2008年05月13日
亀田兄弟の未来が今の亀田兄弟の姿を決める。
ひとつの場があり、そこに参加する人の数が増えれば、ひとつの商売が生まれる。直接参加する人(ボクシング関係者)もいれば、間接参加する人(ファン、興行でお金を払う人)もいる。とにかく、人の数が増えれば、そこで金が動く。ボクシングの亀田兄弟の件が連日、報道されている。協栄ジムから離脱した亀田興毅選手と大毅選手である。ボクシングという場の中で、翻弄される二人である。彼らが、生きるためには、いまは、ボクシングという場を離れたら、終わりである。亀田プロモーションを父史郎氏が作り、息子をそこに所属させ、何とかボクシングという場で、生計を立てようとしている。いづれ、引退したときは、亀田プロモーションから、芸能活動をさせようと目論んでいると分かる。そのためには、興毅選手には、二階級制覇、大毅選手にも、世界チャンピオンになってもらわないと、亀田プロモーションは困るはずである。そうしなければ、二人に価値がでないからである。そして、史郎氏は、なんとしても、今は話題を集めなければならない。そのために、色々な発言をしている。そう、息子に価値がでるまで、世間の注目を集めさせることもひとつの商品作りだからである。
亀田史郎氏が、何をいようと、何をしようと、商業活動の場では結果がすべてである。亀田親子がどんな人なのか、実際は知らない。もちろん、ボクシングの興行には興味がないから、ボクシングという場に直接、間接参加する人や集団と関わりがない。だから、亀田親子が、リングを離れた後、どのような言動をとっているのか、どのような生活をおくっているのか、分からない。ある程度は、社会人として常識ある態度と言動をしているはずである。そのある程度の具合によって、将来の亀田プロモーションの姿がきまると感じる。
人は、長いものに巻かれる。だから、亀田選手が強いうちは、彼らの周りに人と金が動くはずである。だから、今回の協栄ジムとの契約解除でも、ボクシング界から追放されたのではない。最終的にどう落ち着くか分からないが、間違いなく、何らかの形で、亀田兄弟は、リングの上に上がるからである。亀田兄弟が上がれば、ボクシングという商業活動の場に、金が回ることになり、そこの場に参加している人にそのおこぼれが入るからである。いわば、ボクシングの場もひとつの株式の場とおなじ投機の場なのである。商品として価値があるうちは、無駄に捨てたりはしない。いまでも、多額な金を亀田親子に投資しているところもある。今捨てれば、元が回収できなくなる。だから、そんな馬鹿な真似はしない。
スポーツで生計を立てている人は、その場を大切にする。野球をやっている人は、その野球という場がなくなれば、終わりである。一番おそれるのは、永久追放である。それができるのは、日本で野球の興行を仕切る組織があるからである。プロ野球のコミッションがある。そこから永久追放されれば、日本でプロ野球として生きていけない。それと同じことが、相撲でもサッカーでも、ボクシング業界でもある。亀田兄弟は、追放されていない。もちろん、追放などされない。なぜなら、亀田兄弟には、価値があるからである。興行を打つ場合の話題性があるからである。金が取れる商品だからである。
亀田史郎氏が、何をいようと、何をしようと、商業活動の場では結果がすべてである。亀田親子がどんな人なのか、実際は知らない。もちろん、ボクシングの興行には興味がないから、ボクシングという場に直接、間接参加する人や集団と関わりがない。だから、亀田親子が、リングを離れた後、どのような言動をとっているのか、どのような生活をおくっているのか、分からない。ある程度は、社会人として常識ある態度と言動をしているはずである。そのある程度の具合によって、将来の亀田プロモーションの姿がきまると感じる。
人は、長いものに巻かれる。だから、亀田選手が強いうちは、彼らの周りに人と金が動くはずである。だから、今回の協栄ジムとの契約解除でも、ボクシング界から追放されたのではない。最終的にどう落ち着くか分からないが、間違いなく、何らかの形で、亀田兄弟は、リングの上に上がるからである。亀田兄弟が上がれば、ボクシングという商業活動の場に、金が回ることになり、そこの場に参加している人にそのおこぼれが入るからである。いわば、ボクシングの場もひとつの株式の場とおなじ投機の場なのである。商品として価値があるうちは、無駄に捨てたりはしない。いまでも、多額な金を亀田親子に投資しているところもある。今捨てれば、元が回収できなくなる。だから、そんな馬鹿な真似はしない。
スポーツで生計を立てている人は、その場を大切にする。野球をやっている人は、その野球という場がなくなれば、終わりである。一番おそれるのは、永久追放である。それができるのは、日本で野球の興行を仕切る組織があるからである。プロ野球のコミッションがある。そこから永久追放されれば、日本でプロ野球として生きていけない。それと同じことが、相撲でもサッカーでも、ボクシング業界でもある。亀田兄弟は、追放されていない。もちろん、追放などされない。なぜなら、亀田兄弟には、価値があるからである。興行を打つ場合の話題性があるからである。金が取れる商品だからである。
協栄ジムとの関係も、最終的には、お金の配分でいざこざがあったと考える。協栄ジムとやりあうことは、普通はできない。それが出来たのは、亀田プロモーションの後ろに大きな力がついたことの証拠である。だから、何が何でも、亀田兄弟は強くならなくてはいけない。協栄ジムとしてもプライドがある。亀田に負けられないはずである。いづれガチンコ勝負がくる。勝っても負けても、大きなお金が動くはずである。
亀田兄弟に商品価値がある限り、つまり、勝てるとボクシングの場に参加している人たちが思っている限り、亀田プロモーションにはチャンスがある。紆余曲折があろうとも、何らかの形で、リングの上に兄弟を載せるはずである。その後、亀田選手がどうなるかは分からない。惨めに負ければ、それで終わりである。亀田兄弟には、勝つことしか、残されていない。結構つらい生き方である。
後は、結果である。10年後か15年後、亀田兄弟がどのような人生を歩んでいるかなのである。現役引退した後、どのように生きているかなのである。ボクシングの場の中で、立派に生きているなら、今の言動や行動というのが、作られたもの、見せるためのものだったということになる。もし、さびしいものだったら、今の言動や行動が、彼らの利己やエゴをむき出しにしたものとわかる。ただ、強いだけ、威勢がいいだけ、彼らのキャラがユニークというだけの価値しかなかったことになる。そうなれば、縁の切れ目が金の切れ目というドライな世界がまっている。
ボクシングの場の中でも、いや、どの業界でも、そこにはそれなりの、ルールや仁義や決まりがある。どのような場でも最終的なありさまはその人の人間性で決まるのである。表ではヒール的なことをいっても、カメラの前で悪態をついたとしても、一歩、裏に入れば、礼儀正しく温和なのが普通である。悪役のプロレスラーほど、ほんとうは、礼儀正しく温和であり人間味溢れているのである。だから、悪役が出来るのである。亀田兄弟がどっちなのかは、分からない。しかし、それは10年後か20年後になれば、分かることである。物を生産して、それで、利潤をあげるのとは、違うし、なんらかの、サービスの対価としてお金をもらうのとも違うのである。ボクシングというひとつのパフォーマンス、格闘技としての強さとしての価値、ひとそれぞれ、価値の出し方は違うはずである。亀田兄弟は、傍若無人さを売りにしている。生意気なことをいって、いきがることをひとつのパフォーマンスとしている。それでいいと、いってくれるスポンサーがいる。それを許容してくれるスポンサーがいるから、それができるのである。これから、亀田兄弟は、どうするか、勝つことができるか、亀田プロモーションの後ろについている集団にお金をまわせることができるか、それにより、ボクシング業界にもお金がまわってくれば、みんながハッピーになるはずである。
亀田兄弟の言動、亀田プロモーションの行動も、時間がたつにつれて、すこしづつ変化していくはずである。お金が入り始めれば、保身を考える。そう、亀田兄弟もひとつの大きな商業活動の場のひとつの商材なのである。
亀田兄弟に商品価値がある限り、つまり、勝てるとボクシングの場に参加している人たちが思っている限り、亀田プロモーションにはチャンスがある。紆余曲折があろうとも、何らかの形で、リングの上に兄弟を載せるはずである。その後、亀田選手がどうなるかは分からない。惨めに負ければ、それで終わりである。亀田兄弟には、勝つことしか、残されていない。結構つらい生き方である。
後は、結果である。10年後か15年後、亀田兄弟がどのような人生を歩んでいるかなのである。現役引退した後、どのように生きているかなのである。ボクシングの場の中で、立派に生きているなら、今の言動や行動というのが、作られたもの、見せるためのものだったということになる。もし、さびしいものだったら、今の言動や行動が、彼らの利己やエゴをむき出しにしたものとわかる。ただ、強いだけ、威勢がいいだけ、彼らのキャラがユニークというだけの価値しかなかったことになる。そうなれば、縁の切れ目が金の切れ目というドライな世界がまっている。
ボクシングの場の中でも、いや、どの業界でも、そこにはそれなりの、ルールや仁義や決まりがある。どのような場でも最終的なありさまはその人の人間性で決まるのである。表ではヒール的なことをいっても、カメラの前で悪態をついたとしても、一歩、裏に入れば、礼儀正しく温和なのが普通である。悪役のプロレスラーほど、ほんとうは、礼儀正しく温和であり人間味溢れているのである。だから、悪役が出来るのである。亀田兄弟がどっちなのかは、分からない。しかし、それは10年後か20年後になれば、分かることである。物を生産して、それで、利潤をあげるのとは、違うし、なんらかの、サービスの対価としてお金をもらうのとも違うのである。ボクシングというひとつのパフォーマンス、格闘技としての強さとしての価値、ひとそれぞれ、価値の出し方は違うはずである。亀田兄弟は、傍若無人さを売りにしている。生意気なことをいって、いきがることをひとつのパフォーマンスとしている。それでいいと、いってくれるスポンサーがいる。それを許容してくれるスポンサーがいるから、それができるのである。これから、亀田兄弟は、どうするか、勝つことができるか、亀田プロモーションの後ろについている集団にお金をまわせることができるか、それにより、ボクシング業界にもお金がまわってくれば、みんながハッピーになるはずである。
亀田兄弟の言動、亀田プロモーションの行動も、時間がたつにつれて、すこしづつ変化していくはずである。お金が入り始めれば、保身を考える。そう、亀田兄弟もひとつの大きな商業活動の場のひとつの商材なのである。

