2008年07月10日
テレビ業界の業績不振、予想された事、リアルタイムと視聴率がキーワード
私は、意外とテレビを見る。本も読むし、色々なものに目を通す。やることは結構あるし、この一連の美粒ブログも、大体2時間ぐらいで書き上げる。一年も続けていれば、瞬間的にどういう構造にし、どうすればいいかなど、ひらめくものだ。時間を掛ければいいものが出来るかなど、わからない。じっくりと、調べて客観的な事実を基にして何かを創作する場合、その検索する時間に労力を使ったものである。それを並べてしまえれば、後は、人間の脳が、短時間で処理してしまう。経験と柔軟性と訓練次第で、人間の脳は恐ろしい能力を示すものである。
デジタル家電の普及とインターネット(高速情報処理)が、ライフスタイルを大幅に変えたのである。私は、見たいテレビはリアルタイムではみない。必ず、ビデオにとっている。今は、ハードディスクがあるため、ハードとDVDを兼用して、同じ時間帯のものでも別々に録画できる。当然に、邪魔なコマーシャルなど、スキップさせてしまう。これが実態である。よほど、テレビコマーシャル、それ自身に人をひきつけるコンテンツがなければ、それをみない。しかし、それも数回みれば飽きてしまう。企業側からみれば、多額な金額をかけてテレビCMを流したところで、その費用対効果が見えてこない。見てもらえないのであれば、意味がない。これは何を意味しているかといえば、スポットCMの収入が落ちているのは、その費用が高い、費用対効果から見る需要と供給のバランスが崩れていることなのである。それは、テレビ業界と広告代理店との関係が崩壊していることを意味している。広告代理店は、自分たちの生き残りを掛けて、いろいろなメディアとの連携を模索する。民間のテレビ業界は、許認可性の上に成り立ち、ある程度の縛りがある。しかし、広告代理店には、その縛りがない。あくまで利益を追求する民間の営利団体である。企業側にとって、テレビに広告媒体としての価値があったのは、CMがリアルタイムで流されるからである。多くの視聴率をもつ番組の途中でながされるCMを半ば強制的に見せ付けることができたからである。視聴率とリアルタイム、それが、重要なキーワードだったのである。
テレビ業界の収入源は、広告である。金がなくなる。いい番組が作れない。予算が削られるからである。ますます、見なくなる。そして、デジタル家電の普及である。2011年の7月には、地上デジタル放送がまっている。テレビがパソコン化する。ますます、録画化が加速する。CMをスキップする機能まで、今のデジタル家電にはついている。確かに、テレビをつければ、類似した番組しかない。チャンネルを変えれば、同じ人があちこちにでている。コメンテーターも、同じ人たちである。今の時代は、直ぐにあきられてしまうのである。Aさんが、何回も出演していれば、その人が何をいうか、予想がついてしまうのである。その人に人間的な深みが感じられなければ、共鳴したいと思わないのである。共鳴がなければ、直ぐに飽きられてしまう。これが原則である。
ホリエモンがラジオ会社とテレビ会社を買収しようとした。ホリエモンは、自分の欲望(エゴ)を隠して、性急に本丸にいったために、挫折したが、もし、合法的にライフドアーを大きくし、合法的に、自分の目的を、実現するために、事業を拡大していたら、彼は、うまくいった可能性があるのである。彼が考えたことは正しい、しかし、それを実現するために行ったアクションに問題があっただけである。逆に、考えたことは正しいが、それを実現するためのトップとしての人間性が未熟だったのである。本丸を攻めるなら、外堀を埋める作業が必要だった。徳川家康が、豊臣家を崩壊させたのは、大阪城を攻めたからである。それも、冬と夏に分けて、実際の外堀の水を土で埋めて堀をなくさせたのである。その後、攻め込んだのである。
デジタル家電の普及とインターネット(高速情報処理)が、ライフスタイルを大幅に変えたのである。私は、見たいテレビはリアルタイムではみない。必ず、ビデオにとっている。今は、ハードディスクがあるため、ハードとDVDを兼用して、同じ時間帯のものでも別々に録画できる。当然に、邪魔なコマーシャルなど、スキップさせてしまう。これが実態である。よほど、テレビコマーシャル、それ自身に人をひきつけるコンテンツがなければ、それをみない。しかし、それも数回みれば飽きてしまう。企業側からみれば、多額な金額をかけてテレビCMを流したところで、その費用対効果が見えてこない。見てもらえないのであれば、意味がない。これは何を意味しているかといえば、スポットCMの収入が落ちているのは、その費用が高い、費用対効果から見る需要と供給のバランスが崩れていることなのである。それは、テレビ業界と広告代理店との関係が崩壊していることを意味している。広告代理店は、自分たちの生き残りを掛けて、いろいろなメディアとの連携を模索する。民間のテレビ業界は、許認可性の上に成り立ち、ある程度の縛りがある。しかし、広告代理店には、その縛りがない。あくまで利益を追求する民間の営利団体である。企業側にとって、テレビに広告媒体としての価値があったのは、CMがリアルタイムで流されるからである。多くの視聴率をもつ番組の途中でながされるCMを半ば強制的に見せ付けることができたからである。視聴率とリアルタイム、それが、重要なキーワードだったのである。
テレビ業界の収入源は、広告である。金がなくなる。いい番組が作れない。予算が削られるからである。ますます、見なくなる。そして、デジタル家電の普及である。2011年の7月には、地上デジタル放送がまっている。テレビがパソコン化する。ますます、録画化が加速する。CMをスキップする機能まで、今のデジタル家電にはついている。確かに、テレビをつければ、類似した番組しかない。チャンネルを変えれば、同じ人があちこちにでている。コメンテーターも、同じ人たちである。今の時代は、直ぐにあきられてしまうのである。Aさんが、何回も出演していれば、その人が何をいうか、予想がついてしまうのである。その人に人間的な深みが感じられなければ、共鳴したいと思わないのである。共鳴がなければ、直ぐに飽きられてしまう。これが原則である。
ホリエモンがラジオ会社とテレビ会社を買収しようとした。ホリエモンは、自分の欲望(エゴ)を隠して、性急に本丸にいったために、挫折したが、もし、合法的にライフドアーを大きくし、合法的に、自分の目的を、実現するために、事業を拡大していたら、彼は、うまくいった可能性があるのである。彼が考えたことは正しい、しかし、それを実現するために行ったアクションに問題があっただけである。逆に、考えたことは正しいが、それを実現するためのトップとしての人間性が未熟だったのである。本丸を攻めるなら、外堀を埋める作業が必要だった。徳川家康が、豊臣家を崩壊させたのは、大阪城を攻めたからである。それも、冬と夏に分けて、実際の外堀の水を土で埋めて堀をなくさせたのである。その後、攻め込んだのである。
世の中は多様化する。絶対的だった車とテレビは、細分化される。まして、少子高齢化、と地球温暖化が、同時にすすむ。そして、デジタル化は、どんどんすすむ。これが、時代のトレンドである。そして、日々の変動は、ライフスタイルの多様化で、不規則になる。企業の多様化、そして、広告媒体の多様化へと動く。分散するはずである。化粧品をみたらいい、これこそ、多様化の象徴である。小ロット小生産、そして、時代のトレンドを先読みした多様な商品、化粧品産業で意外と儲けているのは、実は、下請けOEM会社なのである。化粧品会社は今何をしているか、会社の哲学、思想性を模索しているのである。それが、化粧品会社のCMの基礎になっている。それがなければ、飽きられるのである。大手家電メーカーがCMでエコをうたうのは、そこに思想性を求めたからである。
ネット社会は、多様な相互作用で構成されている。正しく、WEB、くもの巣のようにネットワークが張り巡らされている。だから、コラボレーションが、意外と一目を引くのである。それが、予想された組み合わせであれば、誰も見向きもしない、それが、予想しないものであれば、それは話題性をよぶ、もし、そこに、文学性や音楽性や絵画性、つまり、芸術性があれば、人は集まるし、そこに、もっと、深い哲学性が内在されていれば、人は無意識にそれと共鳴しようとするはずである。
情報が色々なところにある。嘘と誠が混在しているのである。世の中には、客観的なものなど、何一つない。あったとしても、それに価値はない。価値を付加するのは、人間である。人が判断し、人が決断し、人が、認識するからである。人間がいるから、そこに価値が生まれるのである。だから、そこに、その人の主観は必ず入る。人が、最終的にひきつけられるのは、そこに共鳴があるからである。そこに、人間にとって重要なものがあると感じれば、それに無意識的にひきつけられるものである。視聴率が悪いのは、そのコンテンツの底に流れるものが浅はかだからである。それと、いいものでも、同じ手法を用いるため、予想が出来てしまうのである。藤沢周平さんや司馬遼太郎さんや松本清張さんの作品は、同じ手法をつかっても、いまでも、多くの人に愛されている。それは、その作家の独自の考えや哲学や人間愛があるからである。番組制作者にそれがあるかと問いかけたらいい。視聴率が落ちるのは、結果からみて、その番組を見る価値がないと、視聴者が感じるからである。芸術家の欠点は、独りよがりになる点である。視点を裏返してみることをしないからである。
これからも、テレビ業界の収益はすこしづつだが、落ちていく。何かをしなければ、間違いなく、大阪府と大阪市のようになってしまう。巨大戦艦大和が何故、沈まなければならなかったかである。それと同じ問題がテレビ業界には内在しているように感じる。
ネット社会は、多様な相互作用で構成されている。正しく、WEB、くもの巣のようにネットワークが張り巡らされている。だから、コラボレーションが、意外と一目を引くのである。それが、予想された組み合わせであれば、誰も見向きもしない、それが、予想しないものであれば、それは話題性をよぶ、もし、そこに、文学性や音楽性や絵画性、つまり、芸術性があれば、人は集まるし、そこに、もっと、深い哲学性が内在されていれば、人は無意識にそれと共鳴しようとするはずである。
情報が色々なところにある。嘘と誠が混在しているのである。世の中には、客観的なものなど、何一つない。あったとしても、それに価値はない。価値を付加するのは、人間である。人が判断し、人が決断し、人が、認識するからである。人間がいるから、そこに価値が生まれるのである。だから、そこに、その人の主観は必ず入る。人が、最終的にひきつけられるのは、そこに共鳴があるからである。そこに、人間にとって重要なものがあると感じれば、それに無意識的にひきつけられるものである。視聴率が悪いのは、そのコンテンツの底に流れるものが浅はかだからである。それと、いいものでも、同じ手法を用いるため、予想が出来てしまうのである。藤沢周平さんや司馬遼太郎さんや松本清張さんの作品は、同じ手法をつかっても、いまでも、多くの人に愛されている。それは、その作家の独自の考えや哲学や人間愛があるからである。番組制作者にそれがあるかと問いかけたらいい。視聴率が落ちるのは、結果からみて、その番組を見る価値がないと、視聴者が感じるからである。芸術家の欠点は、独りよがりになる点である。視点を裏返してみることをしないからである。
これからも、テレビ業界の収益はすこしづつだが、落ちていく。何かをしなければ、間違いなく、大阪府と大阪市のようになってしまう。巨大戦艦大和が何故、沈まなければならなかったかである。それと同じ問題がテレビ業界には内在しているように感じる。

