2008年02月24日
社会人の引きこもり、就職・就労きっかけ、前向きに生きていけない。
引きこもりとなる原因が、就職・就労での挫折が最多で、30−34歳の年齢層が一番多いことが、東京都の実態調査で明らかになった。私は、俗にいうベンチャーの社長である。もう、11年、なんとか、倒産せず、生きていられる以上、もうベンチャーではなく、中小企業、零細企業の社長ということにもなるかもしれない。まあ、なんとか、ここまで生きている。もちろん、親から受け継いだものでもなく、誰かの技術を借用しているのではなく、まったく裸一貫で、自分の経験と努力で、超微粒子化の装置原理を開発し、国際特許まで、取得した。大学や公的の研究機関が作り上げたものではないので、浸透するのに、時間がかかったが、すこしづつマーケットの実績がついてきて、私が作り上げた技術を応援してくれる人の数が増えてきた。結果がでてきて、いいものであれば、いずれ、世の中の注目を浴びてくるのは、どんなものでも、世の常である。後は、時間軸との関係である。がんばれば、誰でもなんとかなるのである。
そんな関係で、私は、色々な人を見てきた。うまくいく人、うまくいかない人、出世する人、出世しない人、役員になる人、ならない人、特に、私は、大手企業の有能な技術研究員と接触する機会が多い、企業から研究開発を任されて、どこでも、うまくいかなかったものを、私のところに相談し、テストにくることが多いからである。知名度がなく、しかも、あまり営業もしないため、私の技術は駆け込み寺的要素が多い、私のところにたどり着いたものは、従来の技術ではできないから、きたのであって、他のものでできれば、私のところには、まずこない。私は、うまくいく人とうまくいかない人との差が見えた。私も情の人間である。相手が真剣に、誠意をもってぶつかってくれば、それについついのってしまう。企業の経営者としては、あまりよくないないのだが、深くつっこみすぎ、お金を持ち出したケースも多々あった。しかし、それによって、自分の経験がふえ、ある意味、人生のいい勉強になった。結果的にそれが、自分にとってのいい財産になった。
社会人が、一人前になって、自信をもって、動き出せるのが、35歳からである。それまでが、習得期間なのである。だから、30-34歳が、人生の篩にかけられることがおおいのである。そこで、どうなるかで、35歳以降、つまり、その後の人生がある意味決定付けられるのである。つまり、後半の人生を分けるのが、30-34歳の間なのである。そこで、何をしたか、何を学んだが、30歳までの経験や知識は、すべて、ある意味リセットされるのである。今の社会は、役所以外、結果を残せない人は、社会人としてカットされてしまう。市場経済であり、年功序列終身雇用制度がくずれている今、学歴や年齢だけでは、上にいけないのである。中学校や高校卒業の人も、結果を残せる場があれば、十分に上に立てる時代なのである。少子高齢化であり、学歴だけでは、まったく意味がないのである。大切なのは、どの分野でも結果なのである。
そんな関係で、私は、色々な人を見てきた。うまくいく人、うまくいかない人、出世する人、出世しない人、役員になる人、ならない人、特に、私は、大手企業の有能な技術研究員と接触する機会が多い、企業から研究開発を任されて、どこでも、うまくいかなかったものを、私のところに相談し、テストにくることが多いからである。知名度がなく、しかも、あまり営業もしないため、私の技術は駆け込み寺的要素が多い、私のところにたどり着いたものは、従来の技術ではできないから、きたのであって、他のものでできれば、私のところには、まずこない。私は、うまくいく人とうまくいかない人との差が見えた。私も情の人間である。相手が真剣に、誠意をもってぶつかってくれば、それについついのってしまう。企業の経営者としては、あまりよくないないのだが、深くつっこみすぎ、お金を持ち出したケースも多々あった。しかし、それによって、自分の経験がふえ、ある意味、人生のいい勉強になった。結果的にそれが、自分にとってのいい財産になった。
社会人が、一人前になって、自信をもって、動き出せるのが、35歳からである。それまでが、習得期間なのである。だから、30-34歳が、人生の篩にかけられることがおおいのである。そこで、どうなるかで、35歳以降、つまり、その後の人生がある意味決定付けられるのである。つまり、後半の人生を分けるのが、30-34歳の間なのである。そこで、何をしたか、何を学んだが、30歳までの経験や知識は、すべて、ある意味リセットされるのである。今の社会は、役所以外、結果を残せない人は、社会人としてカットされてしまう。市場経済であり、年功序列終身雇用制度がくずれている今、学歴や年齢だけでは、上にいけないのである。中学校や高校卒業の人も、結果を残せる場があれば、十分に上に立てる時代なのである。少子高齢化であり、学歴だけでは、まったく意味がないのである。大切なのは、どの分野でも結果なのである。
学生時代は、モラトリアムなのである。自分の自意識が勝つのである。頭でっかちの空想論や仮想世界の主人公でいられるのである。匿名で、誹謗中傷するのと、同じである。それによって、憂さを晴らせるのである。しかし、現実は、机上の空論や仮想世界のゲームとは違うのである。人間というエゴをもった化け物集団が、自分の前に現れるのである。いままでは、自分の好き勝手なことをいったり、自分の我がままを押し通すことができる世界だったのである。山を登っていて、急に、霧が出てきて、視界が悪くなった状態なのである。組織や階級や年配の人が急に現れるのである。もちろん、外部もまた、同じ階層をもった化け物集団なのである。いままで、お山の大将でいられたのも、N数がすくなかったからであり、ある意味、過保護世界の中で生きていられたからである。そう、それはきっと、命の終焉まで続くことになるのである。最後の最後まで、つづくことになるのである。それは、それで仕方がないことである。私もどこかでエンドがくる。もうろうとなるまで、意識だけは前向きにと思っている。
私が社長になったのが、40歳である。会社を辞めたのが38歳、当然、その芽は、30歳―34歳の間で成長していたことになる。経験から言えば、30−34歳で就職や就労がきっかけで引きこもり状態になることは、その人にとって、非常にマイナスになるのである。30−34歳までが、人生の中で一番重要な時期ということになる。もう一つ言えば、充実した30−34歳を迎えるために、その前段階の28−30歳が重要だともいえるのである。社会にどうなじんだか、そのなじみ方がその人の将来を決定付けるといっても過言ではないのである。
社会の中で、重要なのは、人間関係、上下関係なのである。そして、合う合わないがあるのである。私はいい加減な人間で、言いたいことをずけずけという。私を好む人間と嫌う人間がいることは、分っている。私は八方美人は嫌いであり、私を嫌うタイプの人間にあえて媚を売りたいとは思わない。そうなると、力をつけるしか方法がないのである。人ができないことを考えて結果を出すことしか、自分の我を通すことができないのである。認められれば、勝ちなのである。引きこもるのは、若さの鼻っ柱を折られたからなのである。それで、めげたのである。今までお山の大将でいられたのが、社会という化け物に一喝されたからなのである。運が悪く、自分を嫌うタイプの人が上司になれば、人格否定まで食らうかもしれない。まず、人間関係をうまく構築できず、逆境にめげる人が多いから、自分の殻や親の元に、隠れてしまうことになるのである。とにかく、前にでて、傷つくなら、傷ついたらいいのである。倒れたら、起き上がり、決して後ろに戻らないことである。これも慣れの問題なのである。人の心の悲しみは絶対なのだが、そういって、その現状を容認しても、結局損するのは、その引きこもる本人なのである。だから、無理しても慣れなければどうしようもないのである。視覚障害者の人も、前向きに生きて、杖をついて外に出ているのである。それを見るに連れて、つらい気持ちになる。
がんばることである。引きこもる気持ちは分らないではないが、時間は確実につながっているのである。今が、明日を決め、それが、5年後、10年後、20年後、30年後をどこかで決めてしまうのである。因果律はない。運命論もない。自分で自分の運命を勝手に決めてしまうのである。自分の人生である。けっして他人の人生ではないのである。
私が社長になったのが、40歳である。会社を辞めたのが38歳、当然、その芽は、30歳―34歳の間で成長していたことになる。経験から言えば、30−34歳で就職や就労がきっかけで引きこもり状態になることは、その人にとって、非常にマイナスになるのである。30−34歳までが、人生の中で一番重要な時期ということになる。もう一つ言えば、充実した30−34歳を迎えるために、その前段階の28−30歳が重要だともいえるのである。社会にどうなじんだか、そのなじみ方がその人の将来を決定付けるといっても過言ではないのである。
社会の中で、重要なのは、人間関係、上下関係なのである。そして、合う合わないがあるのである。私はいい加減な人間で、言いたいことをずけずけという。私を好む人間と嫌う人間がいることは、分っている。私は八方美人は嫌いであり、私を嫌うタイプの人間にあえて媚を売りたいとは思わない。そうなると、力をつけるしか方法がないのである。人ができないことを考えて結果を出すことしか、自分の我を通すことができないのである。認められれば、勝ちなのである。引きこもるのは、若さの鼻っ柱を折られたからなのである。それで、めげたのである。今までお山の大将でいられたのが、社会という化け物に一喝されたからなのである。運が悪く、自分を嫌うタイプの人が上司になれば、人格否定まで食らうかもしれない。まず、人間関係をうまく構築できず、逆境にめげる人が多いから、自分の殻や親の元に、隠れてしまうことになるのである。とにかく、前にでて、傷つくなら、傷ついたらいいのである。倒れたら、起き上がり、決して後ろに戻らないことである。これも慣れの問題なのである。人の心の悲しみは絶対なのだが、そういって、その現状を容認しても、結局損するのは、その引きこもる本人なのである。だから、無理しても慣れなければどうしようもないのである。視覚障害者の人も、前向きに生きて、杖をついて外に出ているのである。それを見るに連れて、つらい気持ちになる。
がんばることである。引きこもる気持ちは分らないではないが、時間は確実につながっているのである。今が、明日を決め、それが、5年後、10年後、20年後、30年後をどこかで決めてしまうのである。因果律はない。運命論もない。自分で自分の運命を勝手に決めてしまうのである。自分の人生である。けっして他人の人生ではないのである。
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この記事へのコメント
1. Posted by
2008年02月24日 18:02
>がんばれば、誰でもなんとかなるのである。
頑張り方にもいろいろあるだろ、その上で成功も失敗もする。あんたのその言い方は失敗者に対する追い討ちでしかない。
>大切なのは、どの分野でも結果なのである。
自分は成功しましたって遠まわしに言ってないか?馬鹿にしてんの?
あと読点多すぎ。推敲していて変だと思わないの?
頑張り方にもいろいろあるだろ、その上で成功も失敗もする。あんたのその言い方は失敗者に対する追い討ちでしかない。
>大切なのは、どの分野でも結果なのである。
自分は成功しましたって遠まわしに言ってないか?馬鹿にしてんの?
あと読点多すぎ。推敲していて変だと思わないの?

