2008年02月
2008年02月29日
ロス疑惑 朝ズバ!レポーター村上允俊さん(79歳)、ご立派です。
ロス疑惑に関してみのさんの朝ズバ!を連日見ている。そこに、レポーターの村上允俊さんが出演されていた。番組では、1980年代のロス疑惑の過去のVTRを流している。そこに、50才後半の村上允俊さんとなくなられた一美さんのご両親の姿が写っている。映像に過去の時間が今、再現されているのである。私の脳裏にも、その映像が、どこか残っていた。遠い記憶のかなたから、その映像が私の中にも蘇った。そして、50才後半の村上さんと79歳になられた村上さんの映像がひとつに重なったのである。私は、最初、村上允俊さんを見たとき、えっと思った。テレビのテロップに、名前と年齢が映し出された。79歳、そのしっかりとした立ち振る舞い、容姿、声のはり、記憶の確かさ、言葉使い、何をみても、79歳とは、思えなかったのである。
昨日、今日と、ロスの疑惑の現場の駐車場に村上允俊さんは、しっかりとした足取りでたっていた。一美さんのご両親と昔一緒にこの現場を訪れたことを話されていた。今は、その一美さんの父親はこの世にはいない。一美さんがなくなられた後、数年後追いかけるように、なくなった。そのとき、一美さんの父親は一美さんが殺害された場所で起き上がれぬぐらいに泣き崩れたと、村上允俊さんは、今、それを語っていた。それを語るとき、79歳の村上さんの目頭が熱かったのが、テレビの画面から見て取れた。27年間の月日は、残酷である。そして、レポーターした時期は1985年である。あれから23年間の月日が流れているのである。村上允俊さんも、23年前は、56歳、その当時でも、若くバイタリティがあって、実年齢よりも若く見えたのである。
今の若者が、生まれる前の話なのである。中学3年か高校1年だった15歳の少年だったとしても、今は38歳のいい壮年のはずである。ロス疑惑の再浮上によって、誰もが、23年から27年の時間の流れを回顧するきっかけになったのである。確かに人の一生は不思議である。三浦和義さんは、日本でとりあえず法律的には無罪になったのである。殴打事件に関しては、刑に服して法律的には清算されているのである。社会的にみて、表立って、後ろ指を差される必要はないのである。三浦和義さんは60歳、23年前は、37歳、一番人生として、伸びて充実する時期なのである。そして、ロスで、60歳になって、再度、過去の因果を穿り返されようとしている。
何の因果か分からない。一度、終焉したものを、掘り返そうとしている。日本であったら、死者の魂を呼び戻すことはしない。御霊を鎮める方向へ動くはずである。
どんな力が働いたのであろうか、それは偶然なのだろうか、この世の隠された因果を証明することができない。癒されない、一美さんと一美さんの父親の御霊が、中空で、正義をうったえ、その波動が、ロサンゼルス市警の未解決事件犯のリックジャクソン捜査官にのりうつり、彼を動かしたというのだろうか、何かの強い隠れた力が働かない限り、アメリカ人はこうも積極的に、日本人の一人の女性の銃撃事件を掘り返したりはしないはずである。それも、27年まえに起きた事件である。風化し、時間の中に埋没して、忘れられる運命だったものを、再度、我々の意識の上においたのである。リックジャクソン捜査官もそうだし、銃撃事件を目撃したアメリカ人も、「一美さんには、真実を知る権利がある」と同じ事をいっているのである。死者に対しても、どこかで、それが生きていることを前提としていなければ、真実を知る権利とはいえないのである。日本人は、亡くなった一美さんに対して、真実を知る権利があるとは決していわない。死者に対しては、安らかに御霊を沈め、健やかにお休みくださいとしかいわないのである。
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昨日、今日と、ロスの疑惑の現場の駐車場に村上允俊さんは、しっかりとした足取りでたっていた。一美さんのご両親と昔一緒にこの現場を訪れたことを話されていた。今は、その一美さんの父親はこの世にはいない。一美さんがなくなられた後、数年後追いかけるように、なくなった。そのとき、一美さんの父親は一美さんが殺害された場所で起き上がれぬぐらいに泣き崩れたと、村上允俊さんは、今、それを語っていた。それを語るとき、79歳の村上さんの目頭が熱かったのが、テレビの画面から見て取れた。27年間の月日は、残酷である。そして、レポーターした時期は1985年である。あれから23年間の月日が流れているのである。村上允俊さんも、23年前は、56歳、その当時でも、若くバイタリティがあって、実年齢よりも若く見えたのである。
今の若者が、生まれる前の話なのである。中学3年か高校1年だった15歳の少年だったとしても、今は38歳のいい壮年のはずである。ロス疑惑の再浮上によって、誰もが、23年から27年の時間の流れを回顧するきっかけになったのである。確かに人の一生は不思議である。三浦和義さんは、日本でとりあえず法律的には無罪になったのである。殴打事件に関しては、刑に服して法律的には清算されているのである。社会的にみて、表立って、後ろ指を差される必要はないのである。三浦和義さんは60歳、23年前は、37歳、一番人生として、伸びて充実する時期なのである。そして、ロスで、60歳になって、再度、過去の因果を穿り返されようとしている。
何の因果か分からない。一度、終焉したものを、掘り返そうとしている。日本であったら、死者の魂を呼び戻すことはしない。御霊を鎮める方向へ動くはずである。
どんな力が働いたのであろうか、それは偶然なのだろうか、この世の隠された因果を証明することができない。癒されない、一美さんと一美さんの父親の御霊が、中空で、正義をうったえ、その波動が、ロサンゼルス市警の未解決事件犯のリックジャクソン捜査官にのりうつり、彼を動かしたというのだろうか、何かの強い隠れた力が働かない限り、アメリカ人はこうも積極的に、日本人の一人の女性の銃撃事件を掘り返したりはしないはずである。それも、27年まえに起きた事件である。風化し、時間の中に埋没して、忘れられる運命だったものを、再度、我々の意識の上においたのである。リックジャクソン捜査官もそうだし、銃撃事件を目撃したアメリカ人も、「一美さんには、真実を知る権利がある」と同じ事をいっているのである。死者に対しても、どこかで、それが生きていることを前提としていなければ、真実を知る権利とはいえないのである。日本人は、亡くなった一美さんに対して、真実を知る権利があるとは決していわない。死者に対しては、安らかに御霊を沈め、健やかにお休みくださいとしかいわないのである。
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2008年02月28日
山田太一さんの「頑張れば夢がかなうは幻想、それは成功者の傲慢」について
確かに、頑張れば、夢がかなうとは限らない。しかし、頑張らなければ、夢はかなわない。それは、確かである。努力しないで、成功した事例は、よほどのことがないかぎりない。この山田太一さんの言葉は、確かに、誤解を生み、それを自分自身の口実にすり替えてしまう可能性があるのである。「やっても、無理だ、それは幻想だ。だから、やめよう」と。基本的に面倒なことは、人はやりたがらないし、努力して、何かを作り上げることも、当然にしたくないのは、自然界の慣性の法則に適しているのである。意思がなければ、人間は、最低の基本的な生存を維持することしかしない。それが本能とよばれるものである。おなかがすいた。だから、ごはんを食べる。眠たい、だから、眠る。生殖の本能がでる。だから、異性をもとめる。それは、基本的にねこちゃんとわんちゃんと同じなのである。そこに意思が入ってくるのである。もちろん、したくなければ、しなければいい。そうなれば、置いてきぼりにされるだけである。だから、生きるために、何かをするのである。
頑張れば夢がかなうと当然のように思うのは幻想である。そう思い、夢がかなわなかった人を見下すことは、成功者の傲慢である。これであれば、誰もが納得するはずである。夢がかなうためには、ただ、頑張ればいいというものでもないのである。運、努力、マーケット、いろんな要素が絡んでくる。需要のないものを、仮にやっても、誰も評価してくれない。自己満足で、それでいいと諦められる人なら、それでいいのである。見込みのないものを、諦めずおこなうのも、確かに意味がない。終戦末期の日本軍部のようである。沖縄をとられ、広島、長崎に原爆を落とされても、国体の維持が担保されない限り、ポツダム宣言を受け入れるわけにはいかないと、軍部は、それでも一億総玉砕の旗の下、戦争を続行しようするものである。
しかし、もう一歩頑張れば、夢がかなう場合もあるのである。諦めずに、やり続けることで、道が開ける場合もあるのである。それが、一握りのエリートだけの特権かというと、そうではないのである。うまくいく人とうまくいかない人には、やはり、何かの違いがあるのである。頑張れば、夢がかなうのは、そういったうまくいく人だからなのである。うまくいかない人が、頑張っても夢がかなわないのは、うまくいかない人だからである。
うまくいかない人のタイプの人に、可能性のよき断念をいうことはいいことなのである。断念すれば、あらたな道が開ける可能性があるからである。いずれにしても、人には寿命がある。見果てぬ夢も、時間とともに、すぼむからである。どこかで、人は、可能性のよき断念を必ず行うからである。
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頑張れば夢がかなうと当然のように思うのは幻想である。そう思い、夢がかなわなかった人を見下すことは、成功者の傲慢である。これであれば、誰もが納得するはずである。夢がかなうためには、ただ、頑張ればいいというものでもないのである。運、努力、マーケット、いろんな要素が絡んでくる。需要のないものを、仮にやっても、誰も評価してくれない。自己満足で、それでいいと諦められる人なら、それでいいのである。見込みのないものを、諦めずおこなうのも、確かに意味がない。終戦末期の日本軍部のようである。沖縄をとられ、広島、長崎に原爆を落とされても、国体の維持が担保されない限り、ポツダム宣言を受け入れるわけにはいかないと、軍部は、それでも一億総玉砕の旗の下、戦争を続行しようするものである。
しかし、もう一歩頑張れば、夢がかなう場合もあるのである。諦めずに、やり続けることで、道が開ける場合もあるのである。それが、一握りのエリートだけの特権かというと、そうではないのである。うまくいく人とうまくいかない人には、やはり、何かの違いがあるのである。頑張れば、夢がかなうのは、そういったうまくいく人だからなのである。うまくいかない人が、頑張っても夢がかなわないのは、うまくいかない人だからである。
うまくいかない人のタイプの人に、可能性のよき断念をいうことはいいことなのである。断念すれば、あらたな道が開ける可能性があるからである。いずれにしても、人には寿命がある。見果てぬ夢も、時間とともに、すぼむからである。どこかで、人は、可能性のよき断念を必ず行うからである。
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2008年02月27日
ロス疑惑とイージス艦あたご事故、正義とは、日本に正義はあるのか
久しぶりに、テレビからいい言葉が聞こえてきた。それは、ロサンゼルス市警の未解決事件犯のリックジャクソン捜査官が25日に会見で述べた言葉だった。JUSTICE,正義という言葉だった。リックジャクソンさんの言葉を意訳すると、「一美さんや一美さんの遺族の人には、正義を受ける資格(権利)がある。我々は法律的に正義を実現することが可能であれば、それを遂行する立場にあり義務がある」なんて、崇高な理念をもった人なんだろうと、その熱い思いに、心が打たれてしまった。彼らが考える正義とは、一旦破壊されたものをあるべき状態にもどすこと、何かを交換したときに、それが、同じ状態(等価)になるようにするということらしい。それが、正義の理念だそうである。これが、西洋哲学から来る正義の本質ということらしい。私が今まで使ってきた日本語の正義とは、すこしニュアンスがことなるようだが、しかし、じっくりと考えてみれば、本質は同じことかもしれない。
そう、彼らは、正義で動いたのである。視点は、一美さんや一美さんの遺族にあるのである。その無念さや悲しみは、何かをしてやらなければ、永遠に癒されていないと感じているのである。それが、正義に反すると考えているのである。殺されたこと、命を奪われたこと、それを本来は、もどしてあげたい、しかし、失った命は復元しない、だから、その無念を晴らしてあげたい、正義の等価原理からすれば、一美さんの命を奪った犯人も同じ立場に立たなければならない。それが、目には目をという考えになるのかもしれない。人の命を奪った人に、時効は存在しない。他国で正義が実現されなければ、それが法律的に可能であれば、自国で正義を実現するように努力する。もし、しなければ、それは、正義に反するからなのである。明解な論理である。なぜなら、人は神のしたでは、平等であるべきだと考えるからである。そう、アメリカ人は考えるのである。日本人には、その感覚が乏しい、しかし、正義の定義が分かれば、何故逮捕したかが分かるのである。
たしかに、彼らからすれば、一美さんや一美さんの遺族の人には正義が実現されていないのである。日本で起これば彼らも捜査権はない。しかし、属地主義と属人主義の差から、彼らにも捜査する資格があり、逮捕する権利はあるのである。いまだに、一美さんの失ったものは、失ったままであり、復元されていないのである。復元し、等価にする機会があれば、それをやるのが、彼らの義務だと、正義を実現するのが、任務だと、考えたのである。最後まで諦めず正義を実現するまで最善の努力をする。
この年になるまで、私は、彼らが考える正義の本質を理解していなかった。アメリカにも何度かいったことがあるし、アメリカに友人もいる。JUSTICEを正義とは理解していたが、その本質までは理解していなかった。日本人が考える正義という概念をベースにして、英語を理解していた。日本の正義とは、正しいこと、では、その正しい義とはなんなのか、これは、感覚的なもので、あいまいになるのである。戦争中であれば、お国のために命を投げ出すことが、正しいことであり、それが正義となった。今の日本人に、正義とはなんなのか、と問えば、ほとんどが、私とおなじように感覚的な言葉になるか、ある宗教や考え方を信じていれば、その教えを実践することが正義ということになる。
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そう、彼らは、正義で動いたのである。視点は、一美さんや一美さんの遺族にあるのである。その無念さや悲しみは、何かをしてやらなければ、永遠に癒されていないと感じているのである。それが、正義に反すると考えているのである。殺されたこと、命を奪われたこと、それを本来は、もどしてあげたい、しかし、失った命は復元しない、だから、その無念を晴らしてあげたい、正義の等価原理からすれば、一美さんの命を奪った犯人も同じ立場に立たなければならない。それが、目には目をという考えになるのかもしれない。人の命を奪った人に、時効は存在しない。他国で正義が実現されなければ、それが法律的に可能であれば、自国で正義を実現するように努力する。もし、しなければ、それは、正義に反するからなのである。明解な論理である。なぜなら、人は神のしたでは、平等であるべきだと考えるからである。そう、アメリカ人は考えるのである。日本人には、その感覚が乏しい、しかし、正義の定義が分かれば、何故逮捕したかが分かるのである。
たしかに、彼らからすれば、一美さんや一美さんの遺族の人には正義が実現されていないのである。日本で起これば彼らも捜査権はない。しかし、属地主義と属人主義の差から、彼らにも捜査する資格があり、逮捕する権利はあるのである。いまだに、一美さんの失ったものは、失ったままであり、復元されていないのである。復元し、等価にする機会があれば、それをやるのが、彼らの義務だと、正義を実現するのが、任務だと、考えたのである。最後まで諦めず正義を実現するまで最善の努力をする。
この年になるまで、私は、彼らが考える正義の本質を理解していなかった。アメリカにも何度かいったことがあるし、アメリカに友人もいる。JUSTICEを正義とは理解していたが、その本質までは理解していなかった。日本人が考える正義という概念をベースにして、英語を理解していた。日本の正義とは、正しいこと、では、その正しい義とはなんなのか、これは、感覚的なもので、あいまいになるのである。戦争中であれば、お国のために命を投げ出すことが、正しいことであり、それが正義となった。今の日本人に、正義とはなんなのか、と問えば、ほとんどが、私とおなじように感覚的な言葉になるか、ある宗教や考え方を信じていれば、その教えを実践することが正義ということになる。
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2008年02月26日
中村中さんの音楽性と情念の世界について
源氏物語の系譜から見て、日本にはどちらかというと、女性的な文化が根強く生きている。紫式部は、光源氏やその不義の子、薫を主人公にして、それにまつわる女性の生き方を論じている。そして、女の情念の強さによって、業というものを表現している。愛と嫉妬に狂い、生霊となる六条御息所、色んな場面で、人間の裏に潜む業を霊という形で表現している。紫式部は鋭い感受性をもって、人間の裏を見ていたのである。したがって、源氏物語は、日本の文学として、最高の価値を有しているもののひとつである。その精神性は、一級品の価値はある。明らかに、中村中さんは、その裏にある日本文化の情念の世界を受けているのである。一言で言えば、声の美しさでもあるのである。源氏物語でも、笛の響きが主題と絡まっている。源氏物語の言葉の中に響く音楽性は、中村中さんが奏でる声の調べと同類なのである。
ボイストレーニングをして、私にも、その歌声の根源がどこからくるのかが分かるのである。それは、中村中さんが、自分をひとつの吹奏楽器としているのである。まさしく、森閑とした月夜に鳴り渡るひとつの笛の響きなのである。中村中さんの色々な曲をじっくりと聴いてみると、どこで呼吸し、どこにその息をあてているのか分かるのである。その音の高低差が複式呼吸から出る息の量と声帯の息がどこで響いているかによって、決まるのである。それを狂いなく制御しているのである。高音は、周波数が高い、つまり、どれだけ、息が咽喉腔の中で屈折し響いたかなのである。舌根を下げ、硬口蓋から軟口蓋へ掛けて、どこで息を屈折させるかが、分かるのである。鼻腔と咽喉腔の響かす割合も制御しているのである。それを安定的に、ぶれずに、うたえるのである。そして、そのきちっとした音程の制御、見事である。中村中さんは、性同一性障害といっても、体は男性なのである。のど仏は見えるし、声帯は男のものなのである。それでもって、あの高音域を見事に制御できるのは、それを訓練したからなのである。そこに、隠れた努力があるのである。でなければ、あれだけの美しい歌声は、虚空には響かないのである。ある意味、天才かもしれない。
音楽は、まさしく数学である。そして、時間軸に対する調和をもったエネルギーの変化でもある。美しく響くのは、重なる和音の調和なのである。声も波動である。人間の歌声も波動の重なりなのである。ただし、それだけでは、情念は伝わらない。人に感動は、伝播しないのである。どこかに、中村中さんの無意識に感受する流れがあるのである。人はそれを感じない。なぜなら、自分という自我がそれを邪魔するからである。中村中さんには、それがない。ある意味、自分を空(空っぽ)にすることが出来るのである。自分の我という壁を外すと、色々な人の情念が波として感じるのである。喜怒哀楽、人の哀しさ、人の寂しさ、人の優しさ、それが、情として、流れ落ちてくるのである。それが、満ち溢れているのが、源氏物語でもあるのである。中村中さんは、それを感じたのである。女の情念が、性となって、中村中さんの無意識の中へ溶けていったのである。女よりも女らしく、女の中に潜む情を、表現できるようになったのである。口紅をぬり、濡れた目で、じっと見つめる。その見つめる奥に、女の情念が燃えているのである。無意識に、まるで、どこからか聞こえる情の流れに中村中さんが反応するように、自然と女を演じれるのである。それは、歌舞伎や浄瑠璃のおんながたの系譜にもつながるのである。それが出来るから美しいのである。それを歌で表現できるのである。
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ボイストレーニングをして、私にも、その歌声の根源がどこからくるのかが分かるのである。それは、中村中さんが、自分をひとつの吹奏楽器としているのである。まさしく、森閑とした月夜に鳴り渡るひとつの笛の響きなのである。中村中さんの色々な曲をじっくりと聴いてみると、どこで呼吸し、どこにその息をあてているのか分かるのである。その音の高低差が複式呼吸から出る息の量と声帯の息がどこで響いているかによって、決まるのである。それを狂いなく制御しているのである。高音は、周波数が高い、つまり、どれだけ、息が咽喉腔の中で屈折し響いたかなのである。舌根を下げ、硬口蓋から軟口蓋へ掛けて、どこで息を屈折させるかが、分かるのである。鼻腔と咽喉腔の響かす割合も制御しているのである。それを安定的に、ぶれずに、うたえるのである。そして、そのきちっとした音程の制御、見事である。中村中さんは、性同一性障害といっても、体は男性なのである。のど仏は見えるし、声帯は男のものなのである。それでもって、あの高音域を見事に制御できるのは、それを訓練したからなのである。そこに、隠れた努力があるのである。でなければ、あれだけの美しい歌声は、虚空には響かないのである。ある意味、天才かもしれない。
音楽は、まさしく数学である。そして、時間軸に対する調和をもったエネルギーの変化でもある。美しく響くのは、重なる和音の調和なのである。声も波動である。人間の歌声も波動の重なりなのである。ただし、それだけでは、情念は伝わらない。人に感動は、伝播しないのである。どこかに、中村中さんの無意識に感受する流れがあるのである。人はそれを感じない。なぜなら、自分という自我がそれを邪魔するからである。中村中さんには、それがない。ある意味、自分を空(空っぽ)にすることが出来るのである。自分の我という壁を外すと、色々な人の情念が波として感じるのである。喜怒哀楽、人の哀しさ、人の寂しさ、人の優しさ、それが、情として、流れ落ちてくるのである。それが、満ち溢れているのが、源氏物語でもあるのである。中村中さんは、それを感じたのである。女の情念が、性となって、中村中さんの無意識の中へ溶けていったのである。女よりも女らしく、女の中に潜む情を、表現できるようになったのである。口紅をぬり、濡れた目で、じっと見つめる。その見つめる奥に、女の情念が燃えているのである。無意識に、まるで、どこからか聞こえる情の流れに中村中さんが反応するように、自然と女を演じれるのである。それは、歌舞伎や浄瑠璃のおんながたの系譜にもつながるのである。それが出来るから美しいのである。それを歌で表現できるのである。
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2008年02月25日
ロス疑惑、三浦和義氏 サイパン空港で逮捕、時間の逆流
日刊紙の一面に、“三浦和義”という漢字を見たとき、あれと感じた。もう、忘れていたはずのあの事件を思い出したからだ。今の若い人は分らないかもしれない、生まれる前の事件だからである。そして、これこそ、非常に微妙で複雑で、なんとも得体の知れないものだったのである。そして、新聞やネットは、今回のサイパンでの逮捕を事実として伝え、銃撃された一美さんの遺族へのインタビューを行った。当然に、マスコミがこの事件に対して、どうするか、特に、あれだけ、疑惑の銃弾で、世論を沸騰させた週刊文春や、ときどき、サンデージャポンでコメントする三浦和義氏(アメリカの視点では容疑者)を使っていたTBSが、この事実をどう報道するのか、注目するのである。アメリカからは、今回の逮捕に関して、FBI(アメリカ連邦捜査局)が、日本の警察庁に新しい証拠を発見したと連絡したのである。それに基づいて、三浦和義氏は逮捕されたのである。
もう、27年の月日がたっているのである。今40歳の人でも当時13歳、50歳の人でも、当時23歳、当時これほど、話題になった事件はないのである。連日、ワイドショーのキャスターが三浦和義氏を追いまわし取材を続けていた。特に、ミッキー安川さんは、独特の口調で、三浦氏を追い回していたのが、印象的だったのである。いまでも、ミッキー安川さんの独特の声は記憶にあるのである。もちろん、私もテレビも見ていたし、週刊誌も読んでいた。そして、心証的には、これはやったはずだと思ったのである。事実を振り返り、その後の彼の対応をみれば、まちがいなく、三浦氏はうまくやったと思ったのである。そう、私は、三浦氏とは、直接的な利害関係はない、だから、昔、TBSのサンデージャポンで、事件のコメンテイターとして、発言しているのを見ていたが、こうして時代は風化していくものだ、犯人役として、世間から激しく罵倒されていたが、一転して、そういう立場になるのかなと感慨をもったものである。
確かに、論理上、おかしいのである。その一美さん銃撃殺害事件の起きる前、1981年8月31日、ロスのホテルで、(三浦氏がホテルに不在中)一美さんが一人でいるとき、日本人女性が部屋にやってきて、一美さんの頭部を鈍器でたたいて、怪我を負わせたのである。もちろん、頭部を殴打したのであるから、殺人未遂である。これは、その共犯者(実行犯)が、告白したので、1985年11月に三浦和義氏は逮捕され、懲役に服したのである。今回の事案は、その事件の後におこったのである。1981年11月18日である。その殴打事件から約三ヵ月後である。ロサンゼルスの郊外の駐車場で、二人組の誰かにライフル銃で、三浦氏と一美さんが撃たれたのである。一美さんは頭部に、三浦氏は足に弾が当たったのである。一美さんは意識不明の重体になって、アメリカのヘリで日本に搬送されたが、残念ながら数ヵ月後意識がもどることなく日本で死亡したのである。そして、三浦さんは、保険金1億5500万円をもらったのである。
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もう、27年の月日がたっているのである。今40歳の人でも当時13歳、50歳の人でも、当時23歳、当時これほど、話題になった事件はないのである。連日、ワイドショーのキャスターが三浦和義氏を追いまわし取材を続けていた。特に、ミッキー安川さんは、独特の口調で、三浦氏を追い回していたのが、印象的だったのである。いまでも、ミッキー安川さんの独特の声は記憶にあるのである。もちろん、私もテレビも見ていたし、週刊誌も読んでいた。そして、心証的には、これはやったはずだと思ったのである。事実を振り返り、その後の彼の対応をみれば、まちがいなく、三浦氏はうまくやったと思ったのである。そう、私は、三浦氏とは、直接的な利害関係はない、だから、昔、TBSのサンデージャポンで、事件のコメンテイターとして、発言しているのを見ていたが、こうして時代は風化していくものだ、犯人役として、世間から激しく罵倒されていたが、一転して、そういう立場になるのかなと感慨をもったものである。
確かに、論理上、おかしいのである。その一美さん銃撃殺害事件の起きる前、1981年8月31日、ロスのホテルで、(三浦氏がホテルに不在中)一美さんが一人でいるとき、日本人女性が部屋にやってきて、一美さんの頭部を鈍器でたたいて、怪我を負わせたのである。もちろん、頭部を殴打したのであるから、殺人未遂である。これは、その共犯者(実行犯)が、告白したので、1985年11月に三浦和義氏は逮捕され、懲役に服したのである。今回の事案は、その事件の後におこったのである。1981年11月18日である。その殴打事件から約三ヵ月後である。ロサンゼルスの郊外の駐車場で、二人組の誰かにライフル銃で、三浦氏と一美さんが撃たれたのである。一美さんは頭部に、三浦氏は足に弾が当たったのである。一美さんは意識不明の重体になって、アメリカのヘリで日本に搬送されたが、残念ながら数ヵ月後意識がもどることなく日本で死亡したのである。そして、三浦さんは、保険金1億5500万円をもらったのである。
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2008年02月24日
社会人の引きこもり、就職・就労きっかけ、前向きに生きていけない。
引きこもりとなる原因が、就職・就労での挫折が最多で、30−34歳の年齢層が一番多いことが、東京都の実態調査で明らかになった。私は、俗にいうベンチャーの社長である。もう、11年、なんとか、倒産せず、生きていられる以上、もうベンチャーではなく、中小企業、零細企業の社長ということにもなるかもしれない。まあ、なんとか、ここまで生きている。もちろん、親から受け継いだものでもなく、誰かの技術を借用しているのではなく、まったく裸一貫で、自分の経験と努力で、超微粒子化の装置原理を開発し、国際特許まで、取得した。大学や公的の研究機関が作り上げたものではないので、浸透するのに、時間がかかったが、すこしづつマーケットの実績がついてきて、私が作り上げた技術を応援してくれる人の数が増えてきた。結果がでてきて、いいものであれば、いずれ、世の中の注目を浴びてくるのは、どんなものでも、世の常である。後は、時間軸との関係である。がんばれば、誰でもなんとかなるのである。
そんな関係で、私は、色々な人を見てきた。うまくいく人、うまくいかない人、出世する人、出世しない人、役員になる人、ならない人、特に、私は、大手企業の有能な技術研究員と接触する機会が多い、企業から研究開発を任されて、どこでも、うまくいかなかったものを、私のところに相談し、テストにくることが多いからである。知名度がなく、しかも、あまり営業もしないため、私の技術は駆け込み寺的要素が多い、私のところにたどり着いたものは、従来の技術ではできないから、きたのであって、他のものでできれば、私のところには、まずこない。私は、うまくいく人とうまくいかない人との差が見えた。私も情の人間である。相手が真剣に、誠意をもってぶつかってくれば、それについついのってしまう。企業の経営者としては、あまりよくないないのだが、深くつっこみすぎ、お金を持ち出したケースも多々あった。しかし、それによって、自分の経験がふえ、ある意味、人生のいい勉強になった。結果的にそれが、自分にとってのいい財産になった。
社会人が、一人前になって、自信をもって、動き出せるのが、35歳からである。それまでが、習得期間なのである。だから、30-34歳が、人生の篩にかけられることがおおいのである。そこで、どうなるかで、35歳以降、つまり、その後の人生がある意味決定付けられるのである。つまり、後半の人生を分けるのが、30-34歳の間なのである。そこで、何をしたか、何を学んだが、30歳までの経験や知識は、すべて、ある意味リセットされるのである。今の社会は、役所以外、結果を残せない人は、社会人としてカットされてしまう。市場経済であり、年功序列終身雇用制度がくずれている今、学歴や年齢だけでは、上にいけないのである。中学校や高校卒業の人も、結果を残せる場があれば、十分に上に立てる時代なのである。少子高齢化であり、学歴だけでは、まったく意味がないのである。大切なのは、どの分野でも結果なのである。
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そんな関係で、私は、色々な人を見てきた。うまくいく人、うまくいかない人、出世する人、出世しない人、役員になる人、ならない人、特に、私は、大手企業の有能な技術研究員と接触する機会が多い、企業から研究開発を任されて、どこでも、うまくいかなかったものを、私のところに相談し、テストにくることが多いからである。知名度がなく、しかも、あまり営業もしないため、私の技術は駆け込み寺的要素が多い、私のところにたどり着いたものは、従来の技術ではできないから、きたのであって、他のものでできれば、私のところには、まずこない。私は、うまくいく人とうまくいかない人との差が見えた。私も情の人間である。相手が真剣に、誠意をもってぶつかってくれば、それについついのってしまう。企業の経営者としては、あまりよくないないのだが、深くつっこみすぎ、お金を持ち出したケースも多々あった。しかし、それによって、自分の経験がふえ、ある意味、人生のいい勉強になった。結果的にそれが、自分にとってのいい財産になった。
社会人が、一人前になって、自信をもって、動き出せるのが、35歳からである。それまでが、習得期間なのである。だから、30-34歳が、人生の篩にかけられることがおおいのである。そこで、どうなるかで、35歳以降、つまり、その後の人生がある意味決定付けられるのである。つまり、後半の人生を分けるのが、30-34歳の間なのである。そこで、何をしたか、何を学んだが、30歳までの経験や知識は、すべて、ある意味リセットされるのである。今の社会は、役所以外、結果を残せない人は、社会人としてカットされてしまう。市場経済であり、年功序列終身雇用制度がくずれている今、学歴や年齢だけでは、上にいけないのである。中学校や高校卒業の人も、結果を残せる場があれば、十分に上に立てる時代なのである。少子高齢化であり、学歴だけでは、まったく意味がないのである。大切なのは、どの分野でも結果なのである。
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2008年02月23日
ネット社会のコメントと実社会との乖離
実に、ネット社会とは、面白いものである。ブログを続けてみて、実によかったと思う。なぜか、最近、訪問者数が多くなった。コメントもあまりなかったので、そんなものかなと思っていた。意外と、毎日これだけの分量の文章を書くのは、大変なのである。毎日かくのはやめようかと、いつも思っている。ただし、これもSEO対策の一環だと、言われ、社長、書き続けてくださいよといわれ、書き続けている。アクセス解析等が、あるため、傾向はつかんでいる。どんな文章に反応があり、どんな内容が無視されるのか、それを踏まえて実験してみると結果は見事に当たることがおおい。公序良俗に反したコメントやくだらないもの以外は、どんなことがかかれてあっても、そのままにしておいた。自分が間違った事実を指摘されたときは、訂正しておいた。どうでもいいものはそのままにしておいた。もちろん、ネット社会である。匿名のコメントである。そのコメントを書く人たちの心の中を想像したりもする。生ログと時間をみれば、だいたいIDはこちらでもつかめる。人は十人十色、いいという人もいれば、ろくでもないという人がいる。積極的な人もいれば、積極的でない人もいる。しかし、自分で意見があるなら、自分でブログを作り、堂々と実名をつけて、発表するのがやはりいいと思う。どんなことでも、前に出ることはいいことである。まず、何かやったら、10人中、4人は否定的な意見をいうものである。そのうち、賛同する人は3人であろう、あとの3人で、どうなるかなのである。
実社会であれば、人間と人間との交渉である。ネット社会であれば、ひとつひとつの属性が消される。匿名という隠れ蓑がある。書き込むよりも書き込まれる立場のほうが、それだけ価値があるということである。そう、面白くなければ、無視されるだけである。面白ければ、何かのコメントが入る。プラス側でもマイナス側でも強く感情が入るコメントがあることは、それだけ、つよく反応したということである。ある意味、うれしい限りでもある。
実社会は、匿名でのコメントのようにはいかない。社会では、実績がものをいう。それと残念ながら、肩書きがやはりものをいうのである。組織の中で、その組織のやり方や上司や経営者のやり方や生き方または性格を公然と否定したら、その会社をやめろということになる。匿名のコメントのようなことを、実名で言ったら、まず、おしまいである。だから、匿名だから、いえるのである。しかし、現実的にみれば、その人は卑怯ということになる。実際に、現実として、公然と言えず、裏で何かをいうひとと同じになるのである。会社で、上司の前では、ぺこぺこしていながら、上司のいない前では、公然と批判する。酒が入ると、その上司の悪口を言う人がいる。だいたい、そういう人は、出世はしないし、例外はあるが、あまり仕事はできない人が多いのである。俗に、定年を迎えたとき、役員になれるか、それとも退職されていくかの差は、こういうところに出てくるのである。
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実社会であれば、人間と人間との交渉である。ネット社会であれば、ひとつひとつの属性が消される。匿名という隠れ蓑がある。書き込むよりも書き込まれる立場のほうが、それだけ価値があるということである。そう、面白くなければ、無視されるだけである。面白ければ、何かのコメントが入る。プラス側でもマイナス側でも強く感情が入るコメントがあることは、それだけ、つよく反応したということである。ある意味、うれしい限りでもある。
実社会は、匿名でのコメントのようにはいかない。社会では、実績がものをいう。それと残念ながら、肩書きがやはりものをいうのである。組織の中で、その組織のやり方や上司や経営者のやり方や生き方または性格を公然と否定したら、その会社をやめろということになる。匿名のコメントのようなことを、実名で言ったら、まず、おしまいである。だから、匿名だから、いえるのである。しかし、現実的にみれば、その人は卑怯ということになる。実際に、現実として、公然と言えず、裏で何かをいうひとと同じになるのである。会社で、上司の前では、ぺこぺこしていながら、上司のいない前では、公然と批判する。酒が入ると、その上司の悪口を言う人がいる。だいたい、そういう人は、出世はしないし、例外はあるが、あまり仕事はできない人が多いのである。俗に、定年を迎えたとき、役員になれるか、それとも退職されていくかの差は、こういうところに出てくるのである。
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2008年02月22日
イージス艦あたごの艦長、あなたは一体何をしていたのですか?
もはや、一切の弁解も許されない。飛行機でいえば、パイロット、船で言えば、船長、そこで、発生する責任を負わなければならないのが、パイロットや船長なのである。もちろん、企業が何かの不始末をした場合に、社長は引責責任を受けるのが世のしきたりである。今回のような、人身を巻き込んだ重大な事件の場合、イージス艦の艦長、自らが謝罪し、その非を認めることが、道理である。もちろん、その管轄するトップの石破防衛大臣も、腹立たしいと思うが、辞任し、その責任をとるのが、常道となる。それが人の道である。
清徳丸と一緒に、漁にでた幸運丸、金平丸、康栄丸の船長は、身勝手な海上自衛隊の説明に憤怒している。仲間を殺され、あやふく、自分も同じ目にあうところだったからである。幸運丸の堀川船長は、いうのである。「自分はレーダーで午前3時半くらいにイージス艦を確認した。イージス艦のレーダーは漁船のより性能がいい。レーダーをきちんと見ていれば(清徳丸との衝突の)少なくとも20〜30分前には確認できたはず」、そう、イージス艦側は、分かっていたのである。横須賀へ帰港するために、イージス艦は直進する。その右側から自分の航路を横切るように漁場へ向かう数団の漁船がいる。高性能のレーダーがあり、GPSがあれば、高機能のPCを搭載しているイージス艦なら、彼らの動きは簡単に予測できたのである。動く潜水艦やミサイルや魚雷に対して、その動きを予想して、命中させる装備があるのである。漁船は、法令を遵守してうごくのである。海の男は、緊急避難がなければ、海のルールに従うのである。だから、明らかに、イージス艦は、予測できたのである。的確に、このままの状態ですすめば、ある高い確率でその内の一艘は、衝突する。船の蛇行具合、波の状態、時間軸で変化する外的な要素もすべて高精度のPCで計算し、ある衝突確率を瞬時に導き出しているのである。知らなかった、とは言わせないのである。
そう、分かっていたのである。自分たちはお上の護衛艦である。巨大な最強の護衛艦なのである。戦艦大和や武蔵とおなじように、世界で一番の船なのである。たしかに、そのとおりなのである。その鼻先を横切るものがある。「帰港の邪魔だ。俺たちの直進を邪魔する奴は、一体誰だ、避けて通るのが下々の務めだ、なんで、イージス艦が、舵を切る必要があるのか、避けるのは、おまえらだ、衝突したくなければ、死にたくなければ、怪我したくなければ、俺の行く道をさえぎるな、なんで、警笛を鳴らす必要があるのだ、あいつらも、レーダーを搭載して、俺たちの動きを見ているはずだ。俺たちは、天下の日本の海上自衛隊だ、そのなかで、もっとも最先端の装備をもった世界一のイージス艦だ、ひかえろ、じゃまだ、うろうろせず、俺たちの後方へ回って、漁場にいけ」
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清徳丸と一緒に、漁にでた幸運丸、金平丸、康栄丸の船長は、身勝手な海上自衛隊の説明に憤怒している。仲間を殺され、あやふく、自分も同じ目にあうところだったからである。幸運丸の堀川船長は、いうのである。「自分はレーダーで午前3時半くらいにイージス艦を確認した。イージス艦のレーダーは漁船のより性能がいい。レーダーをきちんと見ていれば(清徳丸との衝突の)少なくとも20〜30分前には確認できたはず」、そう、イージス艦側は、分かっていたのである。横須賀へ帰港するために、イージス艦は直進する。その右側から自分の航路を横切るように漁場へ向かう数団の漁船がいる。高性能のレーダーがあり、GPSがあれば、高機能のPCを搭載しているイージス艦なら、彼らの動きは簡単に予測できたのである。動く潜水艦やミサイルや魚雷に対して、その動きを予想して、命中させる装備があるのである。漁船は、法令を遵守してうごくのである。海の男は、緊急避難がなければ、海のルールに従うのである。だから、明らかに、イージス艦は、予測できたのである。的確に、このままの状態ですすめば、ある高い確率でその内の一艘は、衝突する。船の蛇行具合、波の状態、時間軸で変化する外的な要素もすべて高精度のPCで計算し、ある衝突確率を瞬時に導き出しているのである。知らなかった、とは言わせないのである。
そう、分かっていたのである。自分たちはお上の護衛艦である。巨大な最強の護衛艦なのである。戦艦大和や武蔵とおなじように、世界で一番の船なのである。たしかに、そのとおりなのである。その鼻先を横切るものがある。「帰港の邪魔だ。俺たちの直進を邪魔する奴は、一体誰だ、避けて通るのが下々の務めだ、なんで、イージス艦が、舵を切る必要があるのか、避けるのは、おまえらだ、衝突したくなければ、死にたくなければ、怪我したくなければ、俺の行く道をさえぎるな、なんで、警笛を鳴らす必要があるのだ、あいつらも、レーダーを搭載して、俺たちの動きを見ているはずだ。俺たちは、天下の日本の海上自衛隊だ、そのなかで、もっとも最先端の装備をもった世界一のイージス艦だ、ひかえろ、じゃまだ、うろうろせず、俺たちの後方へ回って、漁場にいけ」
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2008年02月21日
イージス艦あたご、自衛官の怠慢で、たった一秒の差で、親子船(清徳丸)はつぶされた。
もはや、何をいうことは出来ない。イージス艦が、民間の親子船(清徳丸)をぶっ壊し、二人の親子(吉清治夫さん(58)と吉清哲大さん(23))を冷たい冬の海に放り投げた。もはや、海上自衛隊のいうことは、嘘の塊、保身だけを考えた内容といって間違いない。だれも、海上自衛隊が発表する情報などに、本気で耳を傾けることはしない。自分にとって都合の悪いことは隠し、自分に有利になるものしかださないはずである。昔の旧日本海軍の誇りも勇気も実直さも、忘れ果てた情けない姿なのである。12分まえに、目視で、清徳丸の灯火を発見したにも関わらず、イージス艦の進行方向からみて、右側から接近する清徳丸をかわすことさえしなかった。回避義務は、イージス艦側にあったのだ。そして、全速後進という回避措置をとったのが、事故の一分前だったのである。目視監視員が二度目に清徳丸の緑色の灯火を発見してから、一分も経過したあとなのである。
この情報が分かれば、吉清親子は、無残にも殺されたといっていいのである。未必の故意を適応されても、海上自衛隊は、たぶん抗弁ができないはずである。これは、過失ではなく、あるいみ、殺人なのである。もちろん、誰だって、衝突させる気などはない。故意にやったとは思えない。しかし、ぶつかれば、船の大小関係からみれば、どうなるか分かっている。ぶつかった角度からみて、ほぼ、90度近く、要するに、清徳丸の側面に、重たいイージス艦がぶつかり、その勢いで、清徳丸が真っ二つに割れてしまったのである。そう、清徳丸は、100mまえで、右に舵をきったのである。護衛艦は、直進したのである。あたごは、時速18.5キロ、後進措置をとったのは、その一分前、ぶつかる地点の300m前で後進を掛けたのである。清徳丸の長さは12m、真ん中であったのなら、あと6mかわせば、なんとかなったのである。あたごは、165m、避けるためには、清徳丸が、抜けきるか、角度でかわしきるか、イージス艦の速度を減衰させるかしかなかったのである。
これは、哀しすぎる。清徳丸の推定速度は、約28キロ/時の速度だとすれば、あたったのが、真ん中だとすれば、全長12mだから、あと6mかわせば、当たらなかったのである。時速28キロ、分速、466m/分、秒速7.7m/秒、そう、6/7.7=0.77秒、親子船が、遅かったのである。0.77秒早ければ、すり抜けられたのである。そして、ばかな自衛官は、12分まえにその存在をしり、しかも2分まえに重大な危険が予見できたにも関わらず、1分間は何もせず、衝突一分まえに、ただ、後進措置をとったのである。もちろん、後進に対する力が働き、前向きの慣性ととめるのに、300−400mは掛かるのである。もちろん、舵を切れば、それだけ、前に推進する力が分散され、前に行く速度はより減衰されたはずである。そうしていれば、0.77秒の差である。清徳丸は、必死になって、全速力で走り抜けられたはずなのである。
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この情報が分かれば、吉清親子は、無残にも殺されたといっていいのである。未必の故意を適応されても、海上自衛隊は、たぶん抗弁ができないはずである。これは、過失ではなく、あるいみ、殺人なのである。もちろん、誰だって、衝突させる気などはない。故意にやったとは思えない。しかし、ぶつかれば、船の大小関係からみれば、どうなるか分かっている。ぶつかった角度からみて、ほぼ、90度近く、要するに、清徳丸の側面に、重たいイージス艦がぶつかり、その勢いで、清徳丸が真っ二つに割れてしまったのである。そう、清徳丸は、100mまえで、右に舵をきったのである。護衛艦は、直進したのである。あたごは、時速18.5キロ、後進措置をとったのは、その一分前、ぶつかる地点の300m前で後進を掛けたのである。清徳丸の長さは12m、真ん中であったのなら、あと6mかわせば、なんとかなったのである。あたごは、165m、避けるためには、清徳丸が、抜けきるか、角度でかわしきるか、イージス艦の速度を減衰させるかしかなかったのである。
これは、哀しすぎる。清徳丸の推定速度は、約28キロ/時の速度だとすれば、あたったのが、真ん中だとすれば、全長12mだから、あと6mかわせば、当たらなかったのである。時速28キロ、分速、466m/分、秒速7.7m/秒、そう、6/7.7=0.77秒、親子船が、遅かったのである。0.77秒早ければ、すり抜けられたのである。そして、ばかな自衛官は、12分まえにその存在をしり、しかも2分まえに重大な危険が予見できたにも関わらず、1分間は何もせず、衝突一分まえに、ただ、後進措置をとったのである。もちろん、後進に対する力が働き、前向きの慣性ととめるのに、300−400mは掛かるのである。もちろん、舵を切れば、それだけ、前に推進する力が分散され、前に行く速度はより減衰されたはずである。そうしていれば、0.77秒の差である。清徳丸は、必死になって、全速力で走り抜けられたはずなのである。
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2008年02月20日
性という商業活動の場から送られるメール(性を隠せば花となる)
脳に組み込まれた生殖に対する本能を刺激し、それで収益をあげるのが、性という商業活動の場である。しかし、考えてみれば、多かれ少なかれ程度の差はあっても、それが、人間の根底にあることには変わりはない。人間対人間の関係、男と女の関係は、すべてが性に起因しているのが実情である。そう、人は、洋服を着る。寒いからきるのもある。しかし、もうひとつの目的は、性を隠すことでもある。
美しさは、リズムと調和にある。すべてが、時間軸に対するエネルギーの変化なのである。音楽は何故美しいか、それは、共鳴する和音の時間軸に対する変化だからである。性とは、本能である。だから、性に、その美しさの属性はない。しかし、世阿弥がいっているように、隠せば花となるのは、性も隠せば花になるからである。人間の根源は、性である。そして、それを隠すことで花となるのである。また、花が時間軸にゆらげば、音楽となるのである。
女優は、何故美しいか、それは、自分の性を隠す技巧が美しいからである。その花を演じれるからである。さくらのようになれるし、あやめのようになれるし、ひまわりのようになれるし、ふようのようになれるからである。そして、時間軸に対して、共鳴和音のように、その花を美しく響かせることが出来るからである。美しい人とは、そういう人なのである。けっして、容姿ではなく、その人の時間に対して朽ちようとする性をあるがままに、自分という花を通して外部に共鳴させられる人なのである。
そう、性というものは、押しとめることのできない、人間の本質なのである。だから、太古から、性にまつわる商売は、すたれることはなかったのである。それが、性という商業活動の場だったのである。男も女も、蜜に群がるミツバチのように、そこへ、寄り集まるのである。しかし、それは、決して、公開してはいけない秘密の場だったのである。そう、いまでも、水面下でそれが動いている。それが起因として、犯罪がおきることもあれば、麻薬というものにも波及することもある。また、宗教、政治、経済、文化、音楽、人間に関わるすべてのものに性が関わり、それと因果関係を水面下で結んでいるのである。
ネット社会の中で、私のところに、毎日、その性という商業活動の場から色々な誘惑のメールが届いている。実に巧妙に仕掛けてくる。すべてが、その本人ではなく、外部のライターで書かれているのは分かっている。私は、それをひとつひとつ読み、そのライターの技量を評価しているのである。はっきりというが、うまい水商売の女性は、決して、情には流されない。あくまで、男性という不特定多数を相手にしているのである。役所や銀行と同じなのである。特定のところに深情けをかけて、その不特定多数の場にゆがみを作ることはしないのである。どこかで、理が情を制するのである。だから、水商売の女性は演技するのである。Aさんには、Aさんに気に入ってもらうように、BさんにはBさんに気に入ってもらうようにするのである。八方美人だが、けっして八方美人とは思わせないのである。Aさんに、自分が好意をもっているように錯覚させるのである。そうして、全体にゆがみを作ることなく、性という商業活動の場から収益をとるのである。それがうまい人が、いわゆる、トップママということになるのである。しかし、演技が、本気になる場合がある。トップママは、いつも情を理で抑えている。その寂しさをどこかで癒されたいと感じている。器量の大きい人が、現れれば、つい、寄りかかってみたいと思うのも、トップママの性質からみれば、やむを得ないことなのである。
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美しさは、リズムと調和にある。すべてが、時間軸に対するエネルギーの変化なのである。音楽は何故美しいか、それは、共鳴する和音の時間軸に対する変化だからである。性とは、本能である。だから、性に、その美しさの属性はない。しかし、世阿弥がいっているように、隠せば花となるのは、性も隠せば花になるからである。人間の根源は、性である。そして、それを隠すことで花となるのである。また、花が時間軸にゆらげば、音楽となるのである。
女優は、何故美しいか、それは、自分の性を隠す技巧が美しいからである。その花を演じれるからである。さくらのようになれるし、あやめのようになれるし、ひまわりのようになれるし、ふようのようになれるからである。そして、時間軸に対して、共鳴和音のように、その花を美しく響かせることが出来るからである。美しい人とは、そういう人なのである。けっして、容姿ではなく、その人の時間に対して朽ちようとする性をあるがままに、自分という花を通して外部に共鳴させられる人なのである。
そう、性というものは、押しとめることのできない、人間の本質なのである。だから、太古から、性にまつわる商売は、すたれることはなかったのである。それが、性という商業活動の場だったのである。男も女も、蜜に群がるミツバチのように、そこへ、寄り集まるのである。しかし、それは、決して、公開してはいけない秘密の場だったのである。そう、いまでも、水面下でそれが動いている。それが起因として、犯罪がおきることもあれば、麻薬というものにも波及することもある。また、宗教、政治、経済、文化、音楽、人間に関わるすべてのものに性が関わり、それと因果関係を水面下で結んでいるのである。
ネット社会の中で、私のところに、毎日、その性という商業活動の場から色々な誘惑のメールが届いている。実に巧妙に仕掛けてくる。すべてが、その本人ではなく、外部のライターで書かれているのは分かっている。私は、それをひとつひとつ読み、そのライターの技量を評価しているのである。はっきりというが、うまい水商売の女性は、決して、情には流されない。あくまで、男性という不特定多数を相手にしているのである。役所や銀行と同じなのである。特定のところに深情けをかけて、その不特定多数の場にゆがみを作ることはしないのである。どこかで、理が情を制するのである。だから、水商売の女性は演技するのである。Aさんには、Aさんに気に入ってもらうように、BさんにはBさんに気に入ってもらうようにするのである。八方美人だが、けっして八方美人とは思わせないのである。Aさんに、自分が好意をもっているように錯覚させるのである。そうして、全体にゆがみを作ることなく、性という商業活動の場から収益をとるのである。それがうまい人が、いわゆる、トップママということになるのである。しかし、演技が、本気になる場合がある。トップママは、いつも情を理で抑えている。その寂しさをどこかで癒されたいと感じている。器量の大きい人が、現れれば、つい、寄りかかってみたいと思うのも、トップママの性質からみれば、やむを得ないことなのである。
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