2007年12月05日
中村中さん、性同一性障害を乗り越えて、美しい歌声
紅白歌合戦の出場のインタビューで、初めてその容姿と声帯を聞いたとき、一瞬、目を疑った。話を伺っていると、性同一性障害だったと告白しているのである。戸籍上は、男子であり、自分で自認している性と他者から見られている性との不一致で、苦しんだと述べているのである。それを救ったのが、詩であり、メロディーであり、まさしく、歌だといっているのである。テレビの音声から彼女の歌が流れているのである。そして、その容姿、その話す声帯が、リアルタイムでながれるのである。Youtubeで、検索し、さっそく、その歌声を聞いたのである。私は、ただ、その声に引き込まれたのである。いままで、性同一性障害というものに、あまり意識はしていなかった。もちろん、自分は、男であり、男性の生殖能力があり、実際、妻との間には、子供がいるのである。だから、自分は男であり、社会的にも、身体的にも、精神的にも、男として、生きているのである。ただ、女性と男性とを分化する以前の人間としての感覚があるためか、自分の中の、生まれる以前の何かと、それがつながっているような感じがするのである。彼女を見ていると、私の中の奥深いところから、それを理解しようとする心が出てきたのである。
だから、中村中さんは、激しいインパクトをもって、私の視線を釘付けにしたのである。これには、確かに、震えたのである。私の胎児期の中に、潜在的に眠っていた何かと相互作用を起こしたのである。正しく陰陽の中の半陰陽なのである。ニューハーフや男子の女装の中には、やはり、どこかに、男のにおいがあるのである。いくら、消しても、それが、どうしても彼女たちには見えるのである。私は、テレビの画面を食い入るようにみたのである。YouTubeに落ちている映像を片っ端からみたのである。しかし、この中村中さんには、それが、まったく感じられないのである。驚くことに、見れば見るほど、本物の女性よりも、人間らしく、見えるのである。そして、声を鼻腔から共鳴させて、上部にさわやかに突き抜ける歌声は、私の脳では、それを男の歌声だとは、どうしても認識できなかったのである。多少、低音域になって、のどを震わしたとき、すこし、男の声帯域が、感じられたが、のどを、矮小化させず、鼻腔で、震わし、共鳴させた声は、女性よりも、柔らかな、正しく、半陰陽の透き通るような歌声にしか聞こえなかったのである。そう、私には、彼女の容姿や話す内容、その声、すべてにとって、それを、男性的だとは到底思えなかったのである。私をこれほど引き釣り込む何かが、彼女の歌声にはあるのである。彼女の心が確かに歌声にのって、振動しているのである。それが、私の心のどこかで、確かに共鳴したのである。当然、このブログを書くにあたって、今まで、あまり関心のなかった、いやどこかでタブー視していた、性同一性障害を、見つめなおさざるを得なかったのである。
私は男であり、今までの人生の中で、自分の性に違和感をもったことはないのである。若いときは、パーマをかけた髪を肩まで伸ばし、そして、高いブーツを履き、ベルボトムのジーンズをはいたときもあった。しかし、それは、一種のファッションであり、それでも、自分が女性だとは思わなかった。その意識は、根底からなかった。しかし、調べてみると、戸籍上男性と判別された人が自分の性を女性だと性自認する性同一性障害者は、3万人に一人いるといわれ、それをMtF-GID( Male to Female Gender Identity Disorder )といい、戸籍上女性と判別された人が自分の性を男性だと性辞任する性同一性障害者は、五万人にひとりいるといわれているそうである。それを、FtM-GID ( Female to male Gender Identity Disorder )と呼ぶそうである。
だから、中村中さんは、激しいインパクトをもって、私の視線を釘付けにしたのである。これには、確かに、震えたのである。私の胎児期の中に、潜在的に眠っていた何かと相互作用を起こしたのである。正しく陰陽の中の半陰陽なのである。ニューハーフや男子の女装の中には、やはり、どこかに、男のにおいがあるのである。いくら、消しても、それが、どうしても彼女たちには見えるのである。私は、テレビの画面を食い入るようにみたのである。YouTubeに落ちている映像を片っ端からみたのである。しかし、この中村中さんには、それが、まったく感じられないのである。驚くことに、見れば見るほど、本物の女性よりも、人間らしく、見えるのである。そして、声を鼻腔から共鳴させて、上部にさわやかに突き抜ける歌声は、私の脳では、それを男の歌声だとは、どうしても認識できなかったのである。多少、低音域になって、のどを震わしたとき、すこし、男の声帯域が、感じられたが、のどを、矮小化させず、鼻腔で、震わし、共鳴させた声は、女性よりも、柔らかな、正しく、半陰陽の透き通るような歌声にしか聞こえなかったのである。そう、私には、彼女の容姿や話す内容、その声、すべてにとって、それを、男性的だとは到底思えなかったのである。私をこれほど引き釣り込む何かが、彼女の歌声にはあるのである。彼女の心が確かに歌声にのって、振動しているのである。それが、私の心のどこかで、確かに共鳴したのである。当然、このブログを書くにあたって、今まで、あまり関心のなかった、いやどこかでタブー視していた、性同一性障害を、見つめなおさざるを得なかったのである。
私は男であり、今までの人生の中で、自分の性に違和感をもったことはないのである。若いときは、パーマをかけた髪を肩まで伸ばし、そして、高いブーツを履き、ベルボトムのジーンズをはいたときもあった。しかし、それは、一種のファッションであり、それでも、自分が女性だとは思わなかった。その意識は、根底からなかった。しかし、調べてみると、戸籍上男性と判別された人が自分の性を女性だと性自認する性同一性障害者は、3万人に一人いるといわれ、それをMtF-GID( Male to Female Gender Identity Disorder )といい、戸籍上女性と判別された人が自分の性を男性だと性辞任する性同一性障害者は、五万人にひとりいるといわれているそうである。それを、FtM-GID ( Female to male Gender Identity Disorder )と呼ぶそうである。
確かに、胎児期で、性が染色体や遺伝子によって、どこかで分岐する際、確率的に、それがかさなる場合も確かにありうるのである。なぜ、そういうことがおきるのかは、不明なのである。先天的なものか、後天的なものかも、分からないのである。たぶん、エネルギーがなぜ存在するのか、宇宙がなぜ存在するのかといった問題とたぶん同じ系統なものなのである。しかし、ひとついえるのは、社会的な構造で、人は、どこかで、男か女かを選別されるのである。男は、精子を出し、女は卵子を出し、その受精を女性の子宮内でおこし、胎児を育む。そして、出産する。それが、生物学的な男女の役割なのである。男は、出産できないし、女子は、精子を作ることができないのである。しかし、世の中には、どうしても、身体的、精神的に正常であるが、自分の性を受け入れられない人がいるのである。そう、どうしても、ということから、性同一性障害と呼ばれるのである。私には、自分の性を、男性として受け入れることができる。それは、脳がそれを許容しているとしかいいようがないのである。性同一性障害の人は、たぶん、脳がそれを許容しないはずなのである。自分の意思とは関わらず、身体的男性としての信号と女性としてあるべき脳に埋め込まれた信号、または身体的女性としての信号と男性としてあるべき脳に埋め込まれた信号との不協和音がその人の中で生まれているに違いないのである。もし、そうなら、それは、心に苦しみを与えるはずなのである。どうしようもない、心の底からの違和感や孤独感を呼び出すはずなのである。人は、孤独ではいきていけない。心と心の共鳴がない限り、生きていけないのである。深い絶望感が生じるのである。
そう、たぶん、胎児期(人として形付けられるとき)のちょっとした変位差によって、そのバランスが変わってしまったのである。本来あるべきところにくるのが、ちょっとずれてしまったのである。身体をつかさどる部位と心をつかさどる部位に、男なら男、女なら女が入るところに、男と女、女と男が入ったような感じがする。そして、支配部位は、心に入った性がその人の性を支配するはずなのである。
中村中さんは、たぶん、その性同一性障害に苦しんだはずなのである。女としての心が支配されるのである。しかし、社会は、男性とみる。その苦しみの感覚と共鳴する人がいなかったはずなのである。彼女は、その苦しみを昇華するため、ひとり言葉の力を利用したのである。言霊なのである。そして、そのリズムから、音楽へとすすんだのである。自分の心の矛盾と哀しみを素直に言葉にのせ、それにリズムをつけて歌い、その障害を昇華したのである。
だから、その歌声が美しいのである。女性よりも、女性らしい響きがするのである。今まで抑圧していた心が開放されたため、心の部位に入っていたその女性の性から、心の思いが発散されたのである。だから、私の心にも響くのである。そう、今の中村中さんは、あるがまま、素直な気持ちで、自分の思いの詩をリズムにのせて、喜びに満ちて歌っているのである。それが、私に感動を与えるのである。そう、今の中村中さんは、女性なのである。だから、抱きしめたくなるような、愛らしさが容姿に現れているのである。彼女が今後どう生きていくか分からない。しかし、歌を死ぬまで歌い続けるはずなのである。性同一性障害に苦しむ人々のためにもがんばってもらいたい。難病で苦しむ人、視覚、聴覚といった障害で苦しむ人、薬害のHIVや肝炎で苦しむ人、さまざまな障害で苦しむ人がいる。その人たちのためにも、障害を昇華した中村中さんなら、勇気をあたえられるような詩を歌えるはずなのである。がんばってもらいたい。ただ、そう思います。
そう、たぶん、胎児期(人として形付けられるとき)のちょっとした変位差によって、そのバランスが変わってしまったのである。本来あるべきところにくるのが、ちょっとずれてしまったのである。身体をつかさどる部位と心をつかさどる部位に、男なら男、女なら女が入るところに、男と女、女と男が入ったような感じがする。そして、支配部位は、心に入った性がその人の性を支配するはずなのである。
中村中さんは、たぶん、その性同一性障害に苦しんだはずなのである。女としての心が支配されるのである。しかし、社会は、男性とみる。その苦しみの感覚と共鳴する人がいなかったはずなのである。彼女は、その苦しみを昇華するため、ひとり言葉の力を利用したのである。言霊なのである。そして、そのリズムから、音楽へとすすんだのである。自分の心の矛盾と哀しみを素直に言葉にのせ、それにリズムをつけて歌い、その障害を昇華したのである。
だから、その歌声が美しいのである。女性よりも、女性らしい響きがするのである。今まで抑圧していた心が開放されたため、心の部位に入っていたその女性の性から、心の思いが発散されたのである。だから、私の心にも響くのである。そう、今の中村中さんは、あるがまま、素直な気持ちで、自分の思いの詩をリズムにのせて、喜びに満ちて歌っているのである。それが、私に感動を与えるのである。そう、今の中村中さんは、女性なのである。だから、抱きしめたくなるような、愛らしさが容姿に現れているのである。彼女が今後どう生きていくか分からない。しかし、歌を死ぬまで歌い続けるはずなのである。性同一性障害に苦しむ人々のためにもがんばってもらいたい。難病で苦しむ人、視覚、聴覚といった障害で苦しむ人、薬害のHIVや肝炎で苦しむ人、さまざまな障害で苦しむ人がいる。その人たちのためにも、障害を昇華した中村中さんなら、勇気をあたえられるような詩を歌えるはずなのである。がんばってもらいたい。ただ、そう思います。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by 女子高生
2008年02月01日 11:35
中村中さん、とてもきれいだし
歌うまいですよね^^
私は中さんの生き方に尊敬しています。
これからも注目していくつもりです^^
歌うまいですよね^^
私は中さんの生き方に尊敬しています。
これからも注目していくつもりです^^
2. Posted by 男子高生
2008年04月21日 14:49
正直自分が情けなく感じました。。。
小さなことで悩んだりしていて。。。
中さんの生きてきた今までに比べたら小さな悩みだったんだと痛感しました。
いろんな人に力を与えられるようにこれからも頑張ってほしいです(^^♪
小さなことで悩んだりしていて。。。
中さんの生きてきた今までに比べたら小さな悩みだったんだと痛感しました。
いろんな人に力を与えられるようにこれからも頑張ってほしいです(^^♪

