2007年10月23日

美しくしたい。それが美粒の本質です。

 美とは、非常に難しい言葉である。しかし、非常に崇高な理念なのである。かつて、色々なブログを書いてきた。そして、色々なことを述べてきた。しかし、私には、すべてたった一つのことを述べているに過ぎないのである。それは、美しくしたいという思いなのである。乱れを書いたのである。乱れとは、非常に分かりにくいことなのである。それを簡単に言えば、乱れたものは、美しくないということなのである。美しい秩序ということを書いたことがある。美しいは、形容詞であり、この場合には、被修飾語の秩序が大切になるのである。しかし、実際には、逆なのである。秩序あるものが、美しいのである。美しいものは、秩序をもっているのである。人の心もまた同じなのである。心が乱れている人は、美しくないのである。美しい人は、心が乱れていないのである。

 10月21日のブログに京都魔界散策を書いた。その中で、鞍馬寺の理念を書いたのである。非常に美しい連句が理念なのである。「月のように美しく、太陽のように温かく、大地のように力づよく」、私は、この連句の中に、すべてが凝集しているように感じるのである。もっと、凝集すれば、一言になるのである。それは、美しくなれ、ということになるのである。これは、非常に定性的な言葉なのであるが、これほど、真理をついたものはないと思うのである。地球温暖化により、大気が乱れて、その結果、異常気象が発生するのである。また、文明の進化により、温室効果ガスが充満し、太陽からの熱や、化石系燃料の消費や、生命体が生きるための放射熱(赤外線)が、宇宙へ拡散せず、地球内部にたまってくるのである。それは、密閉した空間で、たばこをぷかぷかすっているのと同じなのである。それが、美しいことかと、言えば、それは、決して美しいことではないと感じるのである。異常気象は、美しいことはないのである。

 亀田一家の行為。それは、どう考えても、秩序を破壊しているように感じるのである。それが、美しいかと問えば、決して美しいことではないと感じるのである。化粧で化けた人がいる。バーチャルでみれば、綺麗だと思うかもしれない。しかし、現実的にあってみると、綺麗かもしれないが、どこかで、美しくないと感じるかもしれないのである。もし、そう感じるなら、どこかで、打算的で、優しさに掛ける点があるからと見えるからである。そう、直感的に感じたら、美しい人ではないのである。もし、私が目が不自由だったら、外見の綺麗さは分からないのである。私にとって、感じがよく、いつまでもいたいと感じれる女性がいたならば、その人が私にとって美しい人になるのである。


 美しさ、それは、色彩で言えば、単一波長のものなのである。つまり、正弦波は、ひとつの単一波長なのである。世の中は、その波が重なったものなのである。音楽も、平均律の組み合わせなのである。それが、周波数比が合わなければ、異音に聞こえるのである。それは、美しくないのである。そして、その比がめちゃくちゃであれば、それがノイズであり、乱れの要因になるのである。そうなれば、不快になるのである。人の心もまた同じなのである。俺が、俺がという主張を繰り返していれば、段々と乱れてくるのである。お風呂の水をゆっくりとかきまぜつづけると、もどってくる波と作る波とが重なってくるのである。それが増幅されると、色々な波が重なってくるのである。音楽と同じように、周波数比がめちゃくちゃになるのである。そうなれば、そこに美しさはないのである。人が怒り出すのは、その感情の波がめちゃくちゃになるからなのである。

 強度と乱れとは関係がないのである。つよいから乱れるということはないのである。強いと乱れやすいというだけで、直接、強いから乱れるということはないのである。そこに、制御がかかれば、強い美しさは存在するのである。夏には、夏の美しさがあり、春には春の美しさがあるのである。もちろん、秋には秋の美しさがあり、冬には冬の美しさがあるのである。だから、人は夏の美しさにあこがれるのである。なぜなら、強いエネルギーをもつものは、乱れやすいから、美しくはならないのである。しかし、本来は、強いものほど、美しければ、そこに鮮やかさがでるのである。だから、強いものほど、制御が必要になるのである。だから、強いパワーをもっているひとほど、人生の差が激しくなるのである。乱れれば、崩壊するし、それをコントロールできれば、美しさが増すのである。強い人ほど、美しくなれるし、逆に、醜くなるのである。それは、乱れる方向に行くか、秩序を持つ方向に行くかなのである。

 微粒子も同じなのである。美しいと感じたものは、細かいか粒子が均一なのである。化粧品や医薬品の乳化物で、いいものは、美しいのである。それが、美しいエマルジョンなのである。繰り返す。いいものは、美しいのである。それが鉄則なのである。テロも人の世の乱れなのである。紛争や戦争は、美しくはないのである。力には力で抑圧しても、負の連鎖が増えて、余計激しくなるばかりなのである。戦争末期の日本の姿なのである。赤紙一枚で、片道の燃料しか搭載していない飛行機に若者を乗せるのである。特攻、神風なのである。若者は、苦しんだはずなのである。その不合理な死に対して、どれだけ自分を整合させたか、そのためには、ふるさとの母や父や家族や愛おしい人を守るためだと、自分を抑圧しなければ、死にきれなかったはずなのである。テロも同じように、どんどんと自爆を繰り返すのである。自爆していくテロリストは、特攻隊の若者のように、自分を納得させたはずなのである。それは、国家のエゴなのである。民族のエゴなのである。つまるところ、排他性なのである。だから、それが強くなればなるほど、乱れるのである。そこに美しさはないのである。人殺しは、絶対に美しくはないのである。

 人は美しくならねばならない。それは、宇宙が美しいからである。その中に、消滅と生成を繰り返す素粒子郡も、美しいからである。平均律のように、ある比率の組み合わせなのである。美しいもの、それが、命であり、美しいから、生まれそして死ぬのである。そして、美しいもののなかに還元されていくのである。美しくあらねばならない。美しくしなければならない。それが、美粒の本質になるのである。私は、その世界を求めて、すすむだけなのである。


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