2007年12月18日

山崎愛美被告、三男青空ちゃん餓死、懲役15年判決

 それは、2006年の10月30日に起きた。長男(三歳)と三男(1歳)、(次男は死亡している)2人を自宅に施錠をして置き去りにして、愛人の元へいったのだ。そして、12月4日にもどったら、三男は死亡しており、長男は、奇跡的にも、部屋にあった、生のコメや冷蔵庫のマヨネーズ、ケチャップなどを食べて生き延びていたというのである。帰ってきたときに、山崎愛美被告(21歳)に飛びついて、「ママ、遅い」といったそうだ。当然に、罪としては、殺人、死体遺棄、保護責任者遺棄で逮捕起訴され、12月17日、札幌地裁室蘭支部で、懲役15年の判決を下したのである。

 事実を淡々と書けば、それだけのことだが、その内面を掘り下げていくと、実に、おぞましく、しかも、もの哀しい人の性が見えてくるのである。これが、現実かとたたきつけてくる真相が浮き上がってくるのである。むごたらしい現実の末、山崎愛美被告が得たものは、長い刑務所の中の空間なのである。そこで、煩悩で引き裂かれた情欲を鎮めて、そして、母として、餓死させようとしたわが子に、出所後、償いを見せて欲しいと願うだけである。

 愚かである。どうしても、愚か過ぎるのである。愛に飢えた女が、愛をもとめ、そして、わが子に、自分の過去を投影させ、慈しもうとする。しかし、愛に飢えた女の性を自制して抑えることができなかった。それも、一時の幻にすぎないのである。現実の辛さ、わが子を育てる苦悩に、耐えられるだけの経験をしていないのである。だから、子供をすて、男に走り、そして、だまされ、自分が捨てられる。

 これも、典型的な、母と女との性の問題なのである。残念だが、これも、秋田幼児連続殺人事件とある意味、同じパターンなのである。母子家庭、男、結婚、早期出産、離婚、育児の苦悩、男と出会い、わが子を遺棄、なのである。その根底にあるのが、その女の寂しさなのである。寂しいから、激しく男に寄りかかろうとするのである。それが、鬱陶しいぐらいに、つよく、激しく、襲い掛かるのである。辛い話だが、肉体と心はつながっている。だから、寂しさから激しく寄りかかれば、肉体も激しく燃え上がるのである。心をからめようとすればするほど、逆に、愛に飢えた女は、肉体をつよく絡めてくるのである。だから、身勝手な男は、その肉体に惑溺するのである。そうなのだ、このような哀しい事件の裏には、必ず、人間の悲しいまでのエゴが存在するのである。もし、最初に出会った男に、すこし理性があって、現実を組み立てられる力があれば、10代後半の未熟な女性に、直接、精液を浴びせることを避けたはずである。避妊を考えて、肉体を求め合ったはずなのである。その時点で、哀しい地獄の結末への道が、必然へと変わっていったのである。


 そう、いつの世でも人は身勝手なものなのである。男も男の論理で身勝手になり、女も女の論理で身勝手になり、父も父の論理で身勝手になり、母も母の論理で身勝手になるのである。もちろん、子供も子供の論理で身勝手になるのである。たぶん、男の身勝手さがでたのだろう。若すぎる山崎愛美被告との生活に耐えられなくなったはずである。幻想を求め、肉体の快楽におぼれ、現実という夢から醒めた後、残ったのは、煩わしさだけだったはずである。山崎愛美被告は、どんな夢をみたのだろうか、同じように、施設に預けられて愛に飢えて育った山崎被告は、心の片隅では、わが子だけは、自分と同じような境遇にはしたくないと思っていたはずなのである。
だから、秋田幼児連続殺人の時もそうだった、女として邪魔だと思う反面、母として大切にしたいという気持ちがあったのである。その裏には、過去の自分の境遇を見ていたのである。だから、「子供をとてもかわいがっていた」という証言も一方ではでるのである。だから、一ヶ月以上、放置して、家にもどってきたとき、長男が山崎愛美被告に抱きついたのは、そこに、彼女と子供との間に何かしらの絆があったからなのである。それと、長男が助かったのは、そのアパートが、昼間、暖房が自動的に作動するところだったからなのである。心のどこかで、せめて、凍死の苦しみだけは、避けてやりたいという親心があったと信じたいのである。それが、偶然だとしたら、あまりに、餓死した青空ちゃんが、救われないのである。

 驚くべきことに、この山崎被告は、子供を身ごもっていたのである。第四子目なのである。長男は、親から餓死させられ、あまねく、三男である弟が、腐敗していく様子を、見ていたのである。この子の記憶には、それが焼きついているのである。どうすることもできないのである。施設に預けられているが、しっかりと生きてもらいたいと思うだけである。

 これが、自由に放たれた女の末路なのかもしれない。故郷を追われ、先祖からも分断され、ひとり、ふらふらとさまよった、女の性かもしれない。愛に飢えて、ひとりさまよう女は、結局、性の対象者としかみられない。家庭をもって、つつましくいきたいと思っても、相手は遊びとしかみない。だから、相手が拒まなければ、男は、避妊を考えず、精液を浴びせるのである。防御することもなく、愛欲の中に身を沈め、己の不幸を忘れようとするのである。その叫びの裏で、母をまつ子供の哀しい悲鳴にも耳をふさぎ、己の身勝手の中で、狂い、もがき、果てるのである。子供の母を恋しがる叫びと共鳴したとしても、それを押し殺し、ひたすら、その刹那の快楽へと身を落としていくのである。それは、永遠には見ることができない人の定めと知ることなく、次から次へと、己の癒せぬ乾いた心の空洞を埋めていくのである。そして、母をすて、女として、地獄へと落ちていくのである。

 愚かである。あまりにも愚か過ぎる。幸せは、そこにはない。たとえ、つらくとも、一生懸命まじめに働きながら、わが子をいつくしみ、その中で、交わす親子の情を味わえばよかったのである。自分がもらえなかった愛を、わが子に与えればよかったのである。その一瞬のなかに、山崎愛美被告の幸せが存在したはずなのである。そのうち、心のゆがみがとれ、素直な気持ちが現れれば、きっと、それを包み込んでくれる男が現れたはずなのである。おなじような境遇であったとしても、そうして、生きて死んでいった女の人はたくさんいたのである。


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