2008年05月08日
「大嫌いな学校」と卒業式で発言して自殺した12歳の少年
今の12歳は、昔の12歳と違う。自我が形成されて、(過去の記憶として残る年齢)時期が下がっている。自分を自分として外部と区別できる年齢が、確かに下がってきている。それだけ、外部からの情報が強くなっている証拠でもある。30年前、40年前の12歳であれば、まだ、子供であった。それでも、中学校の2年生ぐらいから、だんだんと思春期に入ってきたものだ。それを考えると、今の12歳は、昔の14歳ぐらいであろう。小学校6年や中学校1年の男子が公園でたむろしていて、その話を何気なく聞いていたら、かばんの中にコンドームがはいっていると自慢していた。ネットを開けば、昔、想像もできないような無修正の画像があるし、無修正のアダルトビデオなど、簡単にアクセスできてしまう。カード決算の料金を払わなくても、サンプルビデオとして、簡単に保存できてしまう。どの時代でも、ませた子供はいて、それを自慢したりする。今の小学生は、昔なら成人でしか見れなかった情報がすべて見れる時代に生きているのである。
我々、大人は、ネットのアダルトが現実ではなく、仮想だと分かる。素人と書いてあっても、人を引き寄せる言葉だとわかる。犯罪すれすれの盗撮等と書いてあっても、それはほとんどが、やらせであり、もし、やらせでなくても、事後で本人の同意を得ているはずである。あくまで、商売のツールとして、やっているのである。残念ながら、人間の性や生殖に関しては、本音と建て前を大人は使い分けている。その性の闇に関して、大人は薄暗いところをもっている。しかし、12歳の少年には、それが分からない。建て前と本音を使い分けられるほど、精神が充実などしていない。学校では、教師がもっともらしいことをいう。道徳や倫理を言わなければならない。社会生活を営む上での建て前をいい、人間の外層、対人関係での自分と他者との界面を強くすることを教えなければならない。しかし、ネットでは、人間の性が歪曲化され映像化されている。それを、教師も親もだれもが、隠れて見ている。子供はそれをどこかで気づくときがくる。
板橋区で、今年、卒業式で「大嫌いな学校」と発言し、その後、自殺した少年(12歳)は、そんな建て前と本音を使い分ける世界に絶望したのではないかと思う。この少年は、常に自殺をほのめかしていた。「もう、駄目だとおもったら、自殺する。」将来なにをしているかとの卒業文集での質問項目には、死んでいる(地獄)と書いている。この少年は、非常に強い感受性をもっていた。自殺や地獄という言葉を、普通は容易に使うことはできない。それなりの、TPOがあるからである。
そう、この少年は、学校が大嫌いだった。本音と建て前を使い分け、もっともらしくいう大人の世界が嫌いだった。それに、迎合し、それを受け入れ、背伸びをする友達も大嫌いだった。つまり、この世が嫌いだった。生きていることが、嫌だったことになる。この少年の心と直接対話するには、それなりの覚悟がいたはずであった。今の学校の先生に、その覚悟を求めても無理な話である。大学を卒業し、教職の免状をとり、研修を通して、学校の教壇にたつ。与えられたマニュアルを読み、児童心理もそれなりに読み、それなりのプロ意識をもつ。もっともらしいことをいう。確かに、体系化された文部科学省の教科書指導要領に準じて、時間を埋めていけばいいのである。職業教師であるからしかたがない。
我々、大人は、ネットのアダルトが現実ではなく、仮想だと分かる。素人と書いてあっても、人を引き寄せる言葉だとわかる。犯罪すれすれの盗撮等と書いてあっても、それはほとんどが、やらせであり、もし、やらせでなくても、事後で本人の同意を得ているはずである。あくまで、商売のツールとして、やっているのである。残念ながら、人間の性や生殖に関しては、本音と建て前を大人は使い分けている。その性の闇に関して、大人は薄暗いところをもっている。しかし、12歳の少年には、それが分からない。建て前と本音を使い分けられるほど、精神が充実などしていない。学校では、教師がもっともらしいことをいう。道徳や倫理を言わなければならない。社会生活を営む上での建て前をいい、人間の外層、対人関係での自分と他者との界面を強くすることを教えなければならない。しかし、ネットでは、人間の性が歪曲化され映像化されている。それを、教師も親もだれもが、隠れて見ている。子供はそれをどこかで気づくときがくる。
板橋区で、今年、卒業式で「大嫌いな学校」と発言し、その後、自殺した少年(12歳)は、そんな建て前と本音を使い分ける世界に絶望したのではないかと思う。この少年は、常に自殺をほのめかしていた。「もう、駄目だとおもったら、自殺する。」将来なにをしているかとの卒業文集での質問項目には、死んでいる(地獄)と書いている。この少年は、非常に強い感受性をもっていた。自殺や地獄という言葉を、普通は容易に使うことはできない。それなりの、TPOがあるからである。
そう、この少年は、学校が大嫌いだった。本音と建て前を使い分け、もっともらしくいう大人の世界が嫌いだった。それに、迎合し、それを受け入れ、背伸びをする友達も大嫌いだった。つまり、この世が嫌いだった。生きていることが、嫌だったことになる。この少年の心と直接対話するには、それなりの覚悟がいたはずであった。今の学校の先生に、その覚悟を求めても無理な話である。大学を卒業し、教職の免状をとり、研修を通して、学校の教壇にたつ。与えられたマニュアルを読み、児童心理もそれなりに読み、それなりのプロ意識をもつ。もっともらしいことをいう。確かに、体系化された文部科学省の教科書指導要領に準じて、時間を埋めていけばいいのである。職業教師であるからしかたがない。
教師も人間である。売春防止法で捕まった教師も世間ではいる。犯罪を犯した教師も世間ではいる。ネットを見れば、そんな記事はネット上に溢れている。この自殺した少年は、頭が良すぎたために、自分の中にひとつの仮想世界を作ってしまった。だれも入れない、だれも、干渉できない世界を作ってしまったのである。その中で、自分を追い込んでいった。まるで、詰め将棋をするように、一手、一手、死へのカウントダウンを心の中で数えていった。
12歳の少年が、確信犯的に「大嫌いな学校」と卒業式で発言した。「死んでお詫びをします」というメモを残しては、衝動的には自殺などしない。「死んでお詫びをします」という言葉を12歳の少年がとっさには選ばない。どこからか、死への着陸を考えていた。そして、世間ではその理由づけを捜し求める。何がこの少年を自殺へと追い込んだのかと、誰もが考える。たぶん、答えはない。
この少年には、これ以上生きることが、もう駄目の状態だったのである。何が駄目なのか、自分のエゴを守ることができないと感じたはずである。それを見抜き、その少年の中に入って、その少年のエゴと戦って、そのちっぽけさを分からせるには、それなりの人間性がいるのである。それを教師に求めることは無理である。確かに、そういう先生もいる。少年の心に入り込んで、それと真剣に立ち向かい、それを矯正できる教師もいる。残念ながら、それは、教科書指導要領のマニュアルを読んでも習得できるものでなく、あくまでも、その先生の個人的な経験によって、得られるものである。
そう、この少年は、そのような先生とたまたまめぐり合わなかっただけである。そのちょっとした事で、この少年は自殺したのである。少年はサインを出していた。それを見抜けなかったというよりも、見抜いてもそれとどう立ち向かっていけばいいか、分からなかったというのが正解かもしれない。少年と対峙できる先生が彼の前にいたら、少年は、大嫌いな学校とは言わなかったはずである。
12歳の少年が、確信犯的に「大嫌いな学校」と卒業式で発言した。「死んでお詫びをします」というメモを残しては、衝動的には自殺などしない。「死んでお詫びをします」という言葉を12歳の少年がとっさには選ばない。どこからか、死への着陸を考えていた。そして、世間ではその理由づけを捜し求める。何がこの少年を自殺へと追い込んだのかと、誰もが考える。たぶん、答えはない。
この少年には、これ以上生きることが、もう駄目の状態だったのである。何が駄目なのか、自分のエゴを守ることができないと感じたはずである。それを見抜き、その少年の中に入って、その少年のエゴと戦って、そのちっぽけさを分からせるには、それなりの人間性がいるのである。それを教師に求めることは無理である。確かに、そういう先生もいる。少年の心に入り込んで、それと真剣に立ち向かい、それを矯正できる教師もいる。残念ながら、それは、教科書指導要領のマニュアルを読んでも習得できるものでなく、あくまでも、その先生の個人的な経験によって、得られるものである。
そう、この少年は、そのような先生とたまたまめぐり合わなかっただけである。そのちょっとした事で、この少年は自殺したのである。少年はサインを出していた。それを見抜けなかったというよりも、見抜いてもそれとどう立ち向かっていけばいいか、分からなかったというのが正解かもしれない。少年と対峙できる先生が彼の前にいたら、少年は、大嫌いな学校とは言わなかったはずである。

