2007年12月29日

中村中さんを見つめると、(性同一性障害の社会的要因)

 今日も、続けて、中村中さんのことを書きたくなった。何故、彼女が性同一性障害に落ちて行ったか、それは、社会の規範がゆるくなったのも、ひとつの要因なのである。デジタル化がすすみ、情報化がすすみ、ひたすら均質化へ動いたからなのである。戦後の若者は、学生運動に力を入れていた。そのとき、得られる情報は、書籍や深夜ラジオ番組か、討論なのである。若い情熱は、汚れた秩序を回復しようと動いたのである。若者はいつの世でも、純粋なのである。不条理に対して、それを許容できなかったのである。視野は、あくまで、個人の純粋な心の価値基準で、社会を見ていたのである。学生運動が、ひとつの合コンに近かったのである。そこで、愛や夢や社会を論じていたのである。それが、学生運動の青春だったのである。それが、若者にゆるされたひとつの美しいモラトリアムだったのである。それが、丁度、今の団塊の世代といわれている人たちの青春だったのである。社会は、確実に階級化され、均質化されていなかったのである。

 私は昭和31年に生まれた。私が学生のときは、70年代安保闘争の残像もなく、学生運動も、終焉していた時代なのである。それでも、社会はまだ均質化されていなかった。日本の因習や規範は、依然とのこっていたのである。高度成長の余波はつづき、活火山から吹き上げるエネルギーは、まだ日本全土を押し上げていたのである。時代が明らかに、変化したと感じたのが、やはり、パソコン通信と携帯電話の普及からなのである。これで、一気に不特定多数の大衆が、リンクしだしたのである。価値観がさらに多様化し、文化は、より女性化へとすすんだのである。

 人間の性格や機能などは、高々、100年、200年で変化するとは思えない。確かに、身長等は、多少伸びたが、それは、栄養バランスの改善がもたらしたものである。だから、いじめも、性同一性障害も、異性同一人格も、人の本性から生じるものは、戦前から今まで、変化がないのである。変わったのは、外的な社会要因なのである。戦前も中村中さんみたいな人はいた。しかし、軍国主義的な社会規範が強かったために、性同一性障害者は、抑圧されたため、その障害それ自身、社会的に顕在化しなかっただけなのである。それでも、少数の人は、男色家の餌食となったか、性転換を強制され、裏の売春組織に売られていったのである。たぶん、戦後もそれが続いていたはずなのである。歴史の中で消えていた人たちなのである。

 潜在的な性同一性障害者や異性同一人格者(詳しくは、12月27日、美粒ブログ、性同一性障害と異性同一人格、中村中さんをメインにして、考える参照)の人口に対する比率は昔から変化がないのである。それは、確率的なものだからである。その潜伏していた要素が顕在化するかしないかを分けたのが、外的な社会的な要因なのである。社会に対する規範が緩めば、より顕在化するだけなのである。そして、その潜伏していた要素が顕在化するのは、ちょっとしたきっかけなのである。それが触媒機能をはたすからである。

 そう、たぶん、私も異性同一人格者だと、自分で感じるのである。もしかしたら、私の幼年時の環境が今と同じであり、私を取り巻く家庭環境がちょっと違っていれば、性同一性障害になったかもしれないと感じるのである。そう、潜在的な性同一性障害者や異性同一人格者の比率は、ある程度一定なのである。ある程度、15-16歳時での男子の外的な体型や身体的な様態を見ればわかるのである。女装しても、おかしくないと、見えれば、そのDNAをもっているはずなのである。今の時代であれば、なおさら顕在化しやすいはずなのである。そして、自分を取り巻く環境の中で、男性と女性の力学関係が女性の方が強ければ、高い確率で、性同一性障害に掛かりやすくなるのである。


 私の幼年時、父が単身赴任をしていた関係で、父親不在だった。しかし、私には二人の兄がいて、よく喧嘩をしたものだった。明らかに、父親不在だったが、家庭の力学関係は二人の兄の力が強かったために、男性支配だったのである。それと、近所には、原っぱがたくさんあり、小学校時代は、いつも、原っぱで野球をしたり、近所の塀に登って、そこいら辺を駆けずり回っていたのである。学校から帰れば、かばんを放り投げて、日が沈むまで外で友達と遊んでいたのである。しかし、父がほとんどいなかったから、確かに寂しい思いをしたのも事実である。

 私はピアノを習っていた。それは、自発的に開始したのだった。しかし、途中から、恥ずかしくなったのである。ピアノ教室の雰囲気があまりにも女性的だったからである。私は、友達に自分がピアノを習っているとどうしてもいえなかったのである。そのとき、私は、自分の性を男だと自認したはずなのである。そこで、私はピアノをやめたのである。もちろん、私の外向的な要素は私を男性化へすすませ、内向的な要素が女性化へと進めたはずなのである。そして、私は、ピアノよりも、友達と外で遊ぶことを選んだのである。

 中村中さんの愛らしさは、中性的な愛らしさなのである。男でもなく女でもなく、それを超越した愛らしさがある。彼女は、きっとこのまま歌を歌い続けるはずである。10年、20年、30年と、歌を歌い続けることが彼女の人生になるはずである。そして、いつかおとづれる命の終焉を迎えるのである。今は、自分の心を歌っているが、だんだんと命の歌へとシフトしていくはずである。年齢が増えれば、それだけ視野が広くなるのである。たぶん、今の愛らしさを維持するには、それなりの努力が必要になるはずである。傍からみるよりも人には理解できない苦しみがあるはずである。きっと、それを含ませながら命の詩を歌い続けるはずである。

 人は、自認する性が男であれば、いずれ、女性を向かえ、結婚し子孫を残す。家族のために、生計を立てて、働くことになる。男としての役目がある。それが社会的な自我となる。社会から見られている自我、それが社会的な性となるのである。それが自認する性と一致することとなる。それが、ある程度のブレーキとなるのである。社会の見えざる手が、そのバランスをとることになる。中村中さんのように、生きれる人は、やはり、ごくまれなのである。ある意味、社会の見えざる手が働くために、彼女の生きれる自由度が束縛されるのである。逆に、今度は、男の要素が歌の中でしか出せなくなるのである。

 若い男で、ニューハーフとして、生きようとしている人がいる。性転換手術をする人もいる。しかし、それを行えば、一生、元にはもどれないのである。今はいい、しかし、10年、20年、30年と先はあるのである。その美しさは、消えてしまう。今は、若さがその美しさを保障してくれる。しかし、それを維持していくことは永遠にできない。その覚悟があればいい、しかたがないことである。社会は必ず偏見と差別を生む。それが社会というものなのである。長く人生を歩むと、どこかで逆な風が吹き始めるのである。女性化にすすみすぎると、今度は中性にもどすように、男性化が始まるのである。中村中さんは、だから、振り向けないのである。前を向いて生きるしかないのである。あの美しい裏声をずっと響かせなければいけないことになるのである。ある意味、傍からみれば、辛いことのように見えるのである。だから、それだけ純粋に愛おしく感じるのである。

 私は、性同一性障害の人を雇いたいと思っている。企業として必要なのは、仕事の能力なのである。化粧をして女性として働きたい男子がいれば、そうさせたらいい。女子であっても、男と一緒に働くこともできるのである。これが本来の男女雇用均等法の趣旨なのである。そして、企業側としていいのは、その人に女性の性を見ないことなのである。セクハラもなければ、社内不倫も起きないのである。企業経営者は、そういう人々をどんどん雇い入れるべきなのである。



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