2007年10月14日

内藤大助選手の勇気と正義、闇サイトやいじめサイトへ挑戦。

 卑怯な手段を用いて王座を取りに来ようとした、亀田一家を敵に回し、堂々と正義を貫き、王座を防衛した内藤選手の姿勢には、頭が下がる思いがするのである。テレビやネットで、内藤選手の生い立ちを見たが、それこそ、日本人が忘れかけた義の精神があるような気がしたのである。内藤選手が、ここまで、やってこれたのは、彼の内部にある義、彼のもっている倫理感と正義感が、彼をここまで克己させたのである。家庭内の貧しさや人間関係の変化は、少年の心に不安を与えるものである。本来なら、非行に走ったり、悪の誘惑を受けるのだが、彼はそれに耐えたのである。だから、余計体力がなかったために、いじめの対象に選ばれたのである。付和雷同しない態度が、まわりからは受け入れられなかったからである。いじめられても、めげずに前を見れたのが、義があったからなのである。彼がボクシングを目指したのが、高校卒業してからだと聞いている。彼をやはり支えたのが、内部にある義の精神なのである。くじけそうになる義を支えるために体力が必要だったのである。そして、こつこつとたたき上げボクシング道の中でがんばって、つかんだのがチャンピオンベルトなのである。そして、初防衛の相手に亀田ファミリーを選んだのである。内藤選手の心には、亀田ファミリーこそ、彼の内部にある義の精神からみて、対極側の人間と写ったはずなのである。自分をいじめた側の人間、人の心を踏みにじって、ずかずかの己の欲望を満たすことしか考えない、エゴ(業)の精神と写ったはずなのである。彼にとっては、絶対に清算しなければならない相手だったのである。

 功利主義、それは悪いことではないのである。ネット社会も、それは悪いことではないのである。人と人とのふれあいの場もそれ自身は悪くはないのである。もちろん、ボクシングのリングの場も、時津風部屋の土俵の場もそれ自身は悪くないのである。携帯電話のサイトそれ自身は悪くないのである。原子力の核分裂も悪くはないのである。人間が作り上げたもの、それ自身は、決して悪くはないのである。問題なのは、それを運営する人間の心の問題なのである。人をゴキブリとさげすんで、卑劣な手段をもって、王座を狙うその精神が汚いのである。風説の流布をしたり、粉飾をして、会社の実態を大きく見せ、人から投資させて、利益をうむ、そして、もうけることが何が悪いのか、と開き直るその精神が汚いのである。死にたいと思う女性を闇サイトでひっかけ、言葉巧みに睡眠導入剤を売りつけ、楽に死ねるやり方だといって、報酬金をせしめるその男の精神が汚いのである。相撲がいやになり、逃げた新弟子を連れ戻し、リンチまがいに殺害するその人たちの精神が汚いのである。それは、すべてエゴ(業)の精神だけで、生きているのである。自分さえ見栄を張れたり、自分たちだけがよければ、後はどうでもいいという心なのである。そこに、人間としての正義も倫理も、まるでないのである。どんな手段をつかっても自分だけが勝てばいい、将来のことなどどうでもいい、今、このとき、自分たちだけが、よければそれだけでいいという考えなのである。それは、人間の悪い意味での業、(欲望、業欲)の精神の表れなのである。


 もし、プロボクシングで、全員、亀田一家のようなやり方であれば、どうなるだろうか、「ゴキブリ」と読んだら、「蛆虫」と呼び返すだろう。執拗な反則をするやつには、同じような反則をするだろう。亀田一家が恫喝するなら、亀田一家へもっと強い恫喝をするだろう。そうなれば、秩序が乱れ、喧嘩状態になって、ボクシングという秩序が崩壊するのである。それは、みんながわかっているのである。だから、ルールを守り、リングでの聖域を守るのである。その人たちの正義に漬け込んで、甘い汁と自分たちの利益だけを考えて行動したのが、亀田一家なのである。これは、ある意味、非常に卑劣なやり方なのである。自殺サイトの掲示板に書き込んだ西沢さやかさんを言葉巧みに誘導し、金をもらって、嘱託殺人をやった斉藤一成容疑者と、精神的には、まったく同じことなのである。業の精神、つまり、自分勝手の精神なのである。

 いじめも同じである。いじめる対象を探して、己の憂さを晴らしているのである。弱いかもをつくって、金をせしめるのである。また、いじめを通して、自分の言うことを聞かせるようにしているのである。これこそ、自分だけよければいいという、自分勝手な論理なのである。いじめられる人の心理など、何も考えていないのである。いじめる人の業(業欲)だけを満せればいいのである。つまるところ、地球温暖化も同じなのである。自分たちがよければいい、全部がそう思っているから、エネルギーがどんどん増えていくのである。だから、地球温暖化で、地獄が現れる映像を作り上げて、その恐怖をあおっても、業欲だけで生きている人が多ければ、それがどうした、俺たちには関係ない、勝手にルールを作ってやればいいではないか、俺たちは、そんなのを無視してやればいいだけだ。そこに、義も倫理もないのである。そういう人や企業や国家があるのである。業で生きる人は、それがどうした、俺とは関係ないというのである。だから、ルールをつくり、そのルールに従えなければ、制裁が加わるのである。

 内藤選手と亀田選手の戦いで、内藤選手が勝ったことで、私はほっとしているのである。業欲の亀田選手が勝てば、世も終わりだと感じていたからである。義が業に勝ったとおもったのである。内藤選手を支援するひとが多かったのである。それは、まだ、日本人の中に、義を大切にするひとが多いことを意味しているのである。義がないから、自殺する人が増えるのである。義を忘れるから、いじめが起きるのである。内藤選手が勝ったことは、社会に対して勇気を与えることになるのである。マスコミも義と業の区別をしっかりと見極めてほしいものである。ネット社会が拡充すれば、WEB2.0の不特定多数の信頼性が増してくるはずなのである。義を対する人の声はねむっていたのである。業欲の精神が強く見えていたのである。その過渡期で、闇サイトや自殺サイトや、ホリエモンや亀田ファミリーのような人たちがでてくるのである。そして、地球温暖化現象が顕在化しているのである。人間は、業の精神と義の精神の混在系なのである。業が強くなれば、必ず乱れが生じ、秩序が崩壊しだすのである。それにブレーキをかけ、秩序を回復させるのが、義の精神なのである。内藤選手が勝ったことは、義を支持する人が多いことの証明になるのである。内藤選手には、もっとがんばってもらいたいものである。



nano3000xp at 17:06 │Comments(0)TrackBack(0)clip!

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
最新記事
Archives
Blog内検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:



株式会社美粒サイト
www.be-ryu.com/
美粒装置サイト
nano3000.com
メモリアアクエサイト
memoriaaquae.com
美粒ブログサイト
beryu.livedoor.biz
音楽配信おとだまデリバー
www.be-ryu.com/music