2008年03月

2008年03月31日

サムライの魂が消え、後20年は企業内格差は進行する。

 日本には、昔、サムライがいた。明治になり、文明開化で西洋化するまで、日本には、サムライがいたのである。サムライというよりも、剣で自分を磨くことを心がけていた人がいたといったほうが適切かもしれない。単に、人殺しのツールとして携帯したのではなく、単に、武士という階級に生まれたから、刀をささなければならないということでもなく、剣を通して、生死や命や人の生き方を見つめていた人達が、この国には多くいたのである。

 剣の先にあるのは、死である。剣の刃先で、人の首を落としたのである。おぞましいことだが、戦争中は、剣で、敵を倒したこともあるのである。つい、63年前までは、それはある程度容認されていたのである。剣におぞましさがつくのは、そこに、血の色がつき、その先に、生死観が付きまとうからである。手術のメスも、ある意味、剣である。剣よりも刃先が尖鋭で、すっと、メスを軽く押し当てて皮膚をきれば、ぱっくりと皮膚は避けるのである。メスにおぞましさはない。それは、人を殺すためのものでなく、人の命を助けるために使われるものだからである。

 武士は、剣をもった。それを人殺しのツールとしては使わせなかった。そこに、法度(法律)を課し、秩序を守ったのである。剣はひとつの生死感や人生感の象徴となったのである。自分の心に課したひとつの十字架となったのである。だから、強いサムライは、最後まで剣は抜かなかった。抜けば、命がひとつ失われるからである。仮想の世界ではなく、現実の場で、ひとつの命が消滅するからである。だから、サムライは、ひとり剣を磨き、月の光の中に反射する刃先に己の人生のあり方を問いかけたのである。そこに、己はいない、月の光の中に溶け込む己の魂があったはずである。剣が支配していた世界、華道、茶道、武道、弓道、道という芸は、空と結びつき、その場の森閑とした時空間に己の魂をそれぞれの達人は溶け込ませていたのである。考えることはなく、ただ、呼吸を整え、流れいく、時空間の一瞬一瞬に、己を解放していったのである。だから、日本の芸は、すべてに、この世の時空間のありさまが投射されているのである。己の欲をすて、己の生死もすて、あるがままの一瞬の状態をその芸に集約させたのである。

 戦後、日本が世界に勝てたのは、その魂の継承があったからである。己の欲望だけで動いたのではなく、あるがままの状態を直視した結果、そのとき、何をすればいいか、何がその状況では必要かが、みえたはずなのである。明鏡止水の理のように、視線を空気と水の界面に合わすのではなく、水のゆらぎに心を合わしていけば、水の奥にあるものが、見えたはずなのである。人から言われるのではなく、自分で企画し、自分で交渉し、自分で絵柄を引けたのである。総合商社も製造メイカーも、戦後の貧しさから国民をすくうために、自分を空として、がんばったのである。そこに、己の栄達もあったろう、しかし、うまくいった人は、けっして、自分の栄達やエゴを満たすためにやったのではないのである。みえたからやったのである。詰め将棋で、つんだ絵姿が見えたから、動いただけである。そして、それを支持して、支えてくれた人達が銀行にも商社にも政治家にも官僚にもいたのである。日本は、それで大きくなったのである。

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2008年03月30日

界面活性剤の生死観 (無の中に溶けていたものが集まり有となる)

 水と油は、基本的に混ざり合わない。分子間の結合状態の違いとそれぞれの結ばれかたが違うため、凹凸の形があわないのである。そのために、混ざり合うためには、両方の性質を兼ね備える両親媒性的なものが必要になる。それが、界面活性剤と呼ばれるものである。化粧品や食品や医薬品の脂溶性(油)を水の中に取り込むためには、天然のものでも合成のものでも、界面活性剤が使われる。界面活性剤がフリーと呼ばれているものは、油の粒子を微細にして、それが、ぶつかって、凝集しないような、手立てがされているのである。ある程度、キーになる物質の特性が分かれば、“なるほどね”と中学生でも分かるものなのである。基本は、単純なのである。複雑にみえるのは、物事を複雑にみようとする人間の性質から来るのである。

 人は、どこからか生まれてきた。精子と卵子が結合し、ひとつの命が生まれる。その精子と卵子は、人の体内から生じるものである。それも、基本的にどうしてなのか、わからないのである。ひとついえるのは、この宇宙、我々の外部にあるもの、それを森羅万象といえば、その森羅万象から出てきたのである。この宇宙が、ビックバーンで、どこからかぽつんと出てきたと同じようなものである。そして、人間を形成している力が維持できなくなれば、人間の体は、ばらばらになり、いずれ、この森羅万象の中に、溶けることになるのである。そう、なくなるのではないのである。溶け込むことになるのである。化粧品でも医薬品でも、可溶化という言葉がある。溶けないものでも、溶かすことができるのである。水の中に、液体の油を溶かし込むには、液体の油を油として構成している力(内向きに引っ張り合う力=張力)以上の力を掛けて、超微細にばらばらにして、そこに、微細になった油どおしの接触を防ぐようにすれば、油は水の中に溶けたままでいられるのである。エネルギーを低い状態に保てばいいのである。人間の命もビッグバーン宇宙も、基本的にそれと同じ構造であるように感じる。

 基本は、エネルギーが高いか低いかなのである。そして、人はエネルギーの低い状態から、微細な細胞が集まって、力をもち、外部からのエネルギーを獲得し成長する。エネルギーが高い状態を人は求めるのである。それが生きることなのである。そのエネルギーのピーク値が20代であり、そのあと、徐々に減衰し、いずれ、もとの状態に変えるのである。無から有がうまれるのではなく、無の中に有が溶けていたのである。その溶けていたものが何かのきっかけで集まり、ぽっかり出てきたのである。ビックバーンで生じたこの宇宙もたぶん、同じであろう。そして、心もまた同じようなものである。自我というもの、自意識も、自分の中にある心のもと、たぶん、光量子であろう、それが、多量に集中した結果、ひとつの考えをもつ。強くなりすぎれば、自分という強いエゴをもつ。それが、さらに巨大に集中すれば、乱れ、発狂し、暴走する。

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2008年03月29日

2008年桜が咲く季節、日本にサムライはもういないのか?

 桜が咲く季節になった。大阪も、三部咲きの状態である。場所や個体差によって、ばらつきがある。まだ、数輪の花をつけていて、あとはつぼみの桜の木もところどころある。見ごろは、4月4日前後になるだろう。4日、5日の夜は、花見で一杯で、桜の名所や桜が咲く公園は、人で混雑するであろう。

 それにしても、咲いてみれば、いたるところ、桜だらけだとわかる。ソメイヨシノを筆頭に、しだれさくら、陽光さくら、かんひさくら、おかめさくら、おおしまさくら、ソメイヨシノが散った後にさく、さとさくら(八重桜)等、目白押しである。もちろん、うめやあんずも桃も桜と前後して奇麗な花を咲かせる。3月後半から4月の中旬まで、約一ヶ月の間にバラ科の花が咲く。日本で一番美しい季節でもある。ソメイヨシノを見ていると、日本人の先人が、この樹木をどれほど愛したかが分るのである。ソメイヨシノは、おおしまさくらとえどひがしを交配させて作った園芸品種である。自生していたのではなく、江戸時代に人間が作り上げた桜なのである。これほど、たくさん直裁されているさくらも珍しい。それだけ、ソメイヨシノは日本人の祖先(先人)が、こよなく愛しつづけてきた桜なのである。

 ソメイヨシノの花の命は、あっけない。咲くうちから散っていく。だから、満開という状態はない、満開のように見えても、先に咲いた花はすでになく、まだ、つぼみの桜の花もある。ちょうど、正規分布に近い状態である。あっけなく、咲き、あっけなく散る。ソメイヨシノが美しく見えるのは、花が葉よしも先に開くからである。枯れた枝につぼみがやどり、一斉に花が咲く、そして、散りかけたころ、葉がでてくる。

 桜が咲くころ、先人は、一体何を思っていたのだろうか、平和に仲良く暮らせるようにと願ったはずである。しかし、逆に日本は豊かになりすぎた。桜のように、散華していった若き特攻隊員の希望した国も一時の幻のように消えて行った。戦後、豊かになりすぎ、心が慢心になり、利己主義に走ってしまった。若者は安易に生きることを選択し、自ら苦労をもとめ、汗をかくことを嫌った。そのために、優柔不断の逃避型の人が増えた。与えられたことはこなす、しかし、自ら創造し、チャレンジして、困難を乗り越えるようなことは嫌うようになった。大きな政府で、護送船団方式や年功序列制度のなかでは、そのような人も社会が救えた。しかし、市場経済になり、弱肉強食の世界である。そして、ハングリー精神で果敢に挑戦しようとする中国やインドの若者が出てきたのである。そんな人たちにサムライの精神を失った日本の大人が勝てるわけがない。



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ソメイヨシノが咲くころ








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陽光桜も咲くころ続きを読む

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2008年03月28日

新学習指導要領、愛国心の育成、いまさらと感じるのだが。

 新学習指導要領に「わが国と郷土を愛する」ことが盛り込まれ、君が代についても、「歌えるよう指導する」と明記されたのである。愛国心、それは、ひとつの言葉としては、美しい。新学習指導要領で、「わが国と郷土を愛する」と特定されているため、それは、まさしく、日本を愛する心となる。日本を愛する心を育成するためには、日本人が本当に愛せるような国を作ることがまず必要であり、その国を愛せるような日本人を生み出せる環境を作ることが、まず大切である。

 くだらないものを、強制的に愛せよと指導しても、まさしくそれが本当にくだらないものであれば、形だけの修飾にすぎなくなる。昔、一億総玉砕、と叫んでいたが、だれも、本気で一億総玉砕など考えていなかった。だから、1945年8月15日、その強制が解けて、アメリカが入ってきたら、それ以前は、鬼畜米英だったのが、それ以後、親米と一変したのである。

 愛国心、それは、美しい言葉であり、当然なことである。しかし、それは、愛するに値する国であれば、おのずと愛するのである。愛せよといっても、愛する価値のないもの、愛したくないものであれば、そこに愛など生まれるわけがないのである。愛する気持ちもないのに、愛するフリをされるほど、辛いものはないのである。

 文部科学省の役人も、一人の人間、文部科学大臣も一人の人間、福田総理も一人の人間、アメリカの大統領も一人の人間、アフリカの砂漠で働いている人も一人の人間、橋の近くで生きているホームレスもひとりの人間、それぞれが、命を受けて、生きているのである。人が生きる上で、生きているという点では、同じなのである。何もなければ、みんなが平等であり、そこに階級や差別も何もないのである。本来は、人が人を支配する根拠などなにもないのである。そこにルールを作ったのは、人間なのである。もちろん、人間がいなくなれば、何も残らなくなる。繰り返す。人が人を強制し支配する根拠は、本来は何もないのである。文部科学省の役人も、ただの一人の人間、その視点に立てば、その人が何かを選びたいと思ったら、最終的にはその人の考え方が現れるのである。そこに何の本質的な根拠もないのである。その人がそう思っているだけなのである。

 それと同じように、愛国心や君が代を学習指導にいれて、洗脳させても、一人ひとりがそう思わなければ、意味がないのである。文部科学省の役人は、この国のひとりひとりがこの国のありかを自発的に愛せるようなものであると、感じているのだろうか。異性を愛するのとおなじなのである。戦後、この国のありかを決めたのは、結局、官僚なのである。政治家は、権力闘争に明け暮れているだけである。今の状態をつくったのは、官僚機構、そのものなのである。教育のあり方を決めたのも、官僚であり、年金のありかを決めたのも官僚なのである。細部にわたる網の目を作り上げたのは、官僚なのである。
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2008年03月27日

岡山駅ホーム突き落とし殺人、18歳少年、少年には殺人か自殺の選択しかないのか?

 痛ましい事件が起きた。18歳の少年が、25日の深夜JR岡山駅で、岡山県職員、仮谷国明さんを電車が入る直前にホーム下に突き落とした。仮谷さんは、電車に巻き込まれ数時間後に死亡した。少年は、「人を殺せば刑務所にいける。誰でもよかった。」と供述しているのである。殺された仮谷さんには、小学校1年と幼稚園の姉妹のお子さんがいるのである。当然に、この少年には、自分が突き落とした人に、家族がいて、その家族がどんな思いをするかなどと、想像することができない。ホームの一番前の人の背中を無言で押せば、押された人の命がどうなるのか、その一押しで、仮谷さんに関わっている人達の今後の人生がどう変化するのか、それさえも、理解していないのである。当然に遺族は、はらわたの煮え返る思いを抱き、少年を恨むことでしか、この現実を直視できないはずである。特に、幼い姉妹にとって、愛する父親を殺された思いは、永遠に残るはずである。遺族に重い十字架を背負わせたのである。悔しいはずである。「誰でもよかった」その言葉は、あまりに残酷すぎるからである。永遠に、何故、それがおとうさんだったの、おとうさんでなければならなかったの、その苦しい自責の問いかけが姉妹には残るからである。

 加害者の父親は、勇敢にもマスコミの前にでて、ひたすら頭を下げ続けた。さらに、「他人に迷惑を掛けるなら、自分を傷つけてくれれば、」といい、自分の息子の行動は、許せないといい、謝罪続けたのである。他人を殺すくらいなら、自分の命を絶てと間接的にいったのである。そうなれば、自分ひとりが、息子の死に耐えればいい、加害者の父は、殺した仮谷さんの遺族の悲しみまで、贖罪として受け持たなくてはならなくなったのである。

 もはや、自閉する孤独の少年には、行き場所がないのである。人を傷つけて、刑務所にはいり、現実から逃避するか、それか、自ら命をたって、この現実から逃げるかしか、のこされた道が、なくなったようである。茨城の荒川沖の無差別殺人も今回のホーム突き落としも、予知できないのである。あっと思った瞬間に、地獄に叩き落され、意識がなくなるのである。その人に憎しみや怒りがあるのではないのである。だれでもいいのである。神様がサイコロ遊びをして、決めるようなものである。はっきりいって、防ぎようがないはずである。明日はわが身、町を歩いていたら、突然に殺されるのである。うかうかと、町も歩けない状態である。また、ホームにいて、電車が入りかけたら、回りにだれかいないか見なければならない。新幹線のように、転落防御壁をつくり、電車がきたら、あくようなものを作る必要があるかもしれない。

 これから、このような事件が続く。孤独で、人と連帯・共鳴ができず、自分の自我の中に引きこもる少年が増えるはずである。ブラックホールなのである。心と体は、生殖を営み、社会に適応するように、自然と熟成される。そのためにエネルギーがたまるのである。これは、生き物の自然の生態であるから、どうすることも出来ない。そのエネルギーが発散できなければ、内向きの強い力となるのは、当たり前なのである。そのエネルギーがつよく、心に作用すれば、自殺するし、そのエネルギーが一瞬、外に開けば、噴火と同じように、激しい他者否定となるのは、わかりきったことなのである。爆発暴走を抑えるために、どこかでガス抜きが必要になるのである。

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2008年03月26日

福田政権、もはや末期症状、安部政権よりも短くはかなく。

 もはや、福田政権は、末期症状にある。何も、決められず、何も、この国の方向性も示すことができず、水泡に帰す寸前の状態である。逆に、これは一本道なのである。ある意味、必然なのである。この国が、市場経済の中で、外圧に押しつぶされてしまったのである。ちょうど、NHK大河ドラマの篤姫の時代背景となる黒船来襲が、バブル崩壊時にやってきたのである。まったく、時代背景は異なるが、本質は、ほとんど同じなのである。

 黒船来襲までは、日本は、江戸幕府のもと、それなりに動いていた。鎖国がしかれ、士農工商の身分制も、維持されてきたが、江戸の貨幣経済の下、身分制度はそれなりに変化していたのである。農民が武士になることもできれば、武士が浪人となり、商人や農民になることもできたのである。それなりの秩序があり、農民も、生きるために、一揆を企てることも可能であったのである。それが、黒船来襲から、大政奉還になり、明治維新となり、文明開化を迎えたのである。秩序が変革するときは、混乱が起きるのはやむを得ないのである。幕末の騒乱は、近代の日本の歴史の中で最大の乱れであったはずである。

 自民党政権とは、大きな政府だったのである。小泉政権前までは、日本に秩序があり、経済はそれなりに回っていたのである。税金をつかっての公共事業であり、医療制度であり、銀行にしても護送船団方式で、中央政府(官僚)の許認可のもと、市場は守られていたのである。まさしく、江戸時代の鎖国と同じだったのである。薬価が定まっていたため、医薬品会社は、国から守られていた。そのために、医薬品会社は、何かあるたびに、機械を町工場へ発注し、機械を購入していた。その分のお金は、薬価で回収していた。その薬価は、国が製薬会社に還元していたのである。税金を集め、それを企業に還元し、その企業がその地域にお金を落としていたのである。道路や土木もまったく同じである。それで、日本は均質化していたのである。あのとき、日本はほとんどの人が中流階級意識をもっていたのである。そして、それが崩れ去ったのである。

 そのひずみの原因を生んだのが、官僚や政治家のエゴや自己保身なのである。賄賂、横領、天下り、利権、自分たちの利権を最優先に考えたのである。公平や正義を忘れ、自分たちの組織をまもろうとしたのである。そして、それを打破しようとしたのが、小泉政権の構造改革なのである。これで、日本のバランスの取れていたシステムが崩れたのである。それで、完全に日本の息の根が止まったのである。日本の秩序が壊れ、ハゲタカファンドを呼び込み、日本の人と金が海外に流れたのである。それにより、成金主義が跋扈しだしや商業倫理がなくなり、共存共栄から弱肉強食へと移行したのである。それでも、庶民は、変わりつつある体制で生き延びるたびに、知恵を出して、がんばっていたのである。
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2008年03月25日

茨城県土浦無差別殺傷、金川容疑者、24歳の心の空洞化、心の破壊

 金川容疑者の顔写真をニュースやネットでみた。髪を短く切り、トレーナージャケットを着こなしている。端正な男である。確かに、人は見た目では分からない。彼の心に、無差別殺人を起こせるものが、潜んでいるとは、一目見てそうは思えない。それにしても、金川容疑者は、とんでもないことを供述しているのである。19日に三浦芳一さん(72歳)を殺害した日、当初は、妹を殺そうと思っていた。妹がいなかったので、それをやめ、母校の小学校の方へマウンテンバイクに乗っていった。学校で誰かを殺そうと思っていたのである。当日が卒業式だったので、殺害できないと考え、それも取りやめた。そこから約200m先の三浦さんの家を通りかかったとき、そこの物置に三浦さんがいたので、「たまたま見つけ、背後から襲った」といっているのである。「三浦さんとは面識がない。誰でもよかった」と金川容疑者はそう供述しているのである。

 それが、3月19日に起きたことである。金川容疑者は、19日の行動を具体的に供述しているのである。たまたま、偶発的に、三浦さんを殺害したのではない。それには、複線があったのである。そうなると、3月19日という日にも、何か意味があるかもしれない。彼だけにとって、3月19日というのは、彼の今を決定付けた日なのかもしれない。それに、キーワードは、「妹」と母校の小学校である。そして、「殺害」なのである。彼だけのどろどろとした心に、3つのキーワードが燃えていたのである。「3月19日」、「妹」、「母校の小学校」、「殺害」、それと、殺された三浦芳一さんとは、何の関係もない。彼の供述どおり、たまたまなのである。そういう金川容疑者と三浦さんが、ほんとうに、偶然にも遭遇し、不幸にも殺されてしまったのである。

 そして、23日、この日にも、何か意味があるのかもしれない。「捕まえてごらん」という警察に挑戦しているように見える態度、それに無差別殺傷、まるで、最後のゲームを楽しんでいるかのように感じる。そして、無人の交番に行き、自首した。逃亡しようと思えば、出来たのである。彼はそれをしなかった。どうも、23日に、彼はゲームを終わらせたかったように感じる。この日で、自分を終わらせたかったとしか、考えられない。2008年3月23日に、ゲームの最終段階に行き、そこで、締めくくりたかった。彼だけの心の中に3月23日という日が、何かのインパクトのある日として、植えつけられていたのかもしれない。

 金川容疑者は、殺人罪として起訴され、裁判を受けるだろう。検察は、死刑を求刑するだろうし、弁護側は、心の闇や仮想空間という幻覚症状を、根拠として、心神耗弱をもとめ、減刑を求めるはずである。検察も弁護側も、精神鑑定を要求するはずである。専門家が、彼の心の闇をどう分析していくのか、その中で、上記にあげた4つのキーワード「3月19日」、「妹」、「母校の小学校」、「殺害」がどう関連づけられるか、知りたいところである。
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2008年03月24日

茨城県土浦連続殺傷事件、通り魔金川容疑者、これは県警の大失態です。

 23日、午前11時ごろ、茨城県土浦市の常磐線荒川沖駅で、両手に刃物をもった金川容疑者が、通行人の男女8人を次々と刺したのである。そのうちの一人が死亡、二人は重体なのである。この犯人は、19日に土浦市の三浦芳一さん(72)を刺殺し、全国に指名手配中の犯人だったのである。あまつさえ、警察に「早く捕まえてごらん」と電話をかけているのである。そして、県警総動員で、金川容疑者をマークしており、当日も荒川沖駅に、8人の捜査員を配備していたのである。さらに、8人を無差別に殺傷した犯人を警察は自力で逮捕できなかったのである。金川容疑者は、悠々自適に犯行を重ね、その後、駅西口から300メートル離れた無人の交番にいき、土浦署に「私が犯人です」と連絡したのである。警官が駆けつけた時は、凶器は投げ出しており、無抵抗状態だったのである。

 県警の大失態というのは、犯人を捕まえられなかったことなのである。8人も私服の警察官を配備し、厳戒態勢を強いていたにも関わらず、誰も犯人の犯行を止められなかったのである。もし、この犯人が、逃亡し、第三の犯行に及んでいたら、県警本部長の責任問題まで及んでいたはずである。繰り返す。金川容疑者が、阿鼻叫喚となった現場から逃走し、警察の裏をかいて、また西口にもどり、300m先の無人の交番まで行ったのである。そこで、土浦署に電話をかけたのである。それを許したのが、県警の最大の失態であり、汚点なのである。確かに、通り魔的な犯行であり、最初の犯行は、不可抗力もあるだろう。県警は、電車が到着し、その人の流れに気を囚われすぎて、見過ごしてしまったと言い訳をしている。それも、ある意味、避けられないかもしれない。しかし、金川容疑者が、最初の犯行を行った瞬間に、事態は一変したはずなのである。金川容疑者も通行人の人もすべてがパニック状態になったはずである。意味不明な言葉、救命をもとめる叫び、恐れの叫び、その一瞬から数分間、あたりは、怒号うずまく修羅場となったはずである。ひとりの捜査官は、犯人に刺されているのである。後の7人は一体何をやっていたのか、現場に急行し、犯人をコンコースの中で、確保すべきなのである。すべては、一瞬であり、後手・後手に回ったというしかないのである。それを許したため、犯人は、東口に駆け抜けて、そこでも人を刺しているのである。死亡した山上高広さん(27)は、ショッビングセンター近くで刺されたのである。

 犯行前日の22日の午後には、荒川沖周辺から携帯談話で、「早く捕まえてごらん」と大胆にも警察に電話をし、また、JR取手周辺からも無言電話をしているのである。県警は170人体制をしき、警戒をして、荒川沖にも私服警官を8人配置していたのである。まったく、県警の捜査体制が、金川容疑者の行動をつかめなかったのである。ゲームマニアでありやネット社会で生きてきて、ある意味心が病んでいる犯人に県警は対応できなかったのである。旧態依然の捜査体制をとり、官僚組織の指揮系統をはり、縄張りと県警のプライドだけで、網を張っていたはずなのである。
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2008年03月23日

季節だより、大阪の堺で桜(ソメイヨシノ)が咲き出した。今年も異常気象かな?

 とうとう、ソメイヨシノ(桜)が咲き出した。つぼみがピンクに膨らんでいる桜をみつけ、目を凝らすと、どこかに一輪の桜の花が咲いているものである。一日、一日と花びらの数が増えてくる。月末には、3部か4部ぐらいにはなっているだろう。2008年も、ソメイヨシノが咲く季節になった。それが、過ぎれば、はなみづきが咲き乱れ、春を楽しむまもなく、一気に夏日を迎えるはずである。そして、その暑さは、今年の10月か11月まで、続き、秋がなく、また、冬を迎えるのである。地球温暖化の影響がもろに出ているのである。たぶん、ことしも、異常な暑さを向かえ、昨年8月16日に観測した40.9度を抜き、41度台まで行くことだろう。今年は、北京でオリンピックがあるため、中国でのエネルギー消費量が増え、その影響で、大気のバランスがおかしくなり、局所的な異常気象の連続になるに違いないのである。日本でも異常気象の犠牲者が去年以上になるだろう。

 エネルギーの消費量が増えている。明らかに、中国という局所的な場所で、去年よりも今年の方がエネルギー消費は確実に大きくなる。大気に熱が放射される。中国という面積、そして、一ヶ月なら一ヶ月という決まった時間、その面積と時間当たりに放出される熱量が、去年よりも今年のほうが多いはずである。当然に、局所的に放出された熱は、高いエネルギー位置にあるため、急激に均一化しようとする。それが乱れの本質であるから、一気に何かの形でそのエネルギーを沈めなければならない。それが、台風であったり、竜巻であったり、激しい乱気流となるのである。今年は、去年以上に、飛行機が乱気流に巻き込まれる確率が高くなるはずである。その乱気流も年々激しさをますはずである。もし、その突発的にかかる力が、飛行機の強度より、まされば、どこかで、飛行機は墜落するはずである。

 桜が咲いて、春をたのしめるのも数週間、その後夏になるまでの時間は早まる。たぶん、年々早くなるはずである。今、色々な花が咲き出す。梅が終わり、そめいよしのが咲くまで、桃、杏、はくもくれん、もくれん、こぶし、さんしゅゆ、かんひさくら、ひがんさくら等、咲き出す。雪柳、レンギョウも咲いている。そめいよしのと雪柳とレンギョウの組み合わせは見事である。見逃せない、日本で一番美しい季節がやってくる。地球温暖化で生態がいずれ狂う。その狂う前の姿を記憶にとどめておかなければならない。


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そめいよしの(桜)の花が咲いた。




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しだれさくら(しろひがんしだれ)


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桃の花が咲いている。


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かんひさくらが満開




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ポピーの花が光に輝く。

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2008年03月22日

ガソリン税25.1円4月から下がる。公務員(役人)の既得権や利権を排除する。

 この国のシステムが、やっと、大きく変わろうとする。たぶん、これが、世の中の流れであろう。日本は、閉鎖された世界の島国であった。今、NHK大河ドラマで放映している篤姫の時代であった。黒船が来襲し、そこから、歴史は一変した。世界との関係をもったのである。今から約150年前のことである。そこから、倒幕が始まり、明治維新となり、富国強兵となった。それが、1945年8月15日で、幕となった。そして、戦後復興、高度成長、バブル期、バブル崩壊、IT革命、ITバブル崩壊、そして、エコロジーと進んできた。政治も紆余曲折があった。選挙制度も大幅に変わってきた。しかし、昔から、少しも変化がないシステムが日本にはあったのである。戦国時代を除き、奈良に都が出来たときから、今まで、ずっと温存し、脈々と受け継がれた彼らにとっては都合のいいシステムがあったのである。それが、律令体制なのである。今の言葉で言えば、官僚政治なのである。税(金)と許認可の権限をもつところの支配体制なのである。

 体制が変わっても、そのシステムは、同じなのである。貴族による官僚体制、武士による官僚体制、軍人や軍閥による官僚体制、そして、役人による官僚体制、そのメカニズムは同じなのである。大衆から、税(金)を強制的にとり、その金を分配する権限を利用して、その体制を維持してきたのである。もし、我々が税金を払わなかったら、一体どうなるか、役人がやってきて、金をはらえといってくる。払わなかったら、強制執行がかかり、ふんだくられるのである。それでも抵抗したら、捕まるのである。税金がなくなれば、役人が生きていけなくなるからである。役人の収入は、税金だからである。

 政治家も、選挙で選ばれる。選挙で落ちればその身分は失われる。民間の会社勤めでも、身分の保証はない。会社がつぶれればそれまでであるし、解雇事由にあたれば、くびである。役員も、株主総会で、承認されなければ、くびである。個人事業主も、商売がなければ、路頭に迷うだけである。そう、この国では、何もしなくても、安泰なのは、役人だけなのである。民間は、働くこと、利益を上げることに貢献しなくては、お金はもらえない。その収入を確保する経済活動をしなければ、生きていけないのである。しかし、役人は、それがない。民間の人が一生懸命働いて、稼いだ金の一部を税金として徴収し、悪い言葉で言えば、ピンはねし、それで、生きているのである。身分保障されているのは、役人だけなのである。これほど、楽して生きれる仕事はないのである。そして、一度、役人になれば、それを外部から解雇させられるシステムは、簡単にはないのである。役人を監督し、それを是正し、懲罰をかけるところもまた役人なのである。すべてが、同じ穴のムジナ構造の中で、ごまかしているのである。

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