2008年07月17日
14歳の少年バスジャック事件、乱れた社会が若者を狂わす。
たとえ、少年の心を分析しても、何かしらの答えなど出てこない。少年の動機は、「親にしかられ、嫌がらせしてやろうと思った」という単純なものである。14歳の中学生2年の少年である。すこし、感受性がつよいだけで、ごく普通の少年である。それが、ひとつのきっかけで、このような事件に発展してしまう。実に、恐ろしい時代になったものである。少年は、この時代の中で、この時代とともに生きてきた。この少年が物心ついたときは、携帯電話は当たり前、ネットも当たり前、日本経済や世界経済も市場経済の中、弱肉強食で生きてきた。ネットを見れば、モラルは崩壊し、少年が一番、関心を強く持つ性も、公開されている。有害サイトといえ、すこし気転のある少年なら、簡単にダウンロードし、CDに焼き付けているはずである。なまなましいリアルな映像が、みえるはずであるし、盗撮などの映像も簡単に見えてしまう。小学校の高学年から、友達の間で、今、大人たちが見ているAVなどを、見ているはずである。ネットの仮想の中では、すべてが、無秩序に重なっている。美しいものも、醜いものも、汚らしいもの、隠さなければならないもの、人間と人間社会のすべてが、無秩序に乱れて重なっているのである。現実の社会の中では、動かすのが難しい、犯罪を犯すのも、現実には難しい。しかし、仮想のネット社会の中では、殺人予告も、強迫も、現実社会で出来ないことが、簡単にできるのである。
そして、この便利になった時代が、昔は出来なかったことを、意外と簡単に出来るようにしてしまうのである。もし、この14歳の少年が20年前や30年前にタイムスリップしたなら、ほぼ間違いなく、バスジャックなどしないはずであり、できなかったはずである。なぜなら、もともとの動機それ自身が抑圧されて消滅するからである。親がしかったのは、この少年が好きになった女性に近づいたからである。どんな関係かは分からない。この女性の親が、学校に相談し、学校から、その少年の親にその件で連絡したからである。少年の親がどういうふうにしかったか分からない。それが、多情多感に動く少年に、犯罪の垣根を越えさせてしまったのである。14歳である。今は、情報が過多であり、成長もはやい、今の14歳であれば、昔の16−17歳ぐらいの肉体は持っているはずである。異性に関心を持つのは当然であり、ネットを開けば、すべてが丸見えである。そして、少年は、自分を自制することが出来なくなったはずである。
自我が目覚めているため、回りの目を気にする。昔は、秘めた思いは、なかなか告白などできない。好きになっても、その思いを伝えるには、手紙を書くか、電話をするかしかない、しかし、昔は、好きな女性の家に電話をしても、親が出てきて、取り次いでもらえない。自分の思いは手紙でしか、なりたたなかった。募る思いは、実ることがなかった。そして何かの機会で、手と手、体と体が触れ合う機会があった。その手や体の感触が、恋愛のひとつのエピローグとなったはずである。それが中学生か高校生であった。募る相手を抱きしめたい、募る相手と交じり合いたい、そう願う気持ちは、昔から変わらないはずである。実らない思いや性欲は、何かの形で昇華していったのである。そして、年齢があがり、社会的にも認められ、自分の行為に責任が持てる年齢になって、初めて、性の扉は自由に開いたのである。
そして、この便利になった時代が、昔は出来なかったことを、意外と簡単に出来るようにしてしまうのである。もし、この14歳の少年が20年前や30年前にタイムスリップしたなら、ほぼ間違いなく、バスジャックなどしないはずであり、できなかったはずである。なぜなら、もともとの動機それ自身が抑圧されて消滅するからである。親がしかったのは、この少年が好きになった女性に近づいたからである。どんな関係かは分からない。この女性の親が、学校に相談し、学校から、その少年の親にその件で連絡したからである。少年の親がどういうふうにしかったか分からない。それが、多情多感に動く少年に、犯罪の垣根を越えさせてしまったのである。14歳である。今は、情報が過多であり、成長もはやい、今の14歳であれば、昔の16−17歳ぐらいの肉体は持っているはずである。異性に関心を持つのは当然であり、ネットを開けば、すべてが丸見えである。そして、少年は、自分を自制することが出来なくなったはずである。
自我が目覚めているため、回りの目を気にする。昔は、秘めた思いは、なかなか告白などできない。好きになっても、その思いを伝えるには、手紙を書くか、電話をするかしかない、しかし、昔は、好きな女性の家に電話をしても、親が出てきて、取り次いでもらえない。自分の思いは手紙でしか、なりたたなかった。募る思いは、実ることがなかった。そして何かの機会で、手と手、体と体が触れ合う機会があった。その手や体の感触が、恋愛のひとつのエピローグとなったはずである。それが中学生か高校生であった。募る相手を抱きしめたい、募る相手と交じり合いたい、そう願う気持ちは、昔から変わらないはずである。実らない思いや性欲は、何かの形で昇華していったのである。そして、年齢があがり、社会的にも認められ、自分の行為に責任が持てる年齢になって、初めて、性の扉は自由に開いたのである。
ある意味、今の若者は不幸である。ネットをみれば、自由に、何でも閲覧できる。調べたいものも、情報も、そこにはある。しかし、同時に、隠さなければならないものも、そこには、エログロに、放置されているのである。理想としていた相手のみだらな姿がそこに盗撮されてあれば、若者ははっきり言ってくるってしまう。罪悪感と好奇心と欲望の入り混じった気持ちで眺めるだろう。まさしく、すべての人がWALKING ON THE ROPE ABOVE THE STORMY SEA. (荒海に張られたロープの上を歩いている)状態である。バスジャックをした14歳の少年は、結果として、その荒海に落ちてしまったのである。親に叱責され、家をでることも、青春時代の一ページとしてはありうることである。親に仕返しようとして、すこし、騒ぎを起こすこともありえることである。この少年にとって、バスジャックすることと、通常の町で騒ぎを起こることの区別がつかなかっただけである。しかし、結果的に、大きな犯罪となってしまった。この14歳の少年に一生、その事実は、重たくのしかかる。多情多感であり、感受性が強ければ、切れやすいのも事実である。それは昔からあった話である。そう、原因はむかしからちょっとしたことなどである。人間は昔も今も変わらない。昔の少年と今の少年も本質は同じなのである。しかし、今は、少年がいる環境の場が乱れの強い力を持っているのである。磁場の中に、磁性体を置けば、磁力線の方向へ物はうごく、電場に電子を置けば、それもまた同じである。少年が強い感情を持てば、社会の乱れた強い場の力をうけて、バスジャックまで、行ってしまうのである。
なんとか、青春時代を無事に通り過ぎた人でも、今の状況であれば、この少年とおなじことをしでかす可能性はある。だれでも、もし、ひとつの偶然が強くかさなれば、大きな事件を引き起こした可能性はあったのである。それをしなかったのは、それを抑圧していたものがあったからである。教師は教師で、保身に走り、社会は市場経済の下、人の欲望を駆り立たせる。ネットの氾濫で仮想と虚飾の世界で、人の脳を麻痺させる。そして、究極は、そのエネルギーが氾濫し地球温暖化に拍車をかける。誰かが、本当にブレーキをかけなければ、ちょっとしたことで、若者は、超えてはならない壁をこえたり、本来は渡れるロープから、荒海に落ちてしまうことになる。そして、その少年は、この犯罪の事実から一生逃げられなくなる。たぶん、その両親も家族もまた同じである。この少年は誰も、怪我をさせていないし、社会を混乱させる目的などないのである。自分をしかった親に対しての報復である。それも、根っこは恋愛なのである。こういう事件は頻発する。昔では、顕在化しなかったことが、増幅され、大きな事件となる。美しい秩序がすこしでも回復されることを願うだけである。
なんとか、青春時代を無事に通り過ぎた人でも、今の状況であれば、この少年とおなじことをしでかす可能性はある。だれでも、もし、ひとつの偶然が強くかさなれば、大きな事件を引き起こした可能性はあったのである。それをしなかったのは、それを抑圧していたものがあったからである。教師は教師で、保身に走り、社会は市場経済の下、人の欲望を駆り立たせる。ネットの氾濫で仮想と虚飾の世界で、人の脳を麻痺させる。そして、究極は、そのエネルギーが氾濫し地球温暖化に拍車をかける。誰かが、本当にブレーキをかけなければ、ちょっとしたことで、若者は、超えてはならない壁をこえたり、本来は渡れるロープから、荒海に落ちてしまうことになる。そして、その少年は、この犯罪の事実から一生逃げられなくなる。たぶん、その両親も家族もまた同じである。この少年は誰も、怪我をさせていないし、社会を混乱させる目的などないのである。自分をしかった親に対しての報復である。それも、根っこは恋愛なのである。こういう事件は頻発する。昔では、顕在化しなかったことが、増幅され、大きな事件となる。美しい秩序がすこしでも回復されることを願うだけである。

