2008年01月
2008年01月31日
中国製ギョーザ中毒問題、食の安全とは、
食品偽装が、一巡して、もう大丈夫かと思った矢先、とんでもないことが起きた。中国製のギョーザに農薬が検出されたとのことである。これは、非常に、複雑な問題をはらんでいるのである。たとえば、日本でもあったように、洗浄不足から、菌が発生し、それが製品に混ざってしまった、そのために食中毒が起きてしまった。ノロウイルスや、O-157のように、食材の中に混入されたり滅菌が不十分だったりして、食中毒がおきることもある。もちろん、誰かが、人為的に農薬を混入させることもできる。操作手順がきちんとしていても、素材に混入している場合もあるのである。医薬品には、無菌をどのように保障し、そして、人為的なミスを排除させるようなシステムがある。それに準じて医薬品は管理され製造される。その厳しい管理下におかれた医薬品であっても、薬害肝炎やHIVのように、菌が混入する場合もあるのである。水際で食い止めようにも、それが膨大であれば、確率的に起こりうる可能性はあるのである。アメリカの牛肉でもそうであり、100%絶対に安全だというのは、ありえないのである。99%以上、安全でも、あとは小数点の9をどれだけ伸ばせるかの問題になるのである。最終的には、コストとの問題が出てくるのである。スペースシャトルでも事故は起こるのである。
人間には、自己防衛力、免疫力があり、体に害があるものが入れば、できるだけ、排除しようとする機能がある。腐ったものを食べれば、気分が悪くなり、嘔吐するか、下痢をして、悪いものを体内からできるだけ早く出そうとするのである。今回のケースは、いずれにしても、軽症で、死亡にいたる事例ではなさそうである。今回は、有機リン酸系の殺虫剤が原料に混入していたとのことであるが、いずれにしても、人為的なミスか、人為的な作為(故意)によって、混入したのは、たぶん、間違いはないのである。なぜなら、日本の会社は、定期的に、検査を実施しているからである。本来は、防腐剤や殺虫剤も、仮に混入して口の中にいれてもいいものを使えば、問題はないのであるが、それが出来ないのは、コストが掛かるからなのである。
私は、ここ10年近くは、中国にはいっていないが、それ以前には、仕事の関係で、たびたび、中国へはいった。その当時でも、中国の都市部と農村部での格差は激しかった。たぶん、今はそれ以上の開きがあるはずである。中国が変化したのは、都市部や沿岸地域だけであり、その間の地方都市は、一歩路地を入れば、相変わらず、昔のままにちがいないのである。報道によれば、農薬が混入した工場では、労使間で、トラブルが発生しているとのことである。一日、平均労働時間13時間、月給は、1000元(15000円)であり、日本との賃金格差は、1/10や1/20なのである。市場主義の考え方からすれば、それだけ、安い賃金で生産ができるのであれば、そこへ流れるのは、当たり前といえば当たり前なのである。
続きを読む
人間には、自己防衛力、免疫力があり、体に害があるものが入れば、できるだけ、排除しようとする機能がある。腐ったものを食べれば、気分が悪くなり、嘔吐するか、下痢をして、悪いものを体内からできるだけ早く出そうとするのである。今回のケースは、いずれにしても、軽症で、死亡にいたる事例ではなさそうである。今回は、有機リン酸系の殺虫剤が原料に混入していたとのことであるが、いずれにしても、人為的なミスか、人為的な作為(故意)によって、混入したのは、たぶん、間違いはないのである。なぜなら、日本の会社は、定期的に、検査を実施しているからである。本来は、防腐剤や殺虫剤も、仮に混入して口の中にいれてもいいものを使えば、問題はないのであるが、それが出来ないのは、コストが掛かるからなのである。
私は、ここ10年近くは、中国にはいっていないが、それ以前には、仕事の関係で、たびたび、中国へはいった。その当時でも、中国の都市部と農村部での格差は激しかった。たぶん、今はそれ以上の開きがあるはずである。中国が変化したのは、都市部や沿岸地域だけであり、その間の地方都市は、一歩路地を入れば、相変わらず、昔のままにちがいないのである。報道によれば、農薬が混入した工場では、労使間で、トラブルが発生しているとのことである。一日、平均労働時間13時間、月給は、1000元(15000円)であり、日本との賃金格差は、1/10や1/20なのである。市場主義の考え方からすれば、それだけ、安い賃金で生産ができるのであれば、そこへ流れるのは、当たり前といえば当たり前なのである。
続きを読む
2008年01月30日
つなぎ法案を強行、暫定は10年延命、自民党崩壊、日本経済は復活する。
どう考えても、この自民党のやり方は、おかしい。今のやり方をどうしても死守したいと必死である。最後の断末魔に近いものを感じる。つなぎ法案(ブリッジ法案)をもって、結局、道路特定財源は、10年間、維持されるだろう。議会民主主義のルールをもって、参議院選挙の民意を無視して、強行していくはずである。今回の民主党の戦略を、誰がつくったかわからないが、実にうまいやり方であり、自民党よりも、賢い参謀がいると推察する。ヘドロ化した年金の問題を、水面上に浮上させ、年金がいかに、ふざけた形で、政治家や官僚の欲望のだしに使われたかを国民の前に提示したのである。それと、おなじように、ガソリン値下げ隊を結成し、世論を注目させ、ガソリンが道路特定財源と密着し、それが、この国のシステムをいかに硬直化してきたかを見せようとしているのである。たぶん、自民党は、色んな屁理屈をつけて、強行していくはずである。そして、世論は、福田政権への不支持を募らせるはずである。
もう、結果は、見えている。自民党としては、自分たちの利益を守ろうとするはずである。強行突破した後、そして予算成立後、福田首相は、その責任をとって、安部前首相と同じように、辞意を表明し、麻生太郎前幹事長に政権をゆだねるはずである。自民党は、自分たちの利権や組織を守るためには、誰とでも手を組むことなど朝飯前だからである。なぜ、麻生太郎氏なのかは、簡単である。今回の大阪府知事選挙での、橋下徹新知事の得票率をみたからである。もし、橋下新知事のようなキャラクターを担がなければ、絶対に勝てなかったからである。洞爺湖サミットを福田首相の下で出来るかどうかは、今回の暫定税率での民意の反発しだいなのである。ただし、次の参議院選挙前には、必ず衆議院選挙がある。任期満了であっても、来年にはある。衆議院選挙で、勝てる首相をもってこなければ、話にはならない。橋下大阪府知事のような、キャラクターを持っている人は、もはや自民党には、麻生太郎氏以外にはいないからである。
ものは、いつか崩壊する。自民党という組織は、すでに、老化現象を起こしている。酸素を供給してやらなければ、自力では存続できない組織体なのである。公明党の組織の集票力がなければ、すでに終わっているのである。しかし、その公明党の最大支持組織、創価学会も、少子高齢化現象で、いつか、力を失うことは世の流れなのである。多かれ少なかれ、今の状態がそのまま続くことはできないのである。いつの世でも、平家物語のおごれるものは久しからず、盛者必衰の理が機能するのである。そう、今までは、この国を陰で支えてきたのが、官僚組織なのである。そして、能力的には、日本の上場会社の経営者よりも上なのである。官僚の人たちの視点から物事をみると、これだけ、日本を支えてきたのは、俺たちのおかげなのだ、税金で、官舎を作ったり、ある程度、遊興費で消費して何が悪い、俺たちが、支えなければ、自民党の政治家など、ぼんくらで、外交も地方自治も何もかも、できない、だから、俺たちに優位になるようにするのは、当然なのだ。俺たちは、国家上級試験をパスしてきたキャリアなんだぞ、普通の人たちと違うのだ。だから、当たり前なのだ。と中央官僚の人たちは、心の中で思っているのである。そのゆがんだ心が、この国のありかを歪曲化したのである。本来は、サブプライムローンの問題は、日本に影響がなかったはずである。しかし、それによって、ダメージを受けたのは、日本なのである。
続きを読む
もう、結果は、見えている。自民党としては、自分たちの利益を守ろうとするはずである。強行突破した後、そして予算成立後、福田首相は、その責任をとって、安部前首相と同じように、辞意を表明し、麻生太郎前幹事長に政権をゆだねるはずである。自民党は、自分たちの利権や組織を守るためには、誰とでも手を組むことなど朝飯前だからである。なぜ、麻生太郎氏なのかは、簡単である。今回の大阪府知事選挙での、橋下徹新知事の得票率をみたからである。もし、橋下新知事のようなキャラクターを担がなければ、絶対に勝てなかったからである。洞爺湖サミットを福田首相の下で出来るかどうかは、今回の暫定税率での民意の反発しだいなのである。ただし、次の参議院選挙前には、必ず衆議院選挙がある。任期満了であっても、来年にはある。衆議院選挙で、勝てる首相をもってこなければ、話にはならない。橋下大阪府知事のような、キャラクターを持っている人は、もはや自民党には、麻生太郎氏以外にはいないからである。
ものは、いつか崩壊する。自民党という組織は、すでに、老化現象を起こしている。酸素を供給してやらなければ、自力では存続できない組織体なのである。公明党の組織の集票力がなければ、すでに終わっているのである。しかし、その公明党の最大支持組織、創価学会も、少子高齢化現象で、いつか、力を失うことは世の流れなのである。多かれ少なかれ、今の状態がそのまま続くことはできないのである。いつの世でも、平家物語のおごれるものは久しからず、盛者必衰の理が機能するのである。そう、今までは、この国を陰で支えてきたのが、官僚組織なのである。そして、能力的には、日本の上場会社の経営者よりも上なのである。官僚の人たちの視点から物事をみると、これだけ、日本を支えてきたのは、俺たちのおかげなのだ、税金で、官舎を作ったり、ある程度、遊興費で消費して何が悪い、俺たちが、支えなければ、自民党の政治家など、ぼんくらで、外交も地方自治も何もかも、できない、だから、俺たちに優位になるようにするのは、当然なのだ。俺たちは、国家上級試験をパスしてきたキャリアなんだぞ、普通の人たちと違うのだ。だから、当たり前なのだ。と中央官僚の人たちは、心の中で思っているのである。そのゆがんだ心が、この国のありかを歪曲化したのである。本来は、サブプライムローンの問題は、日本に影響がなかったはずである。しかし、それによって、ダメージを受けたのは、日本なのである。
続きを読む
2008年01月29日
ガソリン国会、ブリッジ法案、この国のあり方、最後の抵抗勢力
一度決めたことを、この国は、どうしても見直すことができない。その勇気がないと思うしかない。揮発油税の暫定税率は、あくまでも暫定処置として、延々と、先延ばししてきた。これが、今年の3月末に切れる。いつまで、こんな状況を放置しておくのだろうか、世間の状況は変わっている。人の心も変化する。世の中は、流転しているにも関わらず、一度、手に入れた利権や特権は、どうしても、手放さないという考えが、この国の指導者や中央の官僚にはあるようだ。これは、まったく、太平洋戦争末期の大本営と類似している。この国の組織が肥大化してくれば、一つ一つの組織や団体が、お互いを牽制し、組織の運動を固化してしまう。そのように見える。その上の指導者は、それを傍観しているにすぎない。改革、改革といっても、結局は、この国のあり方は、変わらない。相変わらず、利権や特権をもった連中が、闇の中で跋扈している。一度手に入れて、当たり前のようになった財務(税金)を、どうしても失いたくないという感じである。自民党は、暫定税率が廃止されれば、道路はつくれなくなり、地方の税収が減る、だから、廃止できないという。もともと、暫定税率は、あくまで、暫定であり、時限立法なのである。分かっていたはずである。なら、参議院選挙前に、与党が衆参で多数を持っていたときに、なぜ、それほどまで主張するなら、法改正して、恒常立法として審議しなかったかである。
いつも、先延ばし、都合の悪いことはごまかして、口当たりのいい話で、延命しようとする。明治維新も、外圧でつぶれたのであり、太平洋戦争も、外圧でしか敗戦を迎えられなかったのである。バブル崩壊後の混乱も、結局、外圧で終焉したのである。この国の体制は、いつの世でも、自立的な改革で、立て直したことはないのである。結局、小泉改革も、安部前首相の改革も、小手先だけで、何も変わらなかったのである。そう、この国の体制を変えるのは、いわば、今流の言葉でいうなら、政権交代しかないのである。
団塊の世代の人々が、戦後の高度成長から今まで、日本経済を引っ張ってきた、その人たちが、定年を迎え、お迎えがくるまでの新たなセカンドライフへ突入するのである。年金、社会保障の問題で、まったく、この国のあり方が問われるのである。エネルギーをどんどん使い、物を大量に消費する時代は、終わったのである。それにも関わらず、この国の仕組みは、旧態依然の状態なのである。動脈硬化を起こしているのである。一時、改革だ、小泉改革だ、と浮かれたとき、出てきたのが、ホリエモンや村上ファンドや折口グッドウイルである。彼らが、何をして何を社会にもたらしたかは、自明の理である。そう、日本人、私も含めてこの国の人々は、一度出来たシステムが肥大化し動脈硬化を起こしても、いつでも一億総玉砕的な思考でしか事があたれないのである。勇気をもって、自分から変革できる能力がないのである。他力本願的に、外部の力を借りて、変革することしかできないのである。
続きを読む
いつも、先延ばし、都合の悪いことはごまかして、口当たりのいい話で、延命しようとする。明治維新も、外圧でつぶれたのであり、太平洋戦争も、外圧でしか敗戦を迎えられなかったのである。バブル崩壊後の混乱も、結局、外圧で終焉したのである。この国の体制は、いつの世でも、自立的な改革で、立て直したことはないのである。結局、小泉改革も、安部前首相の改革も、小手先だけで、何も変わらなかったのである。そう、この国の体制を変えるのは、いわば、今流の言葉でいうなら、政権交代しかないのである。
団塊の世代の人々が、戦後の高度成長から今まで、日本経済を引っ張ってきた、その人たちが、定年を迎え、お迎えがくるまでの新たなセカンドライフへ突入するのである。年金、社会保障の問題で、まったく、この国のあり方が問われるのである。エネルギーをどんどん使い、物を大量に消費する時代は、終わったのである。それにも関わらず、この国の仕組みは、旧態依然の状態なのである。動脈硬化を起こしているのである。一時、改革だ、小泉改革だ、と浮かれたとき、出てきたのが、ホリエモンや村上ファンドや折口グッドウイルである。彼らが、何をして何を社会にもたらしたかは、自明の理である。そう、日本人、私も含めてこの国の人々は、一度出来たシステムが肥大化し動脈硬化を起こしても、いつでも一億総玉砕的な思考でしか事があたれないのである。勇気をもって、自分から変革できる能力がないのである。他力本願的に、外部の力を借りて、変革することしかできないのである。
続きを読む
2008年01月28日
大阪府知事選、橋下徹新知事、誕生、多難な船出
圧倒的な強さをもって、大阪府知事に、橋下徹氏が当選した。新知事の誕生である。当然といえば、当然の結果である。明らかに、知名度の問題である。宮崎県でも、そうであったし、今回の橋下新知事でも実証された。既存の政治家に対して、仮にそこに、専門の知識があったとしても、民意は、それに価値を置いていないことが実証されたのである。逆に言えば、官僚的に見える人は、そこに、利権誘導がない場合には、NOという民意が下されることになるのである。宮崎の東国原知事や、大阪の橋下新知事のような、実直さが評価される時代なのである。その感覚で、小泉元首相や安部前首相も、支持を得られたのである。いわゆる、ポピュリズムに近い洗脳が幅を利かせるのである。なぜなら、大衆には、その裏についている官僚や組織のエゴを隠す効果など分からないからである。いわゆる、傀儡政権的な要素を持つのである。東国原知事にしても、橋下新知事にしても、県単位の行政を動かすには、多くの人が関わるからである。議会、政党、役所、商工会議所、各関連団体、都道府県に付随する市町村の行政府、それぞれが、それぞれの利権を要求しだすからである。結局は、橋下新知事のバックに、それを推し進める参謀やそれを支持する組織がないからである。かつての横山ノック知事や東京都の青島知事や長野県の田中知事のように、なるのは、必定なのである。すべてを、NOといったら、機能が麻痺するのである。
役所の仕事は、誰がやってもできるのである。だから、逆に誰もが出来なくする必要があるのである。行政の末端まで、その考え方がこびりついているのである。なぜなら、誰がやってもできることなら、役人は要らないからである。誰もができなくし、複雑化する、それが役所の仕事なのである。役所の専門用語、役所の書類のスタイル、一言でおわることを、一ページにわたって、述べるのである。非効率なのである。そう、役所とは、そういうものなのである。たまねぎのように、一皮、一皮、むいて、諭して、改革していても、最後に到着した残った芯をみて、唖然とするのである。何もないからである。そのとき、時間の浪費を感じ、空しさを感じるのである。正しく、ざるなのである。ざるで、水をくみ出す作業なのである。たぶん、橋下新知事は、行政の内部に入って、その有様を外部から見るのでなく、内部として実感するはずである。その矛盾に苛立ちを覚えるはずである。改革していきたい、しかし、できない、物言わぬ不可解な組織、中核を持たない、役人の集合体を前にして、ある程度の妥協を認めざるをえないのである。諦めに似た空しさを感じるはずである。
そう、大阪府には、政令指定都市の大阪市と堺市が、厳然と存在し、結局、橋下新知事は、大阪市や堺市の内部に、口を挟めないからである。他の都道府県と大阪が決定的に違うのは、大阪府よりも、権限の強い、市民直轄の日本で一番大きい政令指定都市大阪市が、内包されているからである。だから、大阪府知事に、出来ることは、あまりないのである。大阪府にあるのは、巨大な借金なのである。もうすでに、夕張市と同じように、破綻しているのである。
続きを読む
役所の仕事は、誰がやってもできるのである。だから、逆に誰もが出来なくする必要があるのである。行政の末端まで、その考え方がこびりついているのである。なぜなら、誰がやってもできることなら、役人は要らないからである。誰もができなくし、複雑化する、それが役所の仕事なのである。役所の専門用語、役所の書類のスタイル、一言でおわることを、一ページにわたって、述べるのである。非効率なのである。そう、役所とは、そういうものなのである。たまねぎのように、一皮、一皮、むいて、諭して、改革していても、最後に到着した残った芯をみて、唖然とするのである。何もないからである。そのとき、時間の浪費を感じ、空しさを感じるのである。正しく、ざるなのである。ざるで、水をくみ出す作業なのである。たぶん、橋下新知事は、行政の内部に入って、その有様を外部から見るのでなく、内部として実感するはずである。その矛盾に苛立ちを覚えるはずである。改革していきたい、しかし、できない、物言わぬ不可解な組織、中核を持たない、役人の集合体を前にして、ある程度の妥協を認めざるをえないのである。諦めに似た空しさを感じるはずである。
そう、大阪府には、政令指定都市の大阪市と堺市が、厳然と存在し、結局、橋下新知事は、大阪市や堺市の内部に、口を挟めないからである。他の都道府県と大阪が決定的に違うのは、大阪府よりも、権限の強い、市民直轄の日本で一番大きい政令指定都市大阪市が、内包されているからである。だから、大阪府知事に、出来ることは、あまりないのである。大阪府にあるのは、巨大な借金なのである。もうすでに、夕張市と同じように、破綻しているのである。
続きを読む
2008年01月27日
白鵬と朝青龍、東西横綱の心と心の対決、白鵬の義が勝つ。
ヒール役の朝青龍、あれだけのブーイングを受けて、よく、心を立て直したと、それだけは、さすがと賞賛する。朝青龍は、結局、ひとりで、自分のプライドを守ったことになる。横綱審議委員の内館牧子委員からは、激しいバッシングをうけ、出場停止中に、引退を勧告された。朝青龍が二日目に稀勢の里に敗れてから、何とかがんばろうと必死だった。白鵬も、10日に安馬にまけてから、東の横綱の意地を見せてきた。これは、心技体の心を持ち直したからである。二人の横綱をみていると、心が技と体を支配していることが、わかるのである。この憎らしいほど強い朝青龍も、相撲以外で受身に立てば、心からくずれるのである。内館委員から、痛烈な言葉を浴びせかけられても、相撲以外には能がない朝青龍は、何も言えず、じっとこらえるしかなかったのである。積み木くずしのように、そこまで、いわれるなら、やめたといって、モンゴルにかえっても、所詮、朝青龍から、相撲をとったら、たんなるモンゴルのにいちゃんでしかなくなるのが分るから、やめたとはいえないである。これを乗り切らなければ、過去の栄光もすべてが水の泡になり、いいところをすべて、白鵬に取られてしまう。朝青龍の中には、そんな思いがあったはずである。白鵬だけには、まけられぬ思いで、千秋楽まで自分の体を支えてきたのである。もちろん、白鵬は、白鵬で、先輩、朝青龍のようにわがままに生きられぬ自分に対しての苛立ちを相撲の中で昇華しようとしているのである。白鵬と朝青龍、これは、静と動、理と情のぶつかり合いなのである。
私は、テレビでじっと、対戦を見ていた。朝青龍も、気迫が十分だった。それ以上に、静かな白鵬には、負けられない強い意地があったように見えた。朝青龍は、二場所も、自分の勝手で、仕事を放棄し、相撲全体の秩序を乱した。強いから許される。強いから、わがままが許される。控えめな白鵬は、朝青龍を批判した。それは、横綱ではない。たとえ、それが、モンゴルでは許されても、日本では許されない。それを許してはいけない。それが、自分をここまで大きくしてくれた日本の相撲社会に対しての恩返しだ、自分は、東の正横綱だ、ここでは、絶対に負けられない、そのような思いをもって白鵬が、仕切りを繰り返している。そう思っているに違いないと感じた。だから、朝青龍よりも大きく、力強く見えた。
白鵬のほうが、朝青龍よりも、一歩強く踏み込んだ立会いだった。がっぷりと、両者が上手をとりあった。双方腰を割っての、激しいひきつけあいがあった。白鵬は、一歩も引けをとらなかった。朝青龍も立派だった。白鵬が腰をわって、寄りに出たところを、朝青龍は、白鵬をつって、体をかわそうとした。しかし、稽古不足は、そのときにでた、責めているときは、見えないが、防御にまわったとき、稽古不足での弱点がでてくるのである。朝青龍が白鳳を持ち上げたとき、朝青龍の腰がのび、朝青龍の重心が上にいったのである。白鵬は、すかさず、うわてから、朝青龍を投げたのである。勝負は、きまったのである。朝青龍は、一回転して、土俵にしりもちをついたのである。そのとき、朝青龍は、なぜ、まけたのか、わからないように、きょとんとした顔をしたのである。一方の白鳳は、きりっと口を結び、天に、強い視線をあげ、一呼吸、結んだ口から、吐き出したのである。そして、目をはっきりと開き、再度、呼吸を整えたのである。
続きを読む
私は、テレビでじっと、対戦を見ていた。朝青龍も、気迫が十分だった。それ以上に、静かな白鵬には、負けられない強い意地があったように見えた。朝青龍は、二場所も、自分の勝手で、仕事を放棄し、相撲全体の秩序を乱した。強いから許される。強いから、わがままが許される。控えめな白鵬は、朝青龍を批判した。それは、横綱ではない。たとえ、それが、モンゴルでは許されても、日本では許されない。それを許してはいけない。それが、自分をここまで大きくしてくれた日本の相撲社会に対しての恩返しだ、自分は、東の正横綱だ、ここでは、絶対に負けられない、そのような思いをもって白鵬が、仕切りを繰り返している。そう思っているに違いないと感じた。だから、朝青龍よりも大きく、力強く見えた。
白鵬のほうが、朝青龍よりも、一歩強く踏み込んだ立会いだった。がっぷりと、両者が上手をとりあった。双方腰を割っての、激しいひきつけあいがあった。白鵬は、一歩も引けをとらなかった。朝青龍も立派だった。白鵬が腰をわって、寄りに出たところを、朝青龍は、白鵬をつって、体をかわそうとした。しかし、稽古不足は、そのときにでた、責めているときは、見えないが、防御にまわったとき、稽古不足での弱点がでてくるのである。朝青龍が白鳳を持ち上げたとき、朝青龍の腰がのび、朝青龍の重心が上にいったのである。白鵬は、すかさず、うわてから、朝青龍を投げたのである。勝負は、きまったのである。朝青龍は、一回転して、土俵にしりもちをついたのである。そのとき、朝青龍は、なぜ、まけたのか、わからないように、きょとんとした顔をしたのである。一方の白鳳は、きりっと口を結び、天に、強い視線をあげ、一呼吸、結んだ口から、吐き出したのである。そして、目をはっきりと開き、再度、呼吸を整えたのである。
続きを読む
2008年01月26日
江原啓之さんの霊視と小倉優子さんのこりん星とは同類のパフォーマンス
スピリチュアル・カウンセラー江原啓之さんとは、実にうまいネーミングをつけたものだと、感心する。私は、この人たちを否定するつもりはない。いわば、相手の不安心理をうまく読み、相手が求めている答えをそれらしく助言してくれる人たちなのである。商売としては、元手は、ない。自分で感じたものが元手になる。それと、自分の声色、話術、容姿なのである。営業マンとしてみれば、最高の営業マン、詐欺師とみれば、最高の詐欺師、洗脳家としてみれば、最高の洗脳家なのである。いわば、霊や霊界という仮想な世界を信じさせ、そこからのお告げとして、自分が感受したものを伝えるのである。それで、収益があがるのであるから、これほど、美味しい仕事はないのである。そう、江原啓之さんは、ある意味、最高の営業マンであり、最高の詐欺師であり、最高の洗脳家なのである。
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、1月21日にフジテレビ番組内での江原啓之さんが関与した番組の一部について、「制作上の倫理に反するものと判断する」とした委員会決定意見を発表した。「一方的に、スピチュアルいった非科学的なカウンセリングを押し付けていいのか」という問題点も指摘した。その内容を読んだが、当たり前のことを書いてあるにすぎない。問題にしたのは、下記の点である。東北の美容院経営の女性が被災者にリンゴを贈るボランテア活動をしている。そのことを、亡き父やその経営者の関連の人が、よくやっている。あっぱれと肯定し応援するなら、まだいいものを、よりによって、亡き父からのメッセージとして、女性の善意のボランテア活動を、美容院経営をおろそかにしていると批判的に言ったのである。当然に、その女性はフジテレビに抗議したのである。
この手の霊視や霊感商法的なやり方は、ある意味、えげつないやり方なのである。人の不安は、やはり、死後の世界なのである。人は不安なのである。自分とはなんなのか、死とは、何なのか、まともな人で、死を不安に感じていない人はいないのである。日本民族も、ある意味血縁意識の強い民族である。西国浄土や極楽浄土をどこかで夢見ているのである。あの世に、自分を生んでくれた祖先がいる、その霊が住んでいると感じているのである。身近な人が死ぬ、自分もいつか死んで、そこで再度いっしょになれる。そう、思っているから、今日を生きていられるのである。特攻で死んでいった戦友にも、俺も明日はお前のところへいくと感じていたから、飛び立てば、再びこの世で再会することができない戦友を送り出すことができたのである。日本人としては、その場とは、神聖なものなのである。その場を見ることができると称し、そこにいる亡き父からだと、適当なことをいって、相手の善意の気持ちを逆なでする行為は、卑怯な行為といわざるをえないのである。それを公共の電波を使っていったのであるから、これは一つのショーであると切り捨てるわけにはいかないのである。相手に実害がでれば、それは、モンキーの夜店の芸と同じとはいえないのである。モンキーが賢い芸をしたり、愉快な芸をすれば、拍手喝采である。しかし、突然、そのモンキーが客先にとびかかり、客の首の血管を引っかき、その観客を死亡させたら、それも、芸のうちですとは、いえなくなるのである。モンキーは、すぐに射殺されるはずである。
続きを読む
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、1月21日にフジテレビ番組内での江原啓之さんが関与した番組の一部について、「制作上の倫理に反するものと判断する」とした委員会決定意見を発表した。「一方的に、スピチュアルいった非科学的なカウンセリングを押し付けていいのか」という問題点も指摘した。その内容を読んだが、当たり前のことを書いてあるにすぎない。問題にしたのは、下記の点である。東北の美容院経営の女性が被災者にリンゴを贈るボランテア活動をしている。そのことを、亡き父やその経営者の関連の人が、よくやっている。あっぱれと肯定し応援するなら、まだいいものを、よりによって、亡き父からのメッセージとして、女性の善意のボランテア活動を、美容院経営をおろそかにしていると批判的に言ったのである。当然に、その女性はフジテレビに抗議したのである。
この手の霊視や霊感商法的なやり方は、ある意味、えげつないやり方なのである。人の不安は、やはり、死後の世界なのである。人は不安なのである。自分とはなんなのか、死とは、何なのか、まともな人で、死を不安に感じていない人はいないのである。日本民族も、ある意味血縁意識の強い民族である。西国浄土や極楽浄土をどこかで夢見ているのである。あの世に、自分を生んでくれた祖先がいる、その霊が住んでいると感じているのである。身近な人が死ぬ、自分もいつか死んで、そこで再度いっしょになれる。そう、思っているから、今日を生きていられるのである。特攻で死んでいった戦友にも、俺も明日はお前のところへいくと感じていたから、飛び立てば、再びこの世で再会することができない戦友を送り出すことができたのである。日本人としては、その場とは、神聖なものなのである。その場を見ることができると称し、そこにいる亡き父からだと、適当なことをいって、相手の善意の気持ちを逆なでする行為は、卑怯な行為といわざるをえないのである。それを公共の電波を使っていったのであるから、これは一つのショーであると切り捨てるわけにはいかないのである。相手に実害がでれば、それは、モンキーの夜店の芸と同じとはいえないのである。モンキーが賢い芸をしたり、愉快な芸をすれば、拍手喝采である。しかし、突然、そのモンキーが客先にとびかかり、客の首の血管を引っかき、その観客を死亡させたら、それも、芸のうちですとは、いえなくなるのである。モンキーは、すぐに射殺されるはずである。
続きを読む
2008年01月25日
週刊文春の江原啓之さんの霊視の矛盾、霊視もひとつの話題です。
江原啓之さんが演じる霊視も、ひとつのパフォーマンスに過ぎない。芸人が芸を行い、それで収益を上げて、商売をしている。そして、それを受け入れる人がいるなら、それはそれでいいのである。問題は、それを霊感商法につなげ、被害者が出た場合である。その場合には、社会的制裁を受けなければならないのである。実害がなく、それを見ている人が、それでいいと感じれば、それでいいのである。プロレスと同じである。あくまで、霊視もショーなのである。キャバレーの歌謡、演芸ショーと同じなのである。夜店で、おさるさんが芸をして、お客さんが喜ぶのとおなじなのである。宝塚出身の女優の壇れいさんの亡き父を霊視のパフォーマンスをおこない、「お父さんは宝塚音楽学校の受験を理解し、見守っていた」と語って、あたかも霊視で、亡き父の霊が実在するかのように洗脳しても、それで救われる人がいれば、いいと感じる。実際に、壇さんの父親は生きていて、「一体、江原さんは、誰を『霊視』していたのか」、と文春が江原さんに質問しても意味がないのである。なぜなら、それはあくまでショーに過ぎないからである。
宗教と同じなのである。ある宗派の宗教を信じている人に、そんなの意味がない、それは違うよといったって、どうにもならないのである。なぜなら、何を信じようが、それを人に強要せず、そのことで、何かの実害がでなければ、それはそれでいいのである。そんなつまらないものを信じても、意味がないよといっても、逆に、俺に喧嘩を売っているのかと、言い返されるだけである。霊視も、それと同じこと、江原さんが、自分の能力を信じ、霊視と称して、亡き人の魂と交流して、その魂の声を伝えること、それが実在すると彼が信じていれば、人がどうのこうのいえるものではないのである。後は、それを信じる数が多いかどうかである。宗教というものは、そういうものなのである。日本一、その信者の数が多いのが、浄土真宗本願寺派と呼ばれる組織なのである。そして数は力になるのである。だから、昔から、数と数との闘争、宗教戦争が起きているのである。お互いがお互いを邪教と呼び合うからである。
続きを読む
宗教と同じなのである。ある宗派の宗教を信じている人に、そんなの意味がない、それは違うよといったって、どうにもならないのである。なぜなら、何を信じようが、それを人に強要せず、そのことで、何かの実害がでなければ、それはそれでいいのである。そんなつまらないものを信じても、意味がないよといっても、逆に、俺に喧嘩を売っているのかと、言い返されるだけである。霊視も、それと同じこと、江原さんが、自分の能力を信じ、霊視と称して、亡き人の魂と交流して、その魂の声を伝えること、それが実在すると彼が信じていれば、人がどうのこうのいえるものではないのである。後は、それを信じる数が多いかどうかである。宗教というものは、そういうものなのである。日本一、その信者の数が多いのが、浄土真宗本願寺派と呼ばれる組織なのである。そして数は力になるのである。だから、昔から、数と数との闘争、宗教戦争が起きているのである。お互いがお互いを邪教と呼び合うからである。
続きを読む
2008年01月24日
静岡県島田市24歳女性、品川貢さんをその妻と自分の父の前で殺害
2008年1月22日午後9時ごろ、静岡県島田市の市営住宅で、ひとつの殺人事件があった。毎日、どこかで、事件が起きている。テレビのニュースでも放送していた。朝のワイドショーでも、放映されていた。そのとき、コメンテイターは、この事件について、何も言えなかった。それほど、どろどろとした人間の深い闇が横たわっている、まるで、チャイコスフキーの交響曲、悲愴、第一楽章の重低音の不協和音を感じさせる不気味さと厭らしさと哀しさを感じさせるものなのである。女性化社会と少子化時代を象徴するような殺人事件なのである。それほど、強くマスコミに取り上げられるとは思えない。だから、一週間もすれば、忘れ去られるものであろう。事件の現象の奥に、この国の将来の人間関係絵図が隠されているように感じる。これは、たぶん、人事では済まされない事件なのである。
信じられないような、事件現場の人間の構図なのである。そこにいた人間関係をみるだけで、そこに行き着くまで、どれほどのごたごたや人の感情の起伏の変化があっただろうか、それを想像するだけで、すこし、おぞましさを覚えるのである。整理すると、こういう、構図になるのだ。殺された品川貢さんは、28歳、その妻は、姉さん女房で34歳、その間には子供がいる。品川さんは、入り婿として結婚したのである。どんな事情か分からない、ただ、その事実をみるだけで、おおよそ品川さんが置かれていた状態が推察できる。それが、品川貢さんにとって、心地よいものではなかった。だから、別の女性(24歳)と交際していた。どんな状況でこんなことになったか、わからない。その交際している女性の市営住宅の一室に、当初3人の人がいたのである。その交際している女性(24歳)と品川貢さんとその妻である。当然に、交際のもつれからの話し合いであったろう。常識的に見て、品川さんは、その交際している女性に、妻とは離婚し、一緒になるといったはずである。そこに、妻がいるということは、品川さんは、婿の立場から、離婚を言い出せず、交際している女性の悪口を言った可能性がある。姉さん女房である。妻の立場からみれば、夫を寝取られたことは、絶対に許すことが出来ないはずである。妻の立場からみれば、交際している女性への憎しみが募るはずである。妻から交際している女性への罵詈雑言があったはずであるし、物理的な攻撃があったことも想像される。実際に、その女性には、顔などに暴行を受けたあとがあったのである。
その交際している女性の父親が、娘に電話をしたのである。たぶん、そのときが修羅場の絶頂であったはずである。電話に出てこないので、その父親が娘のところに、いったのである。それで、人物は4人になったのである。品川さんの奥さんも、その娘さんの父親が入ってきたので、すこし収束したはずである。その後、何が話されたか分からない。交際している女性にとって必要なのは、品川さんが、奥さんと離婚し、旧姓にもどり、自分と世帯を持ってもらうことである。たぶんそうである。その奥さんとしては、品川さんは、入り婿である。姓を継がなければならない事情があるはずである。そのためには、離婚はできないはずである。この場合、選択肢は二つしかなかったのである。交際している女性と別れるか、奥さんと離婚するか、なのである。その時の重要なキーは、品川さんの意思だったのである。結果から見ると、品川さんは、どうも、奥さんの方を選んだ可能性があるのである。
続きを読む
信じられないような、事件現場の人間の構図なのである。そこにいた人間関係をみるだけで、そこに行き着くまで、どれほどのごたごたや人の感情の起伏の変化があっただろうか、それを想像するだけで、すこし、おぞましさを覚えるのである。整理すると、こういう、構図になるのだ。殺された品川貢さんは、28歳、その妻は、姉さん女房で34歳、その間には子供がいる。品川さんは、入り婿として結婚したのである。どんな事情か分からない、ただ、その事実をみるだけで、おおよそ品川さんが置かれていた状態が推察できる。それが、品川貢さんにとって、心地よいものではなかった。だから、別の女性(24歳)と交際していた。どんな状況でこんなことになったか、わからない。その交際している女性の市営住宅の一室に、当初3人の人がいたのである。その交際している女性(24歳)と品川貢さんとその妻である。当然に、交際のもつれからの話し合いであったろう。常識的に見て、品川さんは、その交際している女性に、妻とは離婚し、一緒になるといったはずである。そこに、妻がいるということは、品川さんは、婿の立場から、離婚を言い出せず、交際している女性の悪口を言った可能性がある。姉さん女房である。妻の立場からみれば、夫を寝取られたことは、絶対に許すことが出来ないはずである。妻の立場からみれば、交際している女性への憎しみが募るはずである。妻から交際している女性への罵詈雑言があったはずであるし、物理的な攻撃があったことも想像される。実際に、その女性には、顔などに暴行を受けたあとがあったのである。
その交際している女性の父親が、娘に電話をしたのである。たぶん、そのときが修羅場の絶頂であったはずである。電話に出てこないので、その父親が娘のところに、いったのである。それで、人物は4人になったのである。品川さんの奥さんも、その娘さんの父親が入ってきたので、すこし収束したはずである。その後、何が話されたか分からない。交際している女性にとって必要なのは、品川さんが、奥さんと離婚し、旧姓にもどり、自分と世帯を持ってもらうことである。たぶんそうである。その奥さんとしては、品川さんは、入り婿である。姓を継がなければならない事情があるはずである。そのためには、離婚はできないはずである。この場合、選択肢は二つしかなかったのである。交際している女性と別れるか、奥さんと離婚するか、なのである。その時の重要なキーは、品川さんの意思だったのである。結果から見ると、品川さんは、どうも、奥さんの方を選んだ可能性があるのである。
続きを読む
2008年01月23日
援助交際、金を求める少女と欲望の深みに落ちる大人との接点
売春防止法が制定されたのが、昭和31年5月24日である。売春防止法第2条により、売春とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいうのである。そう、それまでは、日本には公娼制度が存在していた。赤線と呼ばれるもので、いまでも、大阪の飛田では、その名残がある。その付近を散策すれば、これが日本の公娼制度、昔は、このようなところで、性のエネルギーを鎮めていたと感じることができる。普通の人は、その地域に一歩踏み入れたら、何かを感じるはずである。だから、その地域を避けて通る。
連日のように、変態の大人が、淫行を繰り返す。携帯やパソコンからの情報をもとに、金を求める少女と性的な関係をもつ。売春防止法でも、性行為、それ自体を罰してはいない。そう、束縛関係のない状態で、18歳以上の女性と性関係をもつこと、それ自体は、大枠では何も罰せられないのである。何故18歳以上かというと、平成11年5月26日に制定された児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律に抵触する恐れがあるからである。この法律の2条に、児童とは18歳に満たないものをいうと定義されているからであり、その中で児童買春とは、「児童、児童に対する性交等の周旋をした者、児童の保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)又は児童をその支配下に置いている者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等(性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいう。以下同じ。)をすること」と定義されているからである。後は、それぞれの地域の条例があり、それに抵触するかどうかなのである。そう、売春と買春の文字の違いをみてほしい。春を売る者と、春を買う者とが、区別されているのである。
千葉県いすみ市の天台宗の住職(75歳)が、36歳の女性に「お清め」や「お祓い」と称して性的暴行をしたとしても、75歳のよくぼけした変態住職は、民事上の損害賠償を求められただけで、逮捕されてはいないのである。山口県宇部市の松月院の25歳の僧侶末次容疑者が捕まったのは、当時15歳の女子高生を買春した容疑なのである。末次容疑者は2005年7月22日、東京都内のホテルで、18歳未満と知りながら当時15歳で高校1年だった少女に、現金5万円を渡す約束をしてわいせつな行為をした疑いなのである。児童買春・ポルノ禁止法違反なのである。この若き僧侶は、「セックスに自信がなかった。うぶな女の子、15歳くらいの子がよかった」などと動機を供述している。「仏門の世界にいる者が自分の欲望に負けた。被害者には大変申し訳ない」といっているのである。もし、18歳以上の女性であれば、この法律では捕まらなかったのである。若き僧侶であり、明らかに変態住職(75歳)とは、違うのである。この若き僧侶には、喝しかないのである。
遊ぶ金ほしさに売春する少女、売春防止法では、捕まえることはできない。なぜなら、そこに束縛ではなく、自由意志があるからである。処罰されるのは、買春の方なのである。後は条例により、補導や指導等の処罰があるのである。たぶん、法律ではどうすることもできないことなのである。社会が豊かになり、刺激を求めるようになっている。まして、飽食の時代であり、肉体は早く成長してしまうのである。成熟する肉体、未熟な精神、少女たちの脳は、いずれ生殖、出産にそなえ、性行為自体への準備をしているのである。そこに、刺激が入れば、閉じたつぼみは、自然と潤んで開いてくるのである。温暖化という刺激を受けて、樹木の花が季節を早めて咲く現象と似ているのである。だから、少女は、短絡的にすすむのである。お金がほしい、肉体は潤んできている。未熟な精神であり、それを自制する気持ちがなくなるのである。みんなもやっていると錯覚し、自分もその道に入るのである。そうして、一度、脳に快楽の道が出来てしまえれば、それを繰り返すだけである。麻薬と同じになるのである。
続きを読む
連日のように、変態の大人が、淫行を繰り返す。携帯やパソコンからの情報をもとに、金を求める少女と性的な関係をもつ。売春防止法でも、性行為、それ自体を罰してはいない。そう、束縛関係のない状態で、18歳以上の女性と性関係をもつこと、それ自体は、大枠では何も罰せられないのである。何故18歳以上かというと、平成11年5月26日に制定された児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律に抵触する恐れがあるからである。この法律の2条に、児童とは18歳に満たないものをいうと定義されているからであり、その中で児童買春とは、「児童、児童に対する性交等の周旋をした者、児童の保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)又は児童をその支配下に置いている者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等(性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいう。以下同じ。)をすること」と定義されているからである。後は、それぞれの地域の条例があり、それに抵触するかどうかなのである。そう、売春と買春の文字の違いをみてほしい。春を売る者と、春を買う者とが、区別されているのである。
千葉県いすみ市の天台宗の住職(75歳)が、36歳の女性に「お清め」や「お祓い」と称して性的暴行をしたとしても、75歳のよくぼけした変態住職は、民事上の損害賠償を求められただけで、逮捕されてはいないのである。山口県宇部市の松月院の25歳の僧侶末次容疑者が捕まったのは、当時15歳の女子高生を買春した容疑なのである。末次容疑者は2005年7月22日、東京都内のホテルで、18歳未満と知りながら当時15歳で高校1年だった少女に、現金5万円を渡す約束をしてわいせつな行為をした疑いなのである。児童買春・ポルノ禁止法違反なのである。この若き僧侶は、「セックスに自信がなかった。うぶな女の子、15歳くらいの子がよかった」などと動機を供述している。「仏門の世界にいる者が自分の欲望に負けた。被害者には大変申し訳ない」といっているのである。もし、18歳以上の女性であれば、この法律では捕まらなかったのである。若き僧侶であり、明らかに変態住職(75歳)とは、違うのである。この若き僧侶には、喝しかないのである。
遊ぶ金ほしさに売春する少女、売春防止法では、捕まえることはできない。なぜなら、そこに束縛ではなく、自由意志があるからである。処罰されるのは、買春の方なのである。後は条例により、補導や指導等の処罰があるのである。たぶん、法律ではどうすることもできないことなのである。社会が豊かになり、刺激を求めるようになっている。まして、飽食の時代であり、肉体は早く成長してしまうのである。成熟する肉体、未熟な精神、少女たちの脳は、いずれ生殖、出産にそなえ、性行為自体への準備をしているのである。そこに、刺激が入れば、閉じたつぼみは、自然と潤んで開いてくるのである。温暖化という刺激を受けて、樹木の花が季節を早めて咲く現象と似ているのである。だから、少女は、短絡的にすすむのである。お金がほしい、肉体は潤んできている。未熟な精神であり、それを自制する気持ちがなくなるのである。みんなもやっていると錯覚し、自分もその道に入るのである。そうして、一度、脳に快楽の道が出来てしまえれば、それを繰り返すだけである。麻薬と同じになるのである。
続きを読む
2008年01月22日
景気対策と株価対策、需要と供給のバランスです。株価は上昇します。
東証株価が下落している。上がったり下がったりして、トレンド基調は、下がり目である。1万3000円を割り込んでいる。経済活動は、買い手がいて売り手がいる。その裏には、人間の欲望がある。人間の欲望が経済活動を支え、株価を支え、景気を支えていることになる。その欲望が、無限大であれば、地球はパンクする。なぜなら、欲望こそ、エネルギーだからである。欲しいものを食べる。欲しいものをきる。欲しい家にすむ。欲しい車にのる。欲しいパソコンをつかう。欲しいゲームであそぶ。一人ひとりが、無制限に欲望を謳歌すれば、それだけ、環境が破壊される。今までの経済活動は、人間の欲望を充足する方向に動いていた。それは、事実である。低賃金で作れるところを探して、海外に生産拠点を移した会社もある。
需要は、人間の欲望である。欲望に限りはない。人よりもいいものを求めようとする。それが、原動力になる。そして、どんどんと消費され、地球の資源がごみとなる。リサイクルするのにも、莫大な金が掛かる。供給は、能力である。コスト、性能が能力を決めることになる。安くていいもので、それが需要を満たすものであれば、物は売れる。その需要の中に、物理的な欲望、心理的な欲望があり、その両方が満たされれば、物は売れやすくなる。それが自然の法則なのである。
株式も、人間の欲望である。投資で金をもうけようとする欲望から生まれる。紙切れになることを前提とすれば、誰も、株を買わない。当たり前の話である。株価が下がるのは、買い手が売り手よりも少ないからである。これも実態はないのである。A社の株が上がるのは、買い手が、そのA社が儲かることを期待するから上がるのである。東証の株価が下がるのは、買い手が、東証に上場している企業に期待感が持てないからである。業績や技術ではなく、期待がもてないと感じたからである。期待があって、すこしでも買い手が売り手よりも多くなれば、一気に株価は上昇する。そう、期待感は、明らかに、イメージなのである。イメージ戦略が下手だから、期待感がもてないのである。
海外投資家の比重が増えている。上場している会社で、海外投資家からの比重が大きい会社は、全般的に垢抜けている。HPも、英語版をつくり、しっかりとしたものをつくっている。日本人に対してのPRと海外投資家に対してのPRとは、おのずと違うのである。なぜ、日本の株価が低迷している原因は、そのPR不足やPRのやり方やPRの方法論が間違っているからである。業績も、技術力もある。潜在的な力は、日本の企業の方が強いのである。ものづくりに関しては、日本は、依然として世界のNO1の実力をもっているのである。それが株価に反映されないのは、その仕組みが少し煩雑なのである。どうも、日本という国が、他の国から見て、分かりづらいのである。
続きを読む
需要は、人間の欲望である。欲望に限りはない。人よりもいいものを求めようとする。それが、原動力になる。そして、どんどんと消費され、地球の資源がごみとなる。リサイクルするのにも、莫大な金が掛かる。供給は、能力である。コスト、性能が能力を決めることになる。安くていいもので、それが需要を満たすものであれば、物は売れる。その需要の中に、物理的な欲望、心理的な欲望があり、その両方が満たされれば、物は売れやすくなる。それが自然の法則なのである。
株式も、人間の欲望である。投資で金をもうけようとする欲望から生まれる。紙切れになることを前提とすれば、誰も、株を買わない。当たり前の話である。株価が下がるのは、買い手が売り手よりも少ないからである。これも実態はないのである。A社の株が上がるのは、買い手が、そのA社が儲かることを期待するから上がるのである。東証の株価が下がるのは、買い手が、東証に上場している企業に期待感が持てないからである。業績や技術ではなく、期待がもてないと感じたからである。期待があって、すこしでも買い手が売り手よりも多くなれば、一気に株価は上昇する。そう、期待感は、明らかに、イメージなのである。イメージ戦略が下手だから、期待感がもてないのである。
海外投資家の比重が増えている。上場している会社で、海外投資家からの比重が大きい会社は、全般的に垢抜けている。HPも、英語版をつくり、しっかりとしたものをつくっている。日本人に対してのPRと海外投資家に対してのPRとは、おのずと違うのである。なぜ、日本の株価が低迷している原因は、そのPR不足やPRのやり方やPRの方法論が間違っているからである。業績も、技術力もある。潜在的な力は、日本の企業の方が強いのである。ものづくりに関しては、日本は、依然として世界のNO1の実力をもっているのである。それが株価に反映されないのは、その仕組みが少し煩雑なのである。どうも、日本という国が、他の国から見て、分かりづらいのである。
続きを読む

