2008年03月01日
セカンドライフとは、人生後半戦、最後までどう生き抜くか
人生を80年とし、定年を65歳とすれば、そのあとどう生き抜いていくかが、今後の課題になるはずである。政府の年金政策は、いい加減で、たよりになるとは思えない。核家族化や少子化で、自分の遺体を子供が見取ってくれるとは限らない。仮に妻が後に残っても、夫が後に残っても、数十年後には、ほとんどの人が、無縁仏になるはずである。ふるさとは崩壊し、受けつく人もないため、代々、守り通してきた家は、寸断されるはずである。このままでいけば、彼岸やお盆にお墓にまいる人が減少していくのである。だれもが、無縁仏になる日がいずれ来るのである。それは、仕方がないことかもしれない。もはや、それは、避けられないこと、自分もいつか死ぬ運命だと諦めるように、そのことを、今から受け入れておいたほうがいいのである。自分の死後、自分は忘れられる。それを前提として考えて、人生の後半戦、お迎えがくるまで、どう生き抜くかを考えたほうがいいのである。そう、自分の死後、自分は多かれ少なかれ忘れられるのである。考えたらいいのである。自分を生んだ両親は2人、その両親も2人、2の階乗で祖先は増えていくのである。自分がここにいることは、膨大な人の組み合わせの結果、ここにいることになるのである。1000年前の祖先が誰なのか私には分らない。そう、時間の問題で、自分はいずれ忘れ去られるのである。
社会にでれば、人生35歳で、やっと一人前になれる。30−34歳までが、いわば、熟成期、学校をでて、29歳までが、修行の時期でもある。仮に、30歳前後で結婚すれば、人生35歳以降、二つの重石を背中に背負って生きることになる。家庭と社会である。家庭を守り、子供を大きくするために、親は、社会にでて、生活費を稼ぐのである。はっきり言って、つらいことである。子供は夜鳴きをする。病気をする。親としては、しっかりと子供の世話をしなければならない。35歳以降、一軍のマウンドにいるのである。責任が出てくる。仕事と家庭の二つの試練を受けるのである。自分よりも、子供が優先される。夢を見ることもできない。まずは、生活費である。世の父親は、理不尽な会社組織の中でも、家族を守るために、自分を抑えて生きているのである。いい会社もあれば、ふざけた会社もあれば、いい経営者もいれば、ろくでもない経営者もいるし、いい上司もいれば、傲慢であほな上司もいる。中には、社長の親族が、えばり散らしている同族会社もある。
社会にでれば、人生35歳で、やっと一人前になれる。30−34歳までが、いわば、熟成期、学校をでて、29歳までが、修行の時期でもある。仮に、30歳前後で結婚すれば、人生35歳以降、二つの重石を背中に背負って生きることになる。家庭と社会である。家庭を守り、子供を大きくするために、親は、社会にでて、生活費を稼ぐのである。はっきり言って、つらいことである。子供は夜鳴きをする。病気をする。親としては、しっかりと子供の世話をしなければならない。35歳以降、一軍のマウンドにいるのである。責任が出てくる。仕事と家庭の二つの試練を受けるのである。自分よりも、子供が優先される。夢を見ることもできない。まずは、生活費である。世の父親は、理不尽な会社組織の中でも、家族を守るために、自分を抑えて生きているのである。いい会社もあれば、ふざけた会社もあれば、いい経営者もいれば、ろくでもない経営者もいるし、いい上司もいれば、傲慢であほな上司もいる。中には、社長の親族が、えばり散らしている同族会社もある。
そう、なんとか、50歳を越えれば、こども大きくなって、手を離れてくる。大体、そのころになれば、俗にいう中間管理職になっているはずである。若いときに夢見たことも、やりたいこともある程度犠牲にして、家族をまもるために、働いてきたのである。そう、人はここからセカンドライフに入ってくるのである。50歳を過ぎたころから、そのあと、どう自分の人生を生きていくか、定年まであと15年弱残っているのである。中間管理職で終わるか、それとも、その上の世界をめざすか、人生で最大の決断と勇気と能力を問われるのである。人生は、不思議である。家庭をもち、子供をなんとか大きくさせた、一山なんとか、重たいものを両肩に背負って上り詰めた。一つの重石がすこしづつ軽くなった。それが、目標だとおもって、ここまでやってきた。しかし、人生はそう甘くはないのである。たどり着いたと思ったところが、なんと、もうひとつの出発点になっているのである。セカンドライフである。人生の経験もつんだ、いろんなことも学んだ。少し楽になるかとおもったら、目の前にもっと大きな山があるのである。どうするのか、そうここが、最大の分岐点になるのである。保身を優先して、今の地位をももりきるかである。そのためには、上にはぺこぺこし、下には、組織という名目で、威張り散らすかなのである。上には自分にとって都合のいい情報をあげ、自分にとって都合のわるい情報は、カットする。もちろん、下からの情報は、自分の手柄になるものだけ、上に報告する。そう、あと15年弱、この地位をまもりきり、あわよくば上にいったらそれはそれでいい。セカンドライフを中間管理職で終わらせるかどうかは、本人の考え方だけなのである。
それとも、家族のために、抑えていた自分の夢を実現させるように、がんばるのもひとつのセカンドライフなのである。会社であれば、さらに、ブラッシュアップをもとめ、新規なものにチャレンジする。それも、また一つのセカンドライフなのである。どうするかは、本人の意思一つなのである。35歳から50歳前後までが、一つの区切りのはずである。一番充実している時期なのである。そこでの結果が、50歳での地位やその後の方向性を決めているはずである。家族も仕事も一番きつい時期である。その一番きつい時期をどれだけきつく過ごして、自分の糧にしてきたかなのである。そこで、培われた人間性が50歳以後のセカンドライフのあり方を左右するのである。今現在進行でその時期を生きている人は、それに気づかない。森は見えても、その森を俯瞰できないからである。がんばれ、ゴールは近い。しかし、そのゴールは、新たなセカンドライフのスタート地点にもなっているのである。最後の最後、お迎えがくるまで、人生は終わらない。最後の最後まで、人生なのである。
それとも、家族のために、抑えていた自分の夢を実現させるように、がんばるのもひとつのセカンドライフなのである。会社であれば、さらに、ブラッシュアップをもとめ、新規なものにチャレンジする。それも、また一つのセカンドライフなのである。どうするかは、本人の意思一つなのである。35歳から50歳前後までが、一つの区切りのはずである。一番充実している時期なのである。そこでの結果が、50歳での地位やその後の方向性を決めているはずである。家族も仕事も一番きつい時期である。その一番きつい時期をどれだけきつく過ごして、自分の糧にしてきたかなのである。そこで、培われた人間性が50歳以後のセカンドライフのあり方を左右するのである。今現在進行でその時期を生きている人は、それに気づかない。森は見えても、その森を俯瞰できないからである。がんばれ、ゴールは近い。しかし、そのゴールは、新たなセカンドライフのスタート地点にもなっているのである。最後の最後、お迎えがくるまで、人生は終わらない。最後の最後まで、人生なのである。

