰することはできないのである。そこに、問題があるとすれば、庭先で見付けて驚く近所の人の様子を想像するのが楽しく、洗わずに捨てたという点だけ、廃棄物処理法違反罪として、罰することができるのである。

 もし、これだけであれば、世の中には、こんな変態親父がいる、そんな笑い話ですまされたのである。しかし、その奥に、14年前の殺人事件が絡んでいたとすれば、それは、笑い話ではなく、恐ろしい心の闇が浮かび上がってくるのである。単に、変態と思われた行為が、なぜか不気味に、なぜか、空恐ろしく響いてくるのである。そして、もっと、恐ろしいのは、近所の評判なのである。「押谷容疑者は、家の周りをいつも掃除していた。花好きで、きれい好きな人と思っていた」といっていることなのである。花好きの人が、14年前に、デート嬢の頭など十数か所を鈍器のようなもので殴り、首を絞めて窒息死させたのである。鈍器のようなもので殴れば、血が飛び散るはずである。相当な損傷のはずである。その上、首を絞めて窒息死させているのである。相当な苦しみが被害者にはあったはずである。どこかで、その記憶が押谷容疑者には残っているはずなのである。殺された人の怨念であろうか、それとも、捜査員の執念だろうか、よく、14年前と今との因果関係を調べ上げたものだと、関心するのである。それは、押谷容疑者と、14年前の殺害現場に残されていた犯人のものとみられる体液のDNA型が一致したのである。確率的にみて、DNAが一致することは、同一人物だとみていいのである。そして、事件当日に現場の部屋を出た男の顔写真とも似ていたことから、再逮捕に踏み切ったのである。廃棄物処理法違反ではなく、明らかに、殺人罪として、それに金品を奪った以上、強盗殺人罪として起訴するはずなのである。
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2007年12月25日

霊感商法、有限会社神世界のサロン、ビビット東京、女社長の篤い息

 実に、うまいやり方をするものだと感心する。あえて、宗教法人とならず、有限会社として登記している点である。ヒーリングサロンとは、実に、巧妙な仕掛けを作ったものだと、思うのである。人の悩みや苦しみに付込んで、ヒーリングで治ると信じ込ませ、法外な価格でグッツを売りつけるやり方である。霊感商法そのものである。何がヒーリングなのか、よく分からない。しかし、あくまでも、霊感商法には、ターゲットとやり方があるのである。これは、人の心の弱さをたくみについた知能犯罪そのものなのである。しかし、考えたらいい、この霊感商法と普通の宗教法人の活動との差は、いつの世でもあやふやなのである。そこに、この手の犯罪を厳密に裁ききれないグレーゾーンが存在するからである。そう、多かれ少なかれ、神社仏閣で売っている魔よけ、お守り、お札も、霊感商法のグッズと変わりないからである。その差はなにかというと、社会通念上、当たり前の金額か、そうでない法外な金額か、どうかなのである。そして、もうひとつの判断は、自発的か、ある意味、洗脳を受けて、買わせるようななんらかの行為があったかどうかなのである。

 どこの宗教法人も大体勧誘の方法は同じである。何か、トラブルを抱えたり、病気で苦しんでいる家族を見つけるのである。そこに、何らかの科学的な因果関係があったらだめなのである。何か分からないが、家族にトラブルを抱えているのがいいのである。なぜなら、それが、あくまでも心因的な由来できているからなのである。心因的な要素であれば、その心因的な要素を矯正したり、強くしてやれば、病気や人生が変わるからである。だから、カウンセリングや話し合いが有効に機能するのである。最初、間口はひろく、そして、親密度がましていって、洗脳が効いてくれば、だんだんとその宗教の信者になってくるのである。自分はそういうふうにはならないと思っていても、だんだんとその気になってくるものなのである。催眠術に近いのである。それは古今東西一緒である。それで、本人が幸せならば、それはそれでいいことなのである。霊感商法というのは、その信者に落ちかかりそうなとき、その霊感に関わるグッズを高く売りつけるのである。ある程度、信じているので、お金を支払うのである。もちろん、かもになる人のことは十分に調べ上げているのである。心因的な要素で、不安をもっているひと、家族の中に不幸をもっているひと、そして、これが彼らの最大の関心事であるが、ある程度の資産を持っていることが重要なのである。

 手口は簡単なのである。不安を上げて、それを固定化させ、心理的に脅すのである。目に見えない神様をいつも動かして、大丈夫、病気は治ります。運はよくなりますと、神様の視点で暗示を掛けるのである。だから、相手は、神様と身近になろうと、グッズをかうのである。お守りやお札と同じなのである。なぜ、こうも引っかかるのかと思うかもしれないが、引っかかりやすい人、しかも、金を持っている人を、そういう人たちは逆に狙っているからなのである。被害者はかもであり、彼らからみれば、いとも簡単に落とせる人たちだと分かっているのである。今回は、この霊感商法に警察官、それも警視が絡んでいるのである。この警視のやり方をみていると、これは、この女経営者の篤い息に、目の前が見えなくなっていると想像するのである。
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2007年12月24日

M-1、優勝、サンドイッチマン、33年間の苦労

 確かに、トータルテンボスが面白かった。キングコングは、ただ、スピードがあっただけで、面白さといえば、さほど面白いとは思わなかった。ただ、コントとしては、実に洗練されていて、芸としては、秀でていた。当然に、ハリセンボンが最終ラウンドにのこって、後は、キングコングとトータルテンボスとの勝負だなと思っていたのである。しかし、後、敗者復活枠が残っていたのである。それが、サンドイッチマンだったのである。あまり、見たことのない人だな、それにしては、すこしふけているな、30歳は超えているなとおもっていたのである。そして、敗者復活枠の舞台に立ったのである。突っ込みの伊達みきお(33)に、ボケ担当の富澤たけしが、アンケート調査をするというネタを披露したのである。突っ込みの伊達と、ぼけの富澤とのコンビネーションがいいのである。ボケの富澤がうまくぼけてくれるから、伊達が突っ込んでいけるのである。確かに、面白かったのである。それを見た瞬間に、サンドイッチマンが優勝すると思ったのである。

 M-1の歴代の優勝者は、それなりの実力があるのである。2006年、チュートリアル(吉本興業)、2005年、ブラックマヨネーズ(吉本興業)、2004年、アンタッチャブル(プロダクション人力舎)、2003年、フットボールアワー(吉本興業)、2002年ますだおかだ(松竹芸能)、2001年、中川家(吉本興業)なのである。すくなくとも、このM-1を優勝すれば、それなりの地位が約束されるのである。敗者復活からの優勝は始めてであるし、それなりの実力(和芸、人を引き込む技術、安心感)がなければ、審査員との共鳴は起きないのである。

 審査員には、先入観がある。今回の場合には、キングコングとトータルテンボスへの期待がある。だから、漫才としてみれば、キングコングは、何の見所もないエンターテイナーなのである。しかし、自信をもって、舞台を仕切る才覚は、十分なのである。だから、メリハリの利いたコントができるのである。そこに先入観ができ、予想以上の高得点をはじきだしたのである。トータルテンボスとサンドイッチマンのどちらが面白いかと、率直に聞かれたら、迷うことなく、サンドイッチマンと帰ってくるだろう。だから、決勝戦で、サンドイッチマンが飛びうけて面白くなければ、サンドイッチマンの勝機などなかったのである。規制にできたものをぶちやぶるためには、すくなくとも、実力差で2割の蓄積の差(実力の差)がなければ、キングコングやトータルテンボスといったこれはできるというすりこまれた情報を持つものに勝つことはできないのである。結成10年目以内の漫才師が、今年のM-1には、4239組がでたのである。2006年が3922組、2005年は3378組、今年と2年前では、およそ1000組増えているのである。それを勝ち抜いたのであるから、サンドイッチマンの実力はたいしたものだといえるのである。
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2007年12月23日

佐世保散弾銃乱射、倉本舞衣さんを狙い撃ち、馬込容疑者の狂気の無理心中か

 いろいろと詳細な情報が、県警から発表されてきた。やはり、馬込容疑者は、倉本舞衣さんを標的にしていたことが、明らかになったのである。それは、倉本舞衣さんの交友関係者(交際者)への嫉妬が、大きな動機のひとつになっていたのである。それが、引き金になったのは間違いない。事件があったとき、何故、倉本舞衣さんと藤本勇司さんだけが、殺害されなければならなかったのかが、分らなかった。藤本さんを狙ったのが、本命で、倉本舞衣さんは、何かのアクシデントだと思っていた。しかし、明らかに、事件のあらましを当初見ていると、馬込容疑者に、なんらかの意図が倉本舞衣さんになければ、やはり不自然さが残ったのである。そして、ひとつひとつ解明され明かされていくと、そこに、明解な倉本舞衣さん殺害への意図が見えてくるのである。たぶん、想像するに、倉本舞衣さんに対しての狂った愛着、歪んだ妄想が馬込容疑者の内部にあったとしか言いようがないのである。愛着が、嫉妬になり、それが、憎悪になり、それが、狂った無理心中、そんな妄想にまで馬込容疑者の内部では発展したのである。そして、藤本勇司さんを殺害したのは、たぶん、道連れなのである。親友だから、あの世でも一緒にすごしたいという気持ちが働いたのである。はっきりという、これは、馬込容疑者の狂った独りよがりの妄想なのである。倉本舞衣さんを殺害したのは、舞衣さんを独占したかったからである。誰にも取られたくなかったからである。そして、藤本勇司さんを殺したのは、先に親友を殺しておけば、後追い自殺がしやすくなるためである。そして、自分は、教会の敷地の中で、神に守られて自殺をとげたのである。憎むべき卑劣さである。

 馬込容疑者に、妄想を激しく先鋭させたのは、やはり、銃なのである。銃を引けば、命を奪うことができる。その絶対的な力が俺にはあるんだという意識を馬込容疑者は、妄想の中で、肥大化させていったのである。常識ではありえないが、その非常識が、馬込容疑者にはあったのである。もはや、社会人として交流できないぐらいの狂気さをもっていたのである。その人に、銃を与えていたのである。これは、計画的な殺人なのである。事件前日、馬込容疑者は、覚めた頭の中で、倉本舞衣さんの殺害のシュミレーションを何回も描いたはずなのである。そのたびに、使用する散弾銃の銃口を、薄暗い自室の部屋で、磨いていたのである。そして、使用する弾をチェックしていたのである。これが、映画やドラマであれば、世にもおぞましいそんな光景が映し出されていたはずである。

 倉本舞衣さんには、つき合っていた人がいたのである。前にも書いたが、写真でみるかぎり、丹精な美人なのである。そして、水泳のインストラクターとして、誰からも慕われていたのである。自閉的で、被害妄想的な要素を持つ馬込容疑者、しかも、ある程度、運動能力があれば、自意識が強かったはずなのである。きっと、自己中心的な要素を内面に持っているにもかかわらず、それを外に向けて、発散することができなかった人間なのである。一人よがりのプライドが強く、しかもそれを伸ばすのではなく、それが傷つくのをおそれるばかり、自閉していた男なのである。
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2007年12月22日

東芝とシャープ、液晶とLSIとで、相互供給、エコ路線の合流か

 実に、東芝とシャープは、頭のいい戦略をとったものである。お互いが、エコを中心にした路線をとっている関係で、こうなるのは、当然といえば当然なのだが、これも、生き残り戦略を考える上で、必要不可欠なことになるだろう。ある意味、クロスライセンス以上な、包括的事業締結を意味しているのである。それは、お互いの強み通しを相互にやり取りするというものである。シャープの液晶パネルと東芝のシステムLDI(半導体事業)を相互に、供給するというものなのである。主力の基幹部品である。それをバーターしようというのである。今後、両者の資本提携まで発展するかについては、現時点では考えていないというが、明らかに、今後、デジタル化がすすむ中で、東芝製のデジタル製品とシャープ製のデジタル製品での内部設計でのインターフェイスは、同じ仕様や規格で進められるし、商品がかぶる分野に関しては、お互いの強みのあるところを、相互補完し、WIN-WINの関係を模索するはずなのである。市場占有を両者で、1位2位を分け合うようにしましょうというぐらいの関係は出来ているはずなのである。両者の資本締結まで、当然、どこかで、結びつくことが考えられるのである。

 電機業界も、デジタル製品化の波を受けて、激しい業界の再編と事業提携へと動き出したのである。銀行と同じように、しがらみを越えて、業務提携をしなければ、グローバル市場に太刀打ちできなくなったようである。韓国の李明博新大統領のもと、韓国企業も、国のバックを受けて、勢力拡大を図るはずであるし、その裏には、中国企業の存在もあるのである。日本の官僚制度のように、事なかれ主義では、国家財政とおなじように、赤字がつづけば、しまいには、倒れる危険があるのである。国家は、破綻しないだろうが、民間企業は、つぶれてしまう可能性があるのである。東芝だって、日立だって、トヨタだって、松下だって、赤字を出し、それが積もり積もれば、つぶれてしまうこともありうるのである。銀行や証券や医薬品が、国際競争力がなかったために、いち早く再編が起きたのである。その波がお家芸だった家電や事務機器まで押し寄せているのである。

 世の中の動きは、加速度的にデジタル化、高品質化、高密度化、ハイスピード化、そして、省エネ化、コンパクト化、多機能化に流れているのである。これを一社で、まかなうことは出来なくなるのである。市場が、国内から海外へとシフトしていっているのである。戦国時代では、それぞれが、力を蓄え、覇権を争っていたのである。しかし、国内だけではなく、海外との覇権が出てきたのである。それが明治維新である。幕末の黒船来襲から、日本が近代国家として明治政府を立ち上げ、そして、廃藩置県を行い、中央集権的国家として、生まれ変わらなければ、日本も列強の植民地になったのである。それと同じことをしなければ、つまり、日本のお家芸の家電産業にも、集約化を進めなければ、もはや、台頭してきた韓国、中国企業も含めての国際競争に対応できなくなったのである。

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nano3000xp at 17:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!
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