2008年01月10日

松下のエコアイデア、シャープのエコロジークラス、エコロジーの次にくるもの。

 今世紀末には、平均気温が約6度上昇するというショッキングな報道があった。90年後の未来は、もはや、灼熱地獄であり、ばたばたと人が倒れる状況である。北極や南極の氷に閉じ込められていた氷河期まえに棲息していたウイルスが、目覚めるかもしれない。90年後にもはや、これを読んでいる人は、自分自身も含め、いないであろうが、すくなくとも、子孫は、このような状態を作った世代の人間を恨むはずである。当然に、日本は人口が減少するが、新興国では、人口が増加していく。温暖化で、穀物生産は、悪化し、世界的な穀物に対する需要と供給のバランスが崩れ、一発即発の状態になるはずである。争奪のための紛争がいたるところでおき、さらに、温暖化が加速する。原子爆弾が炸裂するかもしれない。そう、いたるところで、原爆が炸裂し、裕福な階層の人々だけ、地下の核シェルターで生き延びるのである。フィクションであるが、たぶん、それが真実となる可能性が高いのである。それを避けるには、温暖化を阻止しなければならないのだが、人間の個人のエゴ、国家のエゴ、民族のエゴがあるために、だれでもが利他の精神を持つことはできないである。

 もはや、家電製品の中での技術面での優位性はなくなったのである。シャープが作れば、松下、ソニー、東芝、日立がつくるのである。情報化時代である。どんなに厳しく管理をしても、情報は漏れるものなのである。そして、シャープが考え付くことは、同時に松下、ソニー、東芝、日立も気づくのである。エコロジーと一社が言えば、同時に、同じ路線を踏襲することになるのである。そういうことなのである。技術面で、ほとんど均質化したのなら、後は、ブランド戦略か、ソーシャルIDを打ち出すしか方法がないのである。

 だから、松下が、NATIONALのブランドから、社名まで、パナソニックに統一するのである。もはや、松下幸之助さんのことを覚えている人が、すくなくなったからである。松下幸之助さん=松下電器だからといって、どうなる時代でもなくなったのである。それよりも、家電もある意味、化粧品とおなじようなブランド戦略を考えるのが当たり前になったのである。それとおなじように、エコロジーもすでに、当たり前になったのである。言ってあたりまえ、逆にエコロジーも言えないような企業は、すでに負け組みになったのである。松下のエコアイデアも、シャープもエコロジークラスも、東芝の星の王子様も、企業の社会的なエコロジーへの取り組みをあらわしたものである。それも、すでに当たり前になったのである。

 技術面もそれほどの差はない、価格的にも、それほど差はない、エコロジーへの取り組みもそれほどの差はない。企業のキャッチ的なコピー(理想や理念)も、大差ない。デザイン優劣もそれほどない。では、あと、一体家電業界で差別化する要因は、あるのだろうか、たぶん、それを選ぶのは、好みでしかない。では、好みを決めるのは、各個人の印象なのである。しかし、それも、ほとんど、均質化されている。松下だから、それを買うとは限らない。シャープだからそれを買うとは限らない、東芝だから、それを買うとは限らない。そうなのである。均質化したから、確率論に従うだけなのである。たとえば、テレビに多く投資した会社は、テレビでトップのシェアーを取れるのである。パソコンに多く投資した会社は、やはり、パソコンでトップのシェアーを取れるのである。


 エコロジーの各コンテンツをみると、やはり、そこには、それぞれの企業の体質や好みが現れているのである。松下のエコアイデアは、やはり、松下なりの丸みがあるし、シャープのエコロジークラスには、シャープなりの流線があり、東芝の星の王子様には、ある意味、東芝なりの角があるのである。それぞれの特徴が出ているのである。しかし、はっきりいって、それがどうした、と思うのである。みんな同じになれば、目新しくはないのである。そういうのが当たり前という感覚になるのである。広告代理店やその企業の宣伝部が、これはと思って作っても、大衆には、もう当たり前という感じになるのである。しかし、それをうたわなければ、家電をつくるメーカーとしての価値がないと、潜在的に思われてしまうのである。もはや、家電の領域では、飽和に近づいているのである。それを突き破るものが、必要になるのである。そう、それが、今後の日本企業が国際社会の中で唯一勝ち抜く力となるものなのである。それは、経営理念よりもさらに深い、それぞれの企業のもつ、哲学になるのである。経営理念は、あくまで、経営の抽象論であり、経営である以上、そのもつ意味合いは限定してしまうのである。A社の経営理念をB社にもってきても、違和感がないのである。

 哲学とは、その会社の存在意義であり、その会社が会社としてどのように、なりたっていくのか、その会社が従業員も含めた社会に対して、どう向き合っていくのか、そのあるがままの企業としての生き方なのである。哲学である以上、そこに嘘があってはいけないのである。揺るぎのない信念、確固たる理想、それをどうどうと掲げることが必要なのである。企業の経営者に求められることは、会社の哲学、自らの哲学を社会に公にすることなのである。胸を張ってそれが言える会社は、必ず大衆の支持を得られるはずである。今後、均質化になった企業の株価を分けるのは、経営者のその言葉なのである。日本の株価が低迷しているのは、その哲学を海外の投資家に響かせないからである。



nano3000xp at 18:54 │Comments(1)TrackBack(0)clip!

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この記事へのコメント

1. Posted by ネコです。    2008年01月11日 11:54
大変参考になりました。

環境広告では、すでにもう差別化できない
というご結論ですね。

京都議定書の第一約束期間に入ったものの、
日本政府の目標達成計画はゆるく、
刻々と地球温暖化が進む中、
自動車や家電業界が挙って環境経営や環境技術
に本腰を入れてきたという最中には、
少々寂しいご結論に聞こえました。

とは言え、確かに、
どの企業が環境性能に優れているのかなんて、
正直、わからないですよね。

海外の化粧品ブランドなどは、
広告物までも再生紙を利用したり、
哲学というんでしょうか、徹底してますよね。

ただ、個人的には、子供達の未来を考えると、
環境広告合戦は、
ますます加熱してほしいと願っています。

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