2008年01月13日
青森母子3人放火殺人、(18歳の長男が魔の坂から落ち家族を殺す。)
悲しい事件が、つぎからつぎへと起きるものである。2008年の世相の一端が垣間見られそうである。1月9日の深夜、雪が激しく舞う八戸市のアパートで火災が起きた。その焼け跡から、母子3人の遺体が発見された。そして、10日、JR八戸駅をふらつく長男がナイフを振り回したため、警察は、銃刀法違反でその長男を緊急逮捕した。そして、その長男が、「妹、弟、母親の順番で殺し、その後、放火した」と供述したのである。そう、長男による親族殺人が起きていたのである。「1月8日、美粒ブログ、少年の自殺と少年の傷害事件(多情多感な少年が魔の坂を下る)」で書いた他社否定のもっとも最悪なケースが、書いたその次の日に起きてしまったのである。少年の中で何が起きたのか、本人は、それを言ったって、誰もわからないから言わない、知りたければ、パソコンをみろと供述している。しかし、パソコンの中を見ても、ありきたりものしか入っていないはずである。長男の心の闇の深層は、彼自身でさえ分らないものだからである。もし、それを解明し、分析する力があれば、こんな最悪なケースを選ばないはずである。
ネットで調べられる情報を、羅列すると、長男(18歳)は、中学校から登校拒否で、家に引きこもっていた。そして、それが昂じて、家庭内暴力を振るっていた。身長は、180cmである。怪奇小説や怪奇漫画を好んでいた。ナイフやエアーガンを収集している。小説を書いている。弟と妹は、ともに中学校の柔道部で、明るい性格で、母親とは仲がいい。つまり、長男だけが、ひとり浮いている状態である。弟は、かつて、兄にナイフを突きつけられたことがあった。次男は「いつか兄に殺される」といっていた。数年前、家に灯油をまいたこともあったそうである。そして、私がひとつ引っかかることは、この家族に、父親がみえないことなのである。いないかどうかは、分らない。死別したのか、離婚したのか、別居しているのかも分らない。たぶん、個人情報なので、ネットでもニュースでも報道されないが、どうも、そのことが、母と長男の関係に、何かしらの影響を与えていると想像するのである。そして、気になる情報が、ひとつ、ネットの記事であった。それは、「長男は八戸市内の小学校の卒業アルバムに掲載された作文に「あまり学校に行っていないけど、十月に一回、学校に行きました」とつづっていた。楽しかった理科の実験の思い出が書かれ、欄外に殺害された母(43)が「(長男が)うれしいと思ったことは、お母さんは、もっとうれしいことです」と感想を書いていた。」というものである。そこに、母親の濃厚な長男に対しての思いがしのばれるのである。
これから、もっと、事実関係が明かされるはずである。上記のものを頭に入れて、長男の心の闇とこの事件の残忍性を想像すると、ひとつのストーリーが浮かんでくるのである。それがあたっているか分らない、しかし、魔の坂を落ちて、家族を殺した背景を考えると、それしか、思い浮かばないのである。それは、母親の夫の対象喪失の気持ちが長男に注がれた可能性である。小学校卒業時、長男は12歳である。母親が欄外にでも、「長男のうれしいと思ったことは、お母さんは、もっともうれしい」とは、普通は書かないし、それは、長男(男)にとっては、精神的に入ってはこまることなのである。その濃密さが、長男の心を歪曲した可能性があるのである。
ネットで調べられる情報を、羅列すると、長男(18歳)は、中学校から登校拒否で、家に引きこもっていた。そして、それが昂じて、家庭内暴力を振るっていた。身長は、180cmである。怪奇小説や怪奇漫画を好んでいた。ナイフやエアーガンを収集している。小説を書いている。弟と妹は、ともに中学校の柔道部で、明るい性格で、母親とは仲がいい。つまり、長男だけが、ひとり浮いている状態である。弟は、かつて、兄にナイフを突きつけられたことがあった。次男は「いつか兄に殺される」といっていた。数年前、家に灯油をまいたこともあったそうである。そして、私がひとつ引っかかることは、この家族に、父親がみえないことなのである。いないかどうかは、分らない。死別したのか、離婚したのか、別居しているのかも分らない。たぶん、個人情報なので、ネットでもニュースでも報道されないが、どうも、そのことが、母と長男の関係に、何かしらの影響を与えていると想像するのである。そして、気になる情報が、ひとつ、ネットの記事であった。それは、「長男は八戸市内の小学校の卒業アルバムに掲載された作文に「あまり学校に行っていないけど、十月に一回、学校に行きました」とつづっていた。楽しかった理科の実験の思い出が書かれ、欄外に殺害された母(43)が「(長男が)うれしいと思ったことは、お母さんは、もっとうれしいことです」と感想を書いていた。」というものである。そこに、母親の濃厚な長男に対しての思いがしのばれるのである。
これから、もっと、事実関係が明かされるはずである。上記のものを頭に入れて、長男の心の闇とこの事件の残忍性を想像すると、ひとつのストーリーが浮かんでくるのである。それがあたっているか分らない、しかし、魔の坂を落ちて、家族を殺した背景を考えると、それしか、思い浮かばないのである。それは、母親の夫の対象喪失の気持ちが長男に注がれた可能性である。小学校卒業時、長男は12歳である。母親が欄外にでも、「長男のうれしいと思ったことは、お母さんは、もっともうれしい」とは、普通は書かないし、それは、長男(男)にとっては、精神的に入ってはこまることなのである。その濃密さが、長男の心を歪曲した可能性があるのである。
長男は、母親に対する憎しみがあるのである。自立しようとする少年、その心に入り込む母親、それが父親なら男と男である。しかし、女と男であれば、そして、その長男が母親と同じように感受性の強い少年だったら、長男の心は、内に、内に向かうはずなのである。父親が不在であれば、どこかに、長男としての寂しさをもつのである。だから、引きこもったのである。友人や外部との交流が断絶されたのである。その心の空虚を外部との接触で埋めることができなかったのである。そのチャンスを逃したのである。だから、次にくるのが、魔の坂を左にいくか右にいくかなのである。自分を否定するか、他者を否定するかなのである。自己否定(自殺)は、どこかで、外部との接触に失敗した場合に出てくるのである。いじめられる、友人とうまく交流できない、そして、孤独になり、自分の居場所がなくなり、自己否定する。長男の場合には、生きようとしたのである。そして、その心の鬱積を、家庭内暴力として、自分の身近な人を対象にして発散したのである。
心のバランスがくずれたのである。もともと感受性が強い子である。どこかで、自分を何とかしようとしたはずなのである。そして、自分がこうなったものへの憎しみがあったはずである。はけ口が家族しかなかったのである。弟と妹は、何の屈託もなく、母親とうまくやっている。弟も妹も、自分を怖がっている。威嚇をすることで、長男は自分の存在をぎりぎりのところで維持しようとしていたはずである。ナイフ、エアーガン、怪奇漫画、他者を否定すること、いたぶること、そうすることで、自分を誇示したかったのである。
しかし、どこかで、長男も救われたかったはずである。だから、小説を書いたのである。自分の気持ちをつづったはずなのである。たぶん、長男には、それしか、自分を救う道がなかったのかもしれない。崩れていく自分、支えようとする自分、だれも分ってくれない。家族も、自分を見放す。狂人のような目をして自分を見つめる。それが極限状態まで心を満たし続けたのだろう。1月9日、18歳の長男に何があったかなど分らない。そのとき、母親や弟や妹が、何かをいったのか、何かの態度をしめしたのか、わからない。しかし、なにか、その長男をそうさせた出来事が起きたのである。そして、妹、弟、母親を殺したのである。弟と母親には、死んだ後も、ナイフをさし続けたのである。たぶん、それで、自分をも消滅させたかったのだろう。そして、火をつけて、雪舞う八戸市内へと逃げたのである。その長男は、何を考え、雪の中を逃亡したのだろうか。十数年の心の苦しみをも炎で消滅させたかったのだろうか。
どこかで、長男の地獄を救ってあげることができなかったのだろうか、まだ、18歳である。そして放火親族殺人である。死刑にはならないが、長い懲役刑は免れない。しかし、10年後、20年後には、仮釈放が認められ、社会にでてくるだろう、そのとき、本来いる3人の親族は、いないのである。自分が殺したのである。もともと、引きこもりで人見知りの小説をかくような感受性の強い少年なのである。心のゆがみがどこかで、取れたとき、自分が犯した罪の重さを感じるときがくるのである。そのとき、それに耐えられるだろうか、これも、つらく、悲しい事件である。後の心情を考えると、つらくなるのである。こんな社会でいいのだろうか、これは、東京や大阪といった都会ではなく、八戸で起きているのである。地方都市まで、心の闇が浸透してしまったのである。このような事件が続くはずである。
心のバランスがくずれたのである。もともと感受性が強い子である。どこかで、自分を何とかしようとしたはずなのである。そして、自分がこうなったものへの憎しみがあったはずである。はけ口が家族しかなかったのである。弟と妹は、何の屈託もなく、母親とうまくやっている。弟も妹も、自分を怖がっている。威嚇をすることで、長男は自分の存在をぎりぎりのところで維持しようとしていたはずである。ナイフ、エアーガン、怪奇漫画、他者を否定すること、いたぶること、そうすることで、自分を誇示したかったのである。
しかし、どこかで、長男も救われたかったはずである。だから、小説を書いたのである。自分の気持ちをつづったはずなのである。たぶん、長男には、それしか、自分を救う道がなかったのかもしれない。崩れていく自分、支えようとする自分、だれも分ってくれない。家族も、自分を見放す。狂人のような目をして自分を見つめる。それが極限状態まで心を満たし続けたのだろう。1月9日、18歳の長男に何があったかなど分らない。そのとき、母親や弟や妹が、何かをいったのか、何かの態度をしめしたのか、わからない。しかし、なにか、その長男をそうさせた出来事が起きたのである。そして、妹、弟、母親を殺したのである。弟と母親には、死んだ後も、ナイフをさし続けたのである。たぶん、それで、自分をも消滅させたかったのだろう。そして、火をつけて、雪舞う八戸市内へと逃げたのである。その長男は、何を考え、雪の中を逃亡したのだろうか。十数年の心の苦しみをも炎で消滅させたかったのだろうか。
どこかで、長男の地獄を救ってあげることができなかったのだろうか、まだ、18歳である。そして放火親族殺人である。死刑にはならないが、長い懲役刑は免れない。しかし、10年後、20年後には、仮釈放が認められ、社会にでてくるだろう、そのとき、本来いる3人の親族は、いないのである。自分が殺したのである。もともと、引きこもりで人見知りの小説をかくような感受性の強い少年なのである。心のゆがみがどこかで、取れたとき、自分が犯した罪の重さを感じるときがくるのである。そのとき、それに耐えられるだろうか、これも、つらく、悲しい事件である。後の心情を考えると、つらくなるのである。こんな社会でいいのだろうか、これは、東京や大阪といった都会ではなく、八戸で起きているのである。地方都市まで、心の闇が浸透してしまったのである。このような事件が続くはずである。

