2007年10月21日
京都魔界散策(貴船から鞍馬に抜けて)
ガイドブックやHPでもよく紹介されているコースを私も10月20日に歩いてみることにしたのである。京阪で、淀屋橋から出町柳までいき、そこから、叡山電車で貴船口まで行ったのである。貴船口で降りたときから、もう、そこは、何か、異様な雰囲気が漂っていたのである。私は、結構、京都を散策している方である。特に、京の町を歩くのが好きで、大体、京都の観光ガイドに書かれているところは、ほとんどいっているし、京の裏道も、京都の通り歌に合わせて、碁盤目をジグザグと歩いたことがあるのである。貴船も鞍馬も車では、昔、単独で行ったことがあるのだが、今回は、なぜか分らないが、貴船側にある鞍馬の西門から鞍馬の奥の院を経由して鞍馬の仁王門まで歩きたくなったのである。
出町柳から乗った叡山電鉄鞍馬線の車両は、新鋭のデオ9000通称きららだったのである。鉄道ファンの私には、これほど、うれしいことはなかったのである。すこし、HPでこのきららのことを調べてみると、この車両を作ったのが、近畿車輛ということなのである。このデザインが近鉄特急のアーバンライナーと同系統だと、分ると、この内部の空間、座席配置がなるほどと分るのである。確かに、乗ってみると、鉄道友の会から1998年にローレル賞を受賞した訳が理解できるのである。最大の特徴は、運転手側から見て左側に一列の固定式クロスシートがあり、右側の前後に、4人がけのボックスシート、そして、真ん中に、なんと、窓向きのシートが配列されているのである。確かに、これには、たまげたのである。ふと、このキララを見たとき、外観からみてかなりのワイドビューで、車内からの景色はいいだろうと感じたのであるが、この窓向きシートをみて、これは、すばらしいと感じたのである。特急料金やグリーン料金を出せば、それなりの車両には乗れるが、これは、一般車両なのである。出町柳と鞍馬を410円で結ぶローカル鉄道なのである。この車両は、まったく、粋な車両なのである。これは、まさしく、鉄道ファンなら、この電車に乗るためだけに全国から京都に来ても、それだけの価値は十分にあるはずなのである。鉄道ファンなら、一日乗車券を買って(1000円)、このキララで出町柳−鞍馬間を何往復しても、きっと飽きないはずなのである。この沿線には、色々な神社仏閣があるし、観光名所もある。しかし、この電車に乗ることだけでも、十分なほど京都の景観を味わえるはずなのである。
叡山電車が、市原駅を過ぎると、一気に風景が変わるのである。そこからが、まさしく山岳鉄道にかわるのである。二ノ瀬駅、そして、貴船口駅なのである。駅に商店が一軒あるだけなのである。舗装された道が一本貴船方向に伸びているのである。そして、道に平行して、貴船川が流れているのである。バスも走っているのだが、ここは、歩かなければもったいないのである。北山杉が茂っているのである。高度を上げていくと、だんだんと時間が逆流していくような錯覚を覚えるのである。それでけ、現代のデジタル文明に侵食されていないのである。貴船は、水の神様なのである。水は、人の命なのである。その水が混ざり合うように、男女の仲の切なさも、ひとつに融合されるのである。貴船には、平安時代の歌人の和泉式部の歌が多く碑に刻まれているのである。賀茂川の水源のひとつが、ここ貴船なのである。まさしく、貴船川の流れる水の粒子に、沢の蛍が濡れるのである。古木の杉の葉から、飽和した水滴が空中に舞うのである。水こそ、人の命であり、男女の悲しい愛情の揺らぎなのである。だから、貴船には、怪しい、命の躍動があるのである。貴船神社、結社、奥の宮と進むにつれ、水流の中に潜む男と女の心の通い路が残っているような気がするのである。だから、この貴船には、水の魔界があるような錯覚を覚えるのである。ふと、振り返ると、愛に哀しむ女が、じっとそこにたたずんでいるような、感じがするのである。そして、それが、貴船の水に禊をうけ、貴船の古木の空間粋に消えていくような気がするのである。だから、貴船には、きっと、雪が似あうはずなのである。静かに、雪がふりつもる深閑とした空間に、貴船川の水がながれる。薄暗い中を、静かに雪がただ、舞うのである。貴船口から、貴船まで、雪道を歩いてみたい衝動が起きるのである。もし、雪が降り積もる中、貴船神社奥の宮に、ひとり若い女性が傘をもってたたずんでいたなら、誰でもが、きっとひきつけられるように、声をかけるかもしれないのである。そんな風景がみえるのである。
出町柳から乗った叡山電鉄鞍馬線の車両は、新鋭のデオ9000通称きららだったのである。鉄道ファンの私には、これほど、うれしいことはなかったのである。すこし、HPでこのきららのことを調べてみると、この車両を作ったのが、近畿車輛ということなのである。このデザインが近鉄特急のアーバンライナーと同系統だと、分ると、この内部の空間、座席配置がなるほどと分るのである。確かに、乗ってみると、鉄道友の会から1998年にローレル賞を受賞した訳が理解できるのである。最大の特徴は、運転手側から見て左側に一列の固定式クロスシートがあり、右側の前後に、4人がけのボックスシート、そして、真ん中に、なんと、窓向きのシートが配列されているのである。確かに、これには、たまげたのである。ふと、このキララを見たとき、外観からみてかなりのワイドビューで、車内からの景色はいいだろうと感じたのであるが、この窓向きシートをみて、これは、すばらしいと感じたのである。特急料金やグリーン料金を出せば、それなりの車両には乗れるが、これは、一般車両なのである。出町柳と鞍馬を410円で結ぶローカル鉄道なのである。この車両は、まったく、粋な車両なのである。これは、まさしく、鉄道ファンなら、この電車に乗るためだけに全国から京都に来ても、それだけの価値は十分にあるはずなのである。鉄道ファンなら、一日乗車券を買って(1000円)、このキララで出町柳−鞍馬間を何往復しても、きっと飽きないはずなのである。この沿線には、色々な神社仏閣があるし、観光名所もある。しかし、この電車に乗ることだけでも、十分なほど京都の景観を味わえるはずなのである。
叡山電車が、市原駅を過ぎると、一気に風景が変わるのである。そこからが、まさしく山岳鉄道にかわるのである。二ノ瀬駅、そして、貴船口駅なのである。駅に商店が一軒あるだけなのである。舗装された道が一本貴船方向に伸びているのである。そして、道に平行して、貴船川が流れているのである。バスも走っているのだが、ここは、歩かなければもったいないのである。北山杉が茂っているのである。高度を上げていくと、だんだんと時間が逆流していくような錯覚を覚えるのである。それでけ、現代のデジタル文明に侵食されていないのである。貴船は、水の神様なのである。水は、人の命なのである。その水が混ざり合うように、男女の仲の切なさも、ひとつに融合されるのである。貴船には、平安時代の歌人の和泉式部の歌が多く碑に刻まれているのである。賀茂川の水源のひとつが、ここ貴船なのである。まさしく、貴船川の流れる水の粒子に、沢の蛍が濡れるのである。古木の杉の葉から、飽和した水滴が空中に舞うのである。水こそ、人の命であり、男女の悲しい愛情の揺らぎなのである。だから、貴船には、怪しい、命の躍動があるのである。貴船神社、結社、奥の宮と進むにつれ、水流の中に潜む男と女の心の通い路が残っているような気がするのである。だから、この貴船には、水の魔界があるような錯覚を覚えるのである。ふと、振り返ると、愛に哀しむ女が、じっとそこにたたずんでいるような、感じがするのである。そして、それが、貴船の水に禊をうけ、貴船の古木の空間粋に消えていくような気がするのである。だから、貴船には、きっと、雪が似あうはずなのである。静かに、雪がふりつもる深閑とした空間に、貴船川の水がながれる。薄暗い中を、静かに雪がただ、舞うのである。貴船口から、貴船まで、雪道を歩いてみたい衝動が起きるのである。もし、雪が降り積もる中、貴船神社奥の宮に、ひとり若い女性が傘をもってたたずんでいたなら、誰でもが、きっとひきつけられるように、声をかけるかもしれないのである。そんな風景がみえるのである。
鞍馬寺の西門から鞍馬寺奥の院、魔王殿までの坂道は、やはり、きつかったのである。西門の受付の人から、すこしきついですよと言われても、たいしたことはないと思ったのである。ところが、現実には、この急勾配は、予想よりもきつかったのである。なぜなら、貴船側からは、山の斜面を一気に上らなければ、鞍馬に着かないからである。なんとか、鞍馬寺の金堂にたどり着いても、しばらくは、息が上がっていたのである。鞍馬寺は、貴船と違って、尊天の世界なのである。貴船には、水があり、人の命の交流が感じられたのであるが、この鞍馬は、貴船と違って、一面、信仰のにおいがする所なのである。高野山とも比叡山とも、異質なのである。この山には、詩があるのである。詩の波動が満ちているのである。鞍馬の尊天とは、宇宙の大霊であり大光明、大活動体なのである。森羅万象を生かす宇宙生命・宇宙のエネルギーの総意なのであり、その作用は愛と光と力となって顕在化するというのである。すばらしい理念なのである。その尊天とは、三つの分身からなり、ひとつは、愛を月輪の精霊とし、千手観世音菩薩と見、ひとつは、光を太陽の精霊とし、毘沙門天王と見、ひとつは、力を大地の精霊とし、護法魔王尊と見ているのである。鞍馬山尊天幸福への祈りのなかに、美しい連句があるのである。「月のように美しく、太陽のように温かく、大地のように力づよく、尊天よ、あふるるみ恵みを与え給え」これは、もはや、宗教を超えたひとつの詩の世界なのである。私は、いままで、このようなものを見たことがないのである。詩であるから、宗派には確かにこだわらないはずなのである。詩であるために、鞍馬寺の教えを押し付けたりはしないはずなのである。仏教、キリスト、ユダヤ教、神道、すべてを受け入れるはずなのである。それぞれの信仰する方法で、ただ、尊天の霊気を受け止め、真実にめざめ、がんばってくれといっているのである。そこに押し付けや排他性は一切ないのである。尊天の霊気とは、まさしく、宇宙のエネルギーに他ならないはずなのである。また、もうひとつ言えば、この宇宙もまたひとつの全体の部分である以上、その全体を構成しているものの動きをも受け止めて感受してほしいと歌うのである。この単純な詩の言葉を見たとき、この鞍馬山がひとつの母だと感じたのである。「月のように美しく、太陽のように温かく、大地のように力づよく」、これは、決して忘れてはいけない言葉だと、感じたのである。
帰りも鞍馬駅から、デオ9000の新税車両に乗れたのである。そして、京都の魔界から現世の世界へと帰っていったのである。
帰りも鞍馬駅から、デオ9000の新税車両に乗れたのである。そして、京都の魔界から現世の世界へと帰っていったのである。

