2007年10月17日

鉄道ファンの魅力 (鉄ちゃんから機械や制御へ)

 昔から、電車を見るのが好きであったし、小学生時代の愛読書は、時刻表だったのである。本屋に行けば、必ず鉄道ファンとジャーナルは、目を通すし、過去のブルートレインの写真があれば、必ず、数秒目を留めるのである。今の流行の言葉を使えば、私も確かに鉄ちゃんのひとりになるのである。ネット上で、鉄道ファンに対しての意識調査があったのである。もちろん、鉄・鉄子レベルは、間違いないので、私は、それにクリックしたのである。世間の回答をみると、少しがっかりしたのである。鉄・鉄子レベルが11%、まあ興味があるが、29%、あまり興味なし、20%、まったく興味なしが41%なのである。まあ、こんなものかと思っていても、やはり、どこかで、寂しいところが残るのである。趣味の多様化や今のデジタル化等を考えれば、やむを得ないのである。いまだに、子供の頃の情感を引きずっていることに、抵抗感があるが、それでも、電車から、車庫にならぶ、24系ブルートレインや583系電車寝台を見ると、心が躍るのである。

 私の年代からみれば、昭和39年新幹線開業前の東京駅に151系こだま型特急が並んでいる姿がいまだに子供時代の記憶にのこっているのである。牽引EF58、20系寝台、あさかぜやみずほやさくらやはやぶさが、かすかな記憶として目に浮かぶのである。そして、私の鉄道ファンの醍醐味は、昭和43年の全国規模の白紙ダイヤ改正から始まるのである。それまでは、全国どこでもSLが走っていたのであるが、それからだんだんと姿を消していくのである。当時の時刻表を見てみると、東京発11:10西鹿児島行き、急行桜島、11:30日豊本線経由、西鹿児島行き、急行高千穂、12:30西鹿児島行き、急行霧島、17:00列車番号1の長崎・佐世保行きの20系ブルートレイン特急寝台さくら、17:05分、博多行き特急寝台あさかぜ2号、18:00列車番号3熊本行き特急寝台みずほ、列車番号5、18:30西鹿児島行き特急寝台はやぶさ、18:40列車番号7日豊本線経由、西鹿児島行き特急寝台富士、19:10列車番号9、博多行き特急寝台あさかぜと並んでいるのである。その後、急行寝台、さぬき、出雲、瀬戸、明星、銀河がまっていたのである。普通の人が見れば、なんだそれと、思うかもしれないが、この文字が並ぶだけで、その列車の編成内容、その列車の色、その列車のイメージが想像できるのである。その当時、カメラをもって、電車の写真をとるだけで、うれしかったのである。まして、踏み切りで、特急車両が通過するのを見るだけで、確かに胸がおどったのである。

 まだ、だれもが、カラーテレビなどなかった時代なのである。ほとんどが白黒テレビの時代なのである。日本が高度成長で浮かれ初めた時期、小学校6年か中学一年の少年だった私には、今のような多様な情報などなかったのである。あったのは、少年マガジンや少年サンデーであり、その漫画の世界に没入するか、そとで、野球をしてあそぶか、時刻表を眺めて、松本清張さんの点と線のように、全国を夢の中で旅することぐらいしかなかった時代なのである。もちろん、私よりも年配の方は、逆に、テレビや漫画が乏しかった時代なので、たぶん、もっとラジオや読書にしたしんでいただろうと思うのである。


 鉄道ファンになったもうひとつのきっかけは、HOゲージなのである。鉄道模型を作り、それを走らせることだったのである。兄もHOゲージが好きだったので、家にはなぜかレールがあったのである。兄から譲り受けた電車を組み立てたり、トランスをつかって、モーターを動かしてみたりしていたのである。レールに電気をとおし、型番は忘れたが、ED何がしの機関車に12系客車を連結して、それを行ったり来たりさせたり、ポイントを連結して、勝手にホームをつくったりして、遊んでいたのである。その当時、その電車の模型を走らすことを想像するだけでも、なぜか、楽しかったのである。そんなたわいもないことが楽しかったのである。そして、夜は夜で、布団の中で、時刻表をくくり、この時間、この電車はこの駅に停車している。まだ、見ぬ自分の未来を想像していたのである。大人の世界とは何なのか、自分はどうなっていくのか、すべては、夢と想像の世界の中にあったのである。それと、鉄道が重なっていたのである。今のように、デジタル化製品はなく、すべてはアナログ的だったのである。電車も汽車も列車も、今のように個別化されることなく、ただ、名称だけで、区別していた時代なのである。窓をあければ、風が入り、デッキに立てば、そこに木のにおいがしたり、何よりも、ドアーを手であければ、停車中はホームにおりて、その土地のにおいがかげたのである。今のような高速デジタル鉄道ではなく、そこに人間のにおいがしていたのである。

 仕事がら、鉄道を利用する機会が多くあるのである。しかし、だんだんと、その風情がなくなっている。高速化はやむをえない。JR側の費用対効果を考えた経営も当たり前である。しかし、本来もっている鉄道の良さが失われているのも事実なのである。鉄道にまったく興味なしが41%もいるのである。鉄道から派生する技術は、機械や電気にとどまらないのである。モーターの技術、整流の技術、計装の技術、メカやシールの技術、そして、シーケンスの技術、色んな要素が波及されるのである。確かに、航空機も自動車も、技術的に見て面白いのである。しかし、電車は、やはり子供の夢が残っているのである。一つ一つの思い出が、鉄道と切りはなせないのである。今は、体力的に持たないが、やはり、電車の先頭車両にいけば、運転台の速度計をみるのである。運転手の動作を見てしまうのである。前にある信号機を確認してしまうのである。この年になっても、40年まえに、身についた習性は消えないのである。

 鉄道会社は、もっと鉄道に興味をもってもらうような企画を打ち出すべきなのである。特に子供や少年の心をひきつけるものを作るべきである。列車に愛称をつけ、過去に消えたものを復古すべきなのである。新幹線でも、ひかりやのぞみやこだま以外の名称をつけるべきなのである。人は、何かと絡ませて記憶に思いでを定着させるのである。若者は、旅人なのである。旅に乗った列車の名称がなければ、そこに、旅情は生まれないのである。乗った列車が夕月であれば、その記憶はその夕月という列車の名前とともに一生わすれないのである。だから、今の時刻表をみても、寂しくなるばかりなのである。私は、かつての特急、急行の名称を子供のときに、ほとんど記憶しているのである。なぜなら、時刻表が枕頭の書だったからである。時代は、激しい勢いで流れていく。現実的には、列車の高速化もやむをえない、JRの企業の収益性を考えれば、コスト削減もやむをえない。しかし、新快速という名称で15分おきに、昔の特急並みに走らせても、そこに何の旅情ものこらないのである。昔の急行高千穂は、東京を11:30、静岡14:10、名古屋16:44、京都18:50、大阪19:30、岡山22:48、広島2:00、下関5:50、西鹿児島16:44というとんでもない列車だったのである。昔を知っている人は、大変懐かしいと思うはずなのである。いずれにしても、鉄道ファンから、その原理となる電機、モーター、メカへと興味が広がり、日本の技術を伝承してほしいものである。



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