2007年12月06日

再び、性同一性障害を考える、中村中さんの歌を聞きながら。

 考えてみれば、中村中さんは、その障害を乗り切り、自分の人生を切り開いた。彼女に抱きしめたくなるような、愛らしさを、感じるのである。それは、人間としての純粋さが透き通るように見えるからなのである。声変わりをしなかったと、彼女は告白しているが、たぶん、人間の潜在的な意志によって、声変わりの変化を見えなくしたのである。男でも、女でも、少年少女時代から、思春期を経由し、大人になる過程で、何かしらの変化を経験するのである。男は男へ、女は女へと、身体的な変調を経由して、変わっていくのである。彼女も変化したはずなのである。しかし、その変化のゆらぎが、男と女の間をさまよったはずなのである。まさしく、反発と復元の間をばねのようにゆらいだはずなのである。生命のゆらぎを考えるとき、彼女の存在がなにかの解決の示唆をあたえてくれるような感じがするのである。彼女は若干22歳である。これから、あと、普通に考えれば50年以上は生きるのである。このまま、この状態で推移できるとは、思えない。

 人生には、色んな波がある。そう、花の命は短いのである。彼女の周りに群がる人々は、そこに、蜜があるからよってくるのである。彼女は今が、春から夏の初夏の旬を迎えているのである。しかし、人生には、必ず波と同じように周期がある。そして、人のエネルギーもどこかしらか、減衰するのである。人が一生つかえるエネルギーは、大体おなじなのである。早く使えば、後がつづかないし、使わなければ、後で花開くこともあるのである。彼女が信じた道を、回りに迎合せずに歩いてもらいたいと思うのである。いずれ、彼女も秋から冬の季節をどこかで迎えるはずなのであるから。

 そう、中村中さんのように、それを昇華し、自分の性を克服できるひとは、やはりまれなのである。彼女の能力が、それを支えたのである。もし、彼女に歌の才能が、今ほどなければ、これほど、注目は集めなかったはずなのである。逆に言えば、彼女の存在が鮮やかだから、性同一障害というものを、見つめるきっかけとなったのである。考えてみれば、男の性同一障害者は、3万人に1人はいるということなのである。それは、今にはじまったことではなく、たぶん、昔から存在していたはずなのである。中村中さんのようなケースはたぶん、例外中の例外だと思うのである。そこに、あきらかに、暗く陰湿な差別と虐待があったはずなのである。そこには、犯罪をおかすような人間の業のおぞましさがあったのである。



 人間は、差別することで、自分の相対的な位置をみようとする。支配と服従の関係を本能的に感じるのである。経済的な差別、出生地での差別、身分による差別、性別での差別、戦後、憲法により、建前上では、差別は撤廃された。核家族化と経済化により、人々は平均化され、差別する視点も変化してきたのである。障害者に対しての差別も、たてまえ上、存続しないのである。しかし、その前提は、人間としての性の分化が明確化された基準での話しなのである。男としての性自認、女としての性自認、それが前提となっているのである。普通は、男子として生またなら、男の性として生きるのが当たり前と考えるのが、普通なのである。あえて、それを受け入れないのは、どこかおかしなもの、つまり、非人として見られたはずなのである。たぶん、いまでも、普通の意識からみれば、ニューハーフやおかまは、商売のために行っている、営利目的でやっていると考える人もいるのである。趣味の延長かと思う人もいるのである。それは、ここでいう性同一性障害にならないのである。男としてうまれても、どうしても、男の性を受け入れない人がいるのである。そして、脳がそう思う以上、身体的な発育も抑止され、あるいみ、男性として未分化された状態で成長することになるのである。

 明らかに、そこに社会的な差別が存在しただろうと、容易に想像できるのである。たぶん、昔は、日本でも貧困層が存在していたために、そういった人を、若年時に去勢し、性転換させ、売春させていたはずなのである。そして、人間の業のおぞましさから、男色を好む富裕層の人たちに、売られていった可能性もあるのである。一度ついたレッテルは、昔では消えなかったはずであり、そういった人の命は、明らかに短かったはずなのである。病気や自殺といった暗い結末を迎え、命を終焉させていたはずなのである。たぶん、現代でも、裏では、そういったことが行われているかもしれないのである。悲しく、暗い心の軌跡が見えるようである。

 だから、中村中さんのようなケースは例外中の例外なのである。ここまで、自分の能力を高め、その障害を昇華した事例は、めずらしいのである。しかし、大多数の性同一障害の人は、俗にいう、ニューハーフといった蔑称をうけ、水商売の中でしか生きることができないかもしれないのである。中村中さんのような才能があればいいのであるが、普通の社会の中では、男子の性同一性障害者を、あるがままで受け入れることに激しい抵抗感をもつはずなのである。性同一性障害と分かれば、卑しい目でみるし、その人を、男の中にいれるのか、女の中にいれるのか、着替えや浴室の場で、どうしたらいいか、判断にくるしむし、普通の女子の人の理解がえられるかどうか分からないのである。その人たちのために、新たな空間をもつことなど、現実的には出来ないのである。

 そう、そして、どうしても避けては通れないタブーがひとつあるのである。それは、その人たちの性なのである。男と女は、ひきつけあう。それは、心と心がひきつけあい、そして体と体が求め合うからなのである。それが、生理なのである。その人たちの生理を考えれば、心が女であるために、心が男である人と結びつくのである。それが、物理なのである。万物の仕組みがそうなっているのである。物理的に考えれば、心が女で身体が男である人と、自然に結びつくのが、心が男であり身体が女である人なのである。そういった組み合わせが、現実的にあるのだろうか。物理と生理を考えれば、それが一番、自然なのである。



nano3000xp at 18:44 │Comments(0)TrackBack(0)clip!

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
最新記事
Archives
Blog内検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:



株式会社美粒サイト
www.be-ryu.com/
美粒装置サイト
nano3000.com
メモリアアクエサイト
memoriaaquae.com
美粒ブログサイト
beryu.livedoor.biz
音楽配信おとだまデリバー
www.be-ryu.com/music