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<title>美粒ブログ</title>
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<description>このブログは私（株式会社 美粒 中野満代表取締役社長）が日々思うこと、人間の真実とは・・日本の真実とは・・はたまた現実世界の真実を様々な視点から探求するブログである。みなさんがこのブログを通して何かに気づくきっかけになれば幸いである。
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 <title>美粒ブログ</title>
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<title>イスラエルとパレスチナとの紛争は止まらない。</title>
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<description>　なぜか、分からないが、この世は、美しい方向へと流れている。醜くするのは、人間のエゴである。今、現在、イスラエルとパレスチナのガザ自治区で、激しい銃撃戦が繰り広げられている。そこにあるのは、報復の論理である。やられたら、やりかえすという激しいロジックであ...</description>
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<dc:date>2009-01-06T16:02:55+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　なぜか、分からないが、この世は、美しい方向へと流れている。醜くするのは、人間のエゴである。今、現在、イスラエルとパレスチナのガザ自治区で、激しい銃撃戦が繰り広げられている。そこにあるのは、報復の論理である。やられたら、やりかえすという激しいロジックである。その怨恨の輪廻は、先祖代々受け継がれる。イスラエル人も、パレスチナ人も、個人的に付き合えば、みんな善良な民である。困った人がいれば、助けあう。双方とも強い血縁、同胞意識がある。だから、やられたら、やりかえすというロジックが成り立つ。それをとめることができない。なぜなら、人間だからである。そして、彼らにも、神様は存在する。しかし、その神様は、違うのである。神様の言うとおりにする。双方、そういうだろう。しかし、イスラエルの民が信じるユダヤ教の神とイスラム教での神は、ちがう。細かいことはわからない。もし、同じであれば、同じ民族である。ユダヤ人とは、基本的に、ユダヤ教を信じている人が、ユダヤ人として扱われる。ユダヤ人と日本人と結婚して、子供ができた。その子供が、ユダヤ教を信奉すれば、その人は、ユダヤ人である。もちろん、強制はしない。日本人と結婚して、ユダヤ教を捨てることも可能である。その人が別な日本人と結婚し、また子供ができる。その人がユダヤ教を信じてもユダヤ人である。もともとのユダヤ人の血縁からみれば、１／４になる。しかし、ユダヤ教を信奉している以上、３／４が日本人の血縁であろうが、関係はない。<br>
<br>
　イスラエルとパレスチナの紛争の目は、限りなく深い。たぶん、これを解決することは不可能にちかい。これを生んだのが、人間の業だからである。やられたら、やりかえす。これは、あきらかに負の正義なのである。こちらが、マイナスになった。なら、相手も同じ分マイナスにならなくては、公平ではないというものである。正の正義なら、こちらが、プラスになった。だから、相手もプラスにしてあげよう。そうすれば、公平になる。しかし、負の正義のたどり着くところは、双方皆殺し、そして、だれもいなくなったということになる。<br>
<br>
　イスラエルが執拗に攻撃するのは、イスラム原理主義組織ハマスの武装部隊をたたきたいからである。ほっとけば、イスラエル憎しで、ロケット弾がイスラエルに飛んでくる。これが、こないことが確証されない限り、イスラエルは、その大元を叩くことになる。そこに、あるのは、信頼ではなく、不信感と憎悪だけである。イスラエルも、好き好んで攻撃を加えたりはしない。ハマスが絶対に攻撃しないという言質が取れない限り、攻撃は続くはずである。結局、どこかで、手打ちが起こる。イスラム国家の主導者とイスラム教の主導者があつまり、ハマスに話をつけることになる。それを望むだけである。<br>
<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51129225.html">
<title>霊とは何か、霊感とはなにか</title>
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<description>　霊という漢字を、辞書で調べると、雨と巫（巫女）を足した漢字であることが分る。神様に雨乞いをする巫女という内容である。それから、巫女、神、魂、死者、死者の魂、不思議、命、精神という意味合いに発展する。通常、霊というと、死者の魂と想像するが、霊という漢字に...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-31T18:55:12+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　霊という漢字を、辞書で調べると、雨と巫（巫女）を足した漢字であることが分る。神様に雨乞いをする巫女という内容である。それから、巫女、神、魂、死者、死者の魂、不思議、命、精神という意味合いに発展する。通常、霊というと、死者の魂と想像するが、霊という漢字には、それ以外にも、よいもの、こうごうしいものという意味もある。霊場とは、死者の霊が錯綜する恐ろしい場所ではなく、神々しいよい場所という意味である。霊峰、富士は、神聖な威厳ある山という意味で、死神に取り付かれた山ではないのである。<br>
<br>
　そう、霊とは、この命ある世界とは、別なところと交流する物や者をさすはずである。そして、霊感の強い人とは、向こうからやってくるものを感じる能力が、通常よりも、強い人をさす。だから、霊感が強いというのは、本来は、一つの感受する能力だが、この時代にとっては、これが強いことがあまりプラスに評価されることはない。逆に、変な目で見られることのほうが多い。なぜなら、人は自分の論理に合わないものを忌み嫌う傾向がある。だから、論理になじめない自分と異質な世界と交流すること、それ自体から目をそらしたいからである。<br>
<br>
　死者の霊が存在するかどうかはわからない、すくなくとも、特定の死者の霊が、特定の形で生きている人と相互交流することはない。だからといって、死者の霊が存在しないとはいえない。つまり、分らないのである。この現実の世界で起きている事柄が、人間界のロジックで納得できるものなら受け入れる。それ以外は、排除するか、分らないもの、非現実的なもの、空想的なものとし、そのロジックから、はじかれるのである。だから、死者の霊を存在できる証拠がないから、ないというのである。その証拠をつかさどる論理も、人間のあくまで主観的な判断である。つまり、考える人、観察する人がいなければ、それもなくなってしまう。人間がいようがいまいが、関係なく、世の中の絶対的な真理としての普遍性など、この世にないのである。あると絶対的に思っても、その人がいなくなれば、それ自体、意味を失ってしまう。この世から、人間がいなくなれば、それで終わりなのである。どこかで、何百億年後に、知的な生物がうまれ、その人たちが、何かのロジックを作り上げても、今の人間のロジックと同じかどうかはわからない。たぶん、違うであろう。世の中とは、基本的にそういうものだと思う。<br>
<br>
　霊とは、なにかわからないものである。我々は、普通、自分を中心にして世の中を考える。自分を現実の場のひとりとして、位置づける。そして、自分が生きている時間の中から得られる情報を基にして、自分の周りで起きる出来事を判断する。他人と比較することで、自分というものに垣根を作る。そうして、知らず知らず、自分というものが出来上がる。自分が中心である。それは当たり前であるし、それだから、生きていられるのかもしれない。しかし、自分が生きているこの世界に実態がないと仮定したら、自分が生きているのか死んでいるのか本来分らないものだとしたなら、どうなるであろうか、そう、この世が、霊であり、あの世とよばれているものが、実態があるとすればどうなるのだろうか。<br>
<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51127982.html">
<title>走ることと生きること。般若心経の空の意味。</title>
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<description>　残念ながら、人には命がある。一つ一つの物質が精巧に組み立てられ、それを纏め上げ維持していく力が、命というものである。それも限界がある。それと、なぜか分からないが、意識というものがある。それがあるから、自分と他人とを区別することができる。AさんならAさん、B...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-29T14:12:57+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　残念ながら、人には命がある。一つ一つの物質が精巧に組み立てられ、それを纏め上げ維持していく力が、命というものである。それも限界がある。それと、なぜか分からないが、意識というものがある。それがあるから、自分と他人とを区別することができる。AさんならAさん、BさんならBさんである。命というものがあり、そして、他人と自分とを区別する力、自意識がある。この二つがあって、初めて生きるということになる。<br>
<br>
　ほぼ毎日、５ｋｍ前後を走っている。何故、走るのかと聞かれたら、健康のためだと答える。意地が汚いので、食事量を制限できない。基本的に、体重は、消費と吸収のバランスの上になりたつ。食べるのであれば、消費しろということになる。だから、走っている。加齢していくと、脂肪が体についてくる。どうしても、血圧が上がってくる。消費しなければ、血圧が、私の場合、上がってくるのである。もちろん、無理な走りなどしない、平均７ｋｍ／ｈ前後ぐらいの速度であれば、足にも負担がない。別に誰かと競い合うつもりなど、毛頭ない、だから、ゆっくりと走ればいい。そうすれば、距離も自然と伸びてくる。疲れもなく１０ｋｍぐらいは軽く誰でも走れるようになる。もちろん、タバコを吸っていては、息があがって、数キロも走れないはずである。<br>
<br>
　今は、星が綺麗である。冬のオリオン星座が天空に上がっている。私は大阪の堺に住んでいるが、それでも、オリオンの三ツ星は綺麗に見える。もちろん、私の視点からみれば、みっつ、横にならんでみえるが、立体的にみれば、ばらばらである。奥行きも違うし、距離もちがう、ロケットにのって、宇宙にでれば、地球から見えるオリオン星座を識別することは出来ない。あくまでも、地球にいる私の視点からみて、オリオン星座を構成する星星はあのように私にとっては見えるだけなのである。宇宙をみていると、なぜ、宇宙があるのかと誰でもが考える。何かの目的があって存在しているはずである。そういう意識が働いて、昔の人は、神様という存在を考えた。そう、神様という存在を考えなければ、理由が分からないからである。<br>
<br>
　ふと、走っていると、もしかしたら、自分は、音楽でいう音符なのかもしれないと感じる。この人間社会の平面上に、誰かが、音符を書き、それが奏でられているような錯覚を覚える。その音符が、時間軸に対して、振動し、音楽がなる。その音楽が、私の人生なのかもしれないと、思うようになる。その波動のスピンこそ、自意識であり、その波動のスピンが終われば、自分も消えてしまうと思うようになる。だから、私が見聞きするものは、すべて幻なのかもしれない。実態があろうとなかろうと、私のスピンがとまれば、それもきえる。しかし、私が消えても、この宇宙の原理は残っている。私がこの宇宙の原理を把握できない以上、それを証明できない以上、私たちの上には誰かがいる（何かがある）と思ったほうがただしい。それは、神なのかどうか、誰も証明することはできない。だから、私が見聞きするものは、空であると判断したほうがいい。空というよりも、分からないものというのが正しい。分からないから、空としたのである。私が知っている限り、この世の実態を空と言い切ったのは、般若経しかしらない。あの有名な般若心経の親分である。<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51126489.html">
<title>１００年に一度の大不況は、１００年に一度のチャンスでもある。</title>
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<description>　日本を代表するビッグカンパニーの業績不振が目立つ。特に、景気を牽引してきた自動車産業が破綻的である。しかし、誰が考えても、車が毎年、何百万単位で売れるというのがおかしな話である。液晶テレビが、飛ぶように売れるということもない。経済は、需要と供給のバラン...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-26T18:34:51+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　日本を代表するビッグカンパニーの業績不振が目立つ。特に、景気を牽引してきた自動車産業が破綻的である。しかし、誰が考えても、車が毎年、何百万単位で売れるというのがおかしな話である。液晶テレビが、飛ぶように売れるということもない。経済は、需要と供給のバランスの上になりたっている。今までは、勝手に需要を作り上げてきただけである。そして、その作り上げた需要に対して、供給していたのである。あるいみ、押し付けでものを買い与えていたのである。それが、ある意味、サブプライムローンである。本来お金がもっていない人たちである。その人は、お金がないから、車も液晶テレビも不要である。換え買えることもない。新しい家を持つこともない。本来は、積極的な需要をもつ人たちではないのである。<br>
<br>
　巧みな投資家や、銀行は、そこに、ローンを組ませ、巨大な需要を作り出したのである。買掛金と売掛金を作ったのである。家を作りましょう、電化製品を買いましょう、ついでに、車も買いましょう、そうして、莫大な需要を勝手に創出したのである。需要があれば、供給がある。ある意味、バブルである。昔は不動産投機でのバブルだが、今度は、消費財でのバブルだったのである。だれが、演出したのかわからないが、それにより、トヨタは、空前絶後の利益をはじき出したのである。そして、どんどん、生産拠点を拡大したのである。そして、ある日、その実態のないからくりが露呈してしまった。需要はでっち上げられたもの、そして、買える範囲の需要へマーケットは落ちていったのである。ある意味、大不況と呼ばれている今の状態が、本来あるべき姿である。大不況ではなく、あるべき姿（ニュートラル）にかえったというのが正しいはずである。そして、特に、今回の大不況で大打撃を受ける日本の会社は、業績を急激に伸ばした輸出型の自動車、デジタル家電メーカーである。逆に、負け組みと呼ばれた企業は、背伸びをしなかった分、業績の落ち込みも、それほどではないはずである。もともと悪かったのが、さらに悪くなったのと、もともと良かったものが、急に悪い状態からさらに悪い状態にいったのであるから、その下降率は相当なはずである。<br>
<br>
　１００年に一度の大不況は、裏を返せば、１００年に一度のチャンスでもある。全世界で株が落ちている。すべてが相対的なので、日本だけが落ちているのであれば、問題だが、みんなが落ちているから、心配はない。それよりも、日本は、円高なのである。欧米の世界は、株安通貨安であり、日本が株安円高なのである。円が高いと輸出ができないというが、需要がないのに、輸出など出来るわけがない。その代わり、円高である。原料はものすごく安く買える。原油価格が暴落し、円が高いために、１リッター、１００円をきることになる。つい半年前までは、２００円をつけるといっていたのである。もちろん、２００円を付けると予想して、先物で商売したひとは、今は破綻しているはずである。<br>

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</item>
<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51122279.html">
<title>セカンドユース（５０代からの第二の青春）</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51122279.html</link>
<description>　人の一生は、ある意味、はかなく、短い。通勤電車でのつかの間のいねむりと同じ程度かもしれない。何もしなければ、あっというまに、お迎えがくる。男性も女性も、ふと、シリアスに自分というものを見つめなおせば、もう、自分が、絶壁近くまで、来ていることに気づくはず...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-18T14:42:31+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　人の一生は、ある意味、はかなく、短い。通勤電車でのつかの間のいねむりと同じ程度かもしれない。何もしなければ、あっというまに、お迎えがくる。男性も女性も、ふと、シリアスに自分というものを見つめなおせば、もう、自分が、絶壁近くまで、来ていることに気づくはずである。人生とはそんなものかもしれない。<br>
<br>
　仕事の関係で、若い人たちと接触する機会が多い。最近は、あまゆーずちゃんの所属する事務所の社長様とも、お付き合いがあり、芸能人がどうやって作られるか、タレントの世話がどれだけ大変か、そんな話も伺うことがある。レーベル関係のプロデューサーの人とも、懇意にさせてもらっているので、浮き沈みする芸能人が、どうやって、生き残っていくのか、そのあたりの話も伺う。いろいろと、あまゆーずちゃんとも仕事でのつながりがあるので、段々と、メジャーになっていく彼女たちを見ていると、事務所の社長さんの話ではないが、あまゆーずちゃんは、全体が１００とすると、その中の１％の以下の僥倖を得ているということである。そのレベルまで、達するのは、アーチストを目指して、その世界に飛び込んでくる人の１／１００以下だそうである。後の９９％以上の人は、陽の目を見ることなく去っていく人だそうである。このレベルまで達すると、後は、高い確率で上に行くのだそうである。そうみていると、本当に、大阪のそこらへんのお嬢さんやおねいさんが、お姫様になっていく感じである。しかし、それでも、永遠にメジャーにいることはできない。どこかで、去っていくときがある。<br>
<br>
　人は夢をもっていきる。特に若いときはそうである。１０代の終わりから、２０代の中ぐらいまでが、その夢を支えにして、生きることができる。実現しない見果てぬ夢だから、それに向かって命を懸けることに、喜びを感じ、それが生きていること、それが青春だと思うはずである。２０代の中ぐらいか最悪２７歳ぐらいで、何かしらの芽が出なければ、それは、夢に終わってしまう。絵画でも音楽でも小説でも芸能でも、個人の力量が事をある程度決める世界は、大抵、そういうことになる。そして、多くの人は、それを諦め、会社という組織の中で、生きようとする。それは、それで大切なことであり、そういう人たちで社会は構成されているのも事実である。<br>
<br>

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</item>
<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51121837.html">
<title>あまゆーず、オーガニックコットンクリスマスコンサートに寄せて</title>
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<description>　２００８年１２月２２日、産経新聞社（サンケイミュージック）主催で、あまゆーずを柱として、サンケイミュージックが支援しているアーチスト、小川千春さん、エクストさん、坂東道生さんらが出演して、オーガニックコットンクリスマスコンサートが、大阪農林会館で開かれ...</description>
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<dc:date>2008-12-17T19:55:45+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　２００８年１２月２２日、産経新聞社（サンケイミュージック）主催で、あまゆーずを柱として、サンケイミュージックが支援しているアーチスト、小川千春さん、エクストさん、坂東道生さんらが出演して、オーガニックコットンクリスマスコンサートが、大阪農林会館で開かれる。特別協賛として、日清紡、協賛として、フェニックス・シーガイヤ、常盤興産、ＳＡＮＫＥＩ　ＥＸＰＲＥＳＳ、それに、美粒（美粒化粧品）がバックアップすることになる。<br>
<br>
　我々（美粒）は、ひょんなことから、社会福祉法人　日本ライトハウスさんと知りあった。その関係で、盲導犬募金の協力をお願いされた。もちろん、断る理由もなく、快く引き受けた。あまゆーずさんが、美粒化粧品のイメージキャラとして、動いてもらっている関係で、あまゆーずさんにも、その話をすると、私たちで出来ることがあれば、といってくれた。もちろん、あまゆーずさんの音楽の活動の場も、いままでは、障害をもっているかたがたとの接点が多いため、共鳴する点があったと思う。サンケイミュージックさんも、福祉関連には、力を入れているので、快く承諾していただいた。<br>
<br>
　あまゆーずさんのポスターを作った。サンケイミュージックさんと美粒化粧品のコラボの一貫として、美粒が作り上げた超高圧乳化分散装置ＮＡＮＯ３０００ &reg;「ご老公」&reg;のマスコットの「ご老公」に口付けするあまゆーずさんの写真をポスターに使った。それを２２日、販売する予定にしている。その収益を募金箱に入れる予定である。いくら、入るかわからない。日本ライトハウスさんから、下記の盲導犬募金箱犬の親子を預かってきた。みればみるほど、リアルにみえてくる。毎日、頭をなでている。なんと、首も回る。じっと見つめていると、ほんとうに、何とかしてあげたいという思いがわいてくる。こんなブログをかけば、企業の売名行為とも受け取られないこともない。しかし、純粋にこの盲導犬募金箱犬の親子をみれば、なんとか、してあげられるものであれば、なんとかしてあげたいと思うようになる。年間に３０－４０頭前後しか、盲導犬は育たないそうである。介護犬と盲導犬とは、本質的に異なる。それは、盲導犬は、視覚障害者の光だからである。<br>
<br>
　全国で３０万人以上の視覚障害者の人が日本で暮らしている。ひとりで、杖をついて、あるくことも、いくら整備が整っている都会でも難しい。しかし、全員に盲導犬がいきわたることはなく、１０００頭弱の盲導犬しかいない。それは、一頭の犬を立派な盲導犬にするまでには、莫大な資金と時間が必要だからである。世の中が、相互補助の関係で結ばれていたらいい、もてるものが、もてざるもののために、がんばれば、相互補助の関係で、みんなが良くなる。そんな社会であればいいと思う。しかし、現実は、差別と格差があり、相互補助の関係とは程遠い。世の中には、生きたくても生きれない人もいる。働きたくても働けない人もいるし、今では、働く場所がない人もいる。<br>
<br>
　ひとり、ひとりにとって、全部をよくすることなど出来ない。ただ、可能な限り、自分に出来ることがあればしたらいいと率直に感じる。光を奪われた人にとっては、音楽は、命のはずである。そして、彼らは、それをそのまま受け取る。だから、アーチストの虚飾や虚栄は一切通用しない。空気の振動に、アーチストの魂がのって、はじめて、その思いが伝わるからである。<br>
<br>
　ほんとうに、この盲導犬募金箱犬の親子は良くできている。ずっと、みていると、本当に愛くるしくなる。だれも好き好んで障害になる人はいない。だれも好き好んで病気になるひともいない。その一方で、授かった命を捨てる人がいる。もうすこしがんばり続ければ、なんとかなるかもしれないはずである。そう、知らないうちに募金箱にお金がたまるように、人は悪意だけではない。善意もあるのである。この盲導犬募金箱犬の親子を作った人は、ほんとうに、人の善意を信じきれた人だと思う。でなければこれほど愛くるしい犬の親子などつくれないと感じる。とにかく、この盲導犬募金箱犬の親子をコンサートに連れて行く。是非、見ていただきたいと思う。<br>
<br>
<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/nano3000xp/imgs/c/b/cb966898.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/nano3000xp/imgs/c/b/cb966898-s.JPG" width="160" height="261" border="0" alt="NEWDSC01416" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
]]>
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</item>
<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51119050.html">
<title>視覚に障害をもつ人たちにとって音楽とは。</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51119050.html</link>
<description>　何気なく生きていると、何気ないことに気づかないものである。普段当たり前とおもっていることも、その当たり前が外されると、当たり前でなくなる。病気になると、健康のありがたみが分かる。ガンの告知をうけ、抗がん剤の治療に打ち勝ち、自己の免疫力が復活し、がんを克...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-12T13:57:25+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　何気なく生きていると、何気ないことに気づかないものである。普段当たり前とおもっていることも、その当たり前が外されると、当たり前でなくなる。病気になると、健康のありがたみが分かる。ガンの告知をうけ、抗がん剤の治療に打ち勝ち、自己の免疫力が復活し、がんを克服した人にとって、その死の淵をさまよった経験は、何事にも換えがたいものとなる。聴覚も視覚もともに、恵まれていれば、それが当たり前となる。それを失うことの悲しみは、当事者以外、わからない。擬似的に耳をふさいだり、目をふさいでみても、それが、恒常的なものではなければ、邪魔くさいで終わってしまう。後天的なら、失うまでの記憶があるから、その残像や残響は、心の中で、残っているはずである。もし、先天的に、聴覚や視覚が不自由であれば、それがどんなことなのか、みえるということ、聞こえるということの意味さえもわからない。<br>
<br>
　自分は、五体満足である。聴覚も視覚も、年齢とともに、段々と衰えてきているが、それでも、日常生活に不便はない。過去に生死をさまよった病気はしたが、それ以外、自分の存在を揺るがすようなことは、まだない。そして、何かの、偶然や縁で、視覚障害者の人たちと仕事関係をもつようになった。たいそうなことではないが、視覚障害者の気持ちを理解しなければならない場と遭遇する。聴覚を失うことは、音を失うことである。視覚を失うことは、光を失うことである。むかし、読んだ、ヘレンケラー女史の伝記を思い出す。確かに、どちらを失っても、苦痛に違いない。<br>
<br>
　もし、視覚が失われれば、ひとりで行動することが出来ない。人間には、感覚的なＧＰＳがあったとしても、頭の中の位置の感覚を覚えるには、それなりの修練がいる。杖を突いて、歩いて、交通機関に乗って移動している人がいる。生きるために習得した技である。視覚がないために、それを補う気という感覚が機能しているのであろう。天候や外気の状態は毎回変わる、人間が運行している交通機関だって、変化する。しかし、それを毎回、打ち勝って、目的地まで到着する。何気ないようだが、自分を視覚障害の人の立場におけば、それがどれほどすごいことがわかる。そんな光景をみるだけで、ただ、頭が下がる思いがする。そして、それの補助をしてくれるのが、盲導犬である。よく、テレビでその訓練方法等、報道されるが、視覚障害の人たちにとっては、確かに、必要な友達にはちがいない。全員に当たればいい、しかし、盲導犬を育てるのに、莫大な時間と資金がいるのもまた事実である。なかなか、難しい問題である。<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51118525.html">
<title>大不況の中での就職活動、学生は１０年先をみて勉強したほうがいい。</title>
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<description>　今、起きている現象が、異常だと考えてはいけない。これは、あるべき方向へ動いているだけである。今の状況、多くの人がなにかの形で関るこの状況の中で、これはある意味、必然の結果だと考えたほうがいい。水は高いところから低いところにおちるのと同じ状態である。なぜ...</description>
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<dc:date>2008-12-11T13:48:21+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　今、起きている現象が、異常だと考えてはいけない。これは、あるべき方向へ動いているだけである。今の状況、多くの人がなにかの形で関るこの状況の中で、これはある意味、必然の結果だと考えたほうがいい。水は高いところから低いところにおちるのと同じ状態である。なぜなら、仮想空間のゲームが好きな人ならわかるだろう、ひとり、ふたりなら、それぞれの意思を関らせることができる。ゲームの参加者が少なければ、ひとりひとりのエゴや意思は全体のゲームの中に反映される。しかし、ゲームの参加者が膨大になれば、ひとり、ひとりの意思は希釈され、一人一人の意思とは関係なく、大きなうねりの流れができてしまうことに気づくはずである。このIT革命、グローバルネット化は、世界を一つの通販組織に仕上げたのである。したがって、現実にリアルタイムに現れる現象こそ、より多くの人の意思であると考えても良い。大不況になるのは、需要がないからである。行き過ぎた供給は十分だといっているのである。世界の多くの人が、このまま市場経済が膨張し続ければ、世界の終わりだと感じたから、ブレーキが掛るのである。<br>
<br>
　よく、テレビで、通販の番組が流れる。化粧品から調理器具、健康器具、電化製品まである。ある大手の通販の化粧品の舞台裏を見たことがあるが、これこそ、まさに、中心極限定理の典型的なものだと感じたのである。まさしく、N数、参加者が膨大になれば、その参加者の意思は、正規分布に近づくというものである。こんなもの、誰が買うのだろうか、だれもこんなものなど、買う人がいないとおもっていても、番組終了後に、確かに、電話がなりだすのである。まさしく、今の世界の現状はこれとおなじ状態になっている。これが、あるから、テレビの民放局は、視聴率が気になるのである。多くの人がテレビを見れば、当然にある確率でコマーシャルをみる。N数がそれだけ大きくなる。それだけ、購買者が増えると同時に、N数が多ければ、多いほど、購買者の数は正規分布にちかづくのである。これは、マーケットからみれば、次の戦略が立てやすし、生産在庫の管理まで、反映される。ある程度、これが成り立つのは、ひとつの閉鎖した共通項があるからである。日本というマーケットの中で、動いているからである。<br>
<br>
　ソニーやトヨタが大幅な人員整理に追い込まれている。なぜか、世界のマーケットと勝負している企業だからである。名前は日本の会社だが、実態は、外資系の企業とかわらない。世界の多くの意思に左右される状態である。業績がわるいのは、もう、ソニーやトヨタが売っている商品は不要だといっているのである。デフレーションのスパイラルだけならいいのだが、従来の延長線上の商品は、いらないといっているといってもいい。今と同じ家電製品なら、今と同じ車なら、いらないと世界の意思がそう判断しているのである。それは、何を意味するか、トヨタがいらないのなら、ホンダもいらないし、日産もいらないと同じことである。ソニーがいらないのなら、パナソニックもシャープもいらないといっているのである。Ｎ数が大きくなれば、トヨタの個性もホンダの個性も希釈され、マクロ的な車というものに集約される。ガソリンで走る車は、戦前から変化がない、だから、ガソリン車はいらない。ハイブリットも、ガソリン車に電池とモーターをくっつけ、その分、コストを上げただけの車という認識である。ハイブリット車がふえても、地球温暖化阻止にはならない。車が走るたびに、ＣＯ２を取り入れ、酸素を吐き出すような、光合成のような車があれば、我先に車を買うことになる。<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51117992.html">
<title>プロセスエコロジーとプロダクトエコロジー（ハイブリット車をガソリン車以下でつくれ）</title>
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<description>　連日、トヨタ自動車の減益のニュースが飛び交い、パートやアルバイト等の臨時工員の期間更新打ち切り等のニュースも、歳末の世知辛さに余計拍車をかけている。トヨタのおひざもとの市町村の法人税も億単位のお金が減収になるとも報道されている。トヨタ、ホンダ、マツダ、...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-10T14:36:29+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　連日、トヨタ自動車の減益のニュースが飛び交い、パートやアルバイト等の臨時工員の期間更新打ち切り等のニュースも、歳末の世知辛さに余計拍車をかけている。トヨタのおひざもとの市町村の法人税も億単位のお金が減収になるとも報道されている。トヨタ、ホンダ、マツダ、三菱、日産、それぞれにそれぞれの自動車会社の城下町がある。営業不振であれば、その街に入る予定の法人税も大幅に減ることになる。それを当てにして来期の予算を組んでいるところは大変である。<br>
<br>
　世の中、右肩あがりなどありえるわけがない。毎年毎年、車が増産されることそれ自体がバブルに近いものがある。今の車は、１０万キロはしっても、びくともしない。ある程度の整備を繰り返し行っていれば、１０年以上は確実に乗れる。外見にしても、１０年前の車と今の車も大差がない。そういうデザインかと思えば、１０年前の車が今の新車といっても、そういうものかで終わってしまう。違うのは、デザインと電装品等で、基本的なエンジン回りや周動部など、専門的には進歩しているが、一般の人には、その品質の差を差別化できるものをもっていない。つまり、同じものとしか認識できないのである。車も、PCもデジタル家電もあるところまで行き着いたのである。後は、何か、価格しか差別化できないのである。<br>
<br>
　カローラとプリウスは、ほぼ同じ部品を使っている。ただ、プリウスは、カローラにバッテリーとモーターが搭載されている車とほぼ考えてもいい。もちろん、その分、価格はプリウスの方が高い。大体、一番上位機種のカローラの１．５倍強ぐらいの価格がプリウスと考えても良い。大体、収益計算は、率で決めているので、カローラとプリウスが同じ利益率を確保すれば、プリウスの方がコストは高くならざるを得ない。しかし、カローラとプリウスが同じ価格で販売したなら、利益はプリウスの方が６６％減ることになる。しかし、同じ価格で倍売れれば、その方が儲かることになる。車がでることは、それに付随するメンテ費、部品費も増大することになるからである。<br>
<br>
　もし、プリウスをカローラ以下で販売するという戦略を、エコロジーという大義名分をもって、行えば、生産は増えるはずであるし、工員も今のまま確保できるし、看板方式をとっている自動車会社であれば、下請けの会社も助かり、タクシーや飲食店にもお金がまわるからすべてが助かるはずである。逆に、その人たちに金がまわれば、ほとんどの人がプリウスに乗り換えるはずである。<br>
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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51117331.html">
<title>自民党崩壊、新党結成しての政権交代こそ、最大の景気対策</title>
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<description>　昨年の７月の参議院選挙の結末から、自民党の今日の凋落は、ある程度予想はできた。参議院側での国政調査権という心理的な揺さぶりが、官僚体制に楔を打ち込んだ。それ以来、自民党の長期政権の重石の中にふさがれていた、ある意味官僚組織の悪行三昧がつぎつぎと露呈しだ...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-09T10:40:55+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　昨年の７月の参議院選挙の結末から、自民党の今日の凋落は、ある程度予想はできた。参議院側での国政調査権という心理的な揺さぶりが、官僚体制に楔を打ち込んだ。それ以来、自民党の長期政権の重石の中にふさがれていた、ある意味官僚組織の悪行三昧がつぎつぎと露呈しだした。年金のずさんさ、天下りと利権との癒着構造、色んな行政の分野での失態があぶりだされた。過去の失態の穴埋めのための穴埋め、まるで、横領の発覚を隠す事務員のように、入ってきたお金をそれに充当し、また、新たなお金をそれに充当する。そんなことが、長く続くわけがない。それと同じように、自民党政治の終末を感じる。<br>
<br>
　麻生首相の支持率がみるみる下がっている。誰が考えても、あれだけの有言不実行さをみたら、支持する人が減るのは当然である。やるといって、それだけである。言葉だけである。早くやるといっても、補正予算も組まない。景気が悪化するのを、手をこまねいてみているといわれても、それに対する抗弁もない。安部元総理、福田前総理と同じ状態になってしまった。やりたいことが出来ないのである。なぜなら、そこに、民意がないからである。もともと、安部元首相のあの言葉がすべての発端なのである。この参議院選挙は、小沢民主党を選ぶか、自民党を選ぶかの政権選択の選挙だといったのが、事の始まりなのである。それから、この不安定な状態は、収束されていないのである。後で、自民党の人が、参議院選挙は政権選択の選挙ではないといっても、後の祭りである。時の総理大臣が民衆の前に言った言葉なのである。それで、自民党は負けたのである。<br>
<br>
　だから、民主党の言っているほうが、説得力があるのである。ある意味、筋が通っている。何故、福田前総理は、突然の辞任をしたかは、支持率が低下し、福田前首相では、衆議院選挙が勝てないと思ったからである。だから、麻生首相に換えたのである。そこまでは、自民党としては、苦戦の状態での最善手を打ったはずである。勝てるかどうかはわからないが、ある程度のぎりぎりの選挙ができたはずである。しかし、解散をしなかった。ギリギリの選択だったはずである。解散を打つ直前に、世論調査がでたのである。誰が考えても、負けると分かったからである。<br>
<br>
　そう、もはや首をすえかえることは出来ない。自民党は、まるで、旧日本軍と同じ様相を示しだしたのである。玉砕か、降参か、の選択肢しか残っていないようである。玉砕は、年明け早々に解散総選挙を行い、民主党に政権を渡したあと、政界再編を行う。降参は、自民党をつぶすことである。それは、内部崩壊し、派閥やグループごとの新党を結成するというものである。選挙を先に延ばすことは、もはや、自民党は勝てないというよりも、ひとりひとりの大物政治家さえも、危ないということになる。自民党が勝てないというよりも、自分も政治家としていられない。それは、何を意味するかは、次の政界再編に、参加する資格が得られないことになる。<br>
<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51116882.html">
<title>将来の社会の大変革期における人の生死感、生死の価値観</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51116882.html</link>
<description>　子供のとき、人生は長いと感じていた。しかし、気づいてみると、だんだんと、終末が見えてくる。６０歳でなくなれば、まだお若いのにという言葉がお悔やみで返ってくる。９０歳でなくなれば、大往生という言葉が返ってきそうである。だいたい、７０歳ぐらいを過ぎてなくな...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-08T13:44:41+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　子供のとき、人生は長いと感じていた。しかし、気づいてみると、だんだんと、終末が見えてくる。６０歳でなくなれば、まだお若いのにという言葉がお悔やみで返ってくる。９０歳でなくなれば、大往生という言葉が返ってきそうである。だいたい、７０歳ぐらいを過ぎてなくなれば、お悔やみは受けられるが、それも数回忌を過ぎてしまえれば、誰でも、そんなものかで終わってしまう。遠い先のことだと、思っていても、それは確実にそれはやってくる。若いときに、自殺を考えて、未遂で終わった人も、齢には勝てず、平均的に８０歳ぐらいでは、亡くなってしまう。少子高齢化と後期医療制度で、長寿する意味合いが、生きている人に感じられなくなるため、長寿しようとする意思がうせていくはずである。そうなると、だんだんと、平均寿命が短くなるのは当然である。<br>
<br>
　たぶん、お迎えは、自然にやってくる。視点を自分に合わせれば、寝ているときと同じはずである。そのまま、醒めずに、消滅する感じである。だから、これはどうすることも出来ない。そうなると、自己の絶対性も消えてなくなる。たぶん、これが、事実に近いことであるが、それでは、誰でもが不安になってしまう。だから、本当に、自分の死期が近づいたときに、人は、自分の意識をきっていくのである。だんだんと、自分の意識を弱めていく作業をする。だから、自分では自分の死期を予言することはできないのである。自分が誰であるか分からない、記憶が飛んでいく。外部から見て、そういうふうに見えれば、段々と、消滅しかけていくことになる。視点が自分では、それは分からない。分かる自分を分からなくしているわけであるから、それが分かるわけがない。<br>
<br>
　人の命は、尊い。しかし、不慮の事故で、人の命は、あっけなく終わってしまう。自然災害の前では、人間は無能であり無残でもある。防ぎようがない。どうすることもできない。それが、生死の本質でもある。よく言われることだが、墓場までお金は持っていけないということである。逆に、不慮の事故で、何も迷うことはなく、あっけなくもっていかれるほうが幸せのようにも感じる。その一瞬まで、強欲に生きて、他人のことなど、考えず、自分の保身や栄華のために、生きている。そして、何もわからず、あの世へもっていかれる。考える一瞬もあたえず、そのまま、あの世へ旅立つ。ある意味、幸せなことかもしれない。<br>
<br>
　昔から、人は地獄ということを教え込まれた。天国と地獄という概念である。生前に善行をつめば、天国にいき、生前に蛮行や悪行を行えば、地獄へ落ちるというものである。地獄ということであれば、鎌倉時代に書かれた源信和尚の往生要集をみれば、そのすさまじい想像力に恐れ入るばかりである。しかし、それ以後も、人間は蛮行を繰り返している。そういう人が今でもいるのは確かである。たしかに、人によって、生きる価値、つまり、何のために生きているかの指標は、人によって違うのも事実である。その答えは百人百様であり、絶対的な正解など誰も決められないことだろう。<br>

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<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51115112.html">
<title>大不況は、仮想空間の見えざる神が作ったもの。</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51115112.html</link>
<description>　車を運転していると、突然、大渋滞にぶつかる。事故があって、前方が通行止めになっているのなら、なるほどと分かる。しかし、それがなく、取り立てて、そうなる理由もなく、渋滞にぶつかる時がある。昔、名神高速の京都の天王山トンネルの付近で、慢性的な渋滞が発生した...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-05T10:37:27+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　車を運転していると、突然、大渋滞にぶつかる。事故があって、前方が通行止めになっているのなら、なるほどと分かる。しかし、それがなく、取り立てて、そうなる理由もなく、渋滞にぶつかる時がある。昔、名神高速の京都の天王山トンネルの付近で、慢性的な渋滞が発生した。原因をさぐると、トンネル入り口付近で多くの人が、ブレーキを踏んで減速するからだそうである。地形的に、そうせざるを得ないようなものがあったのかもしれない。一台踏むと、連鎖的に、それが段々と後方へ伝播される、それが渋滞を発生させたものらしい。複々線、天王山のトンネルを上下一本つくったら、その渋滞もなくなった。それと同じように、世界の多くの人々が、アメリカのサブプライムローン問題をきっかけにし、時代の流れにブレーキを踏んだのである。ある程度、マーケット筋では、中国五輪が済めば、中国でのバブルが収束するから、景気にブレーキが掛ると思っていた。それが、ひとつの心理である。もうひとつ要因は、忍び寄る地球温暖化による生態系の崩壊の危機感である。規制もなく秩序もなく無制限に市場経済を膨張させれば、近いうちに地球は崩壊するという危機の裏返しでもある。そして、もう一つの要因は、光や無線による高速ネットワーク、グローバル化である。それは、多くの人々が不特定多数の意思の上に、地球のあり方を裁定させたのと同じ事になる。もう、マクロ的なものは、特定の意思では動かない状態になった。巨大な不特定多数の意思の結果、確率論的に今の在り様が決定付けられる仕組みになってしまったのである。まさしく、高速道路を走る車と同じ状態が、今の経済と同じなのである。<br>
<br>
　ひとりひとりの意思ではうごかない。しかし、それが巨大になれば、あきらかに、一つの正規分布をもつ、ひとつの意思が発生するのである。それが、神様である。今、人間が作り上げた見えざる神が、仮想空間に現れたのである。それが、全世界の一つの意思として経済活動の場に現れたのである。だから、アメリカ一国のエゴでは、動かないし、先進国の意思でも動かない。巨大台風と同じ、高速道路における渋滞と同じ、もはや何をやってもどうすることもできない状態になったのである。ある意味、待つしかないのである。渋滞を早く解消しようとすれば、警察官が来て、割り込もうとする人を整列さして、規制するのが、一番早いはずである。人間のエゴで、むちゃくちゃにするのが一番悪いのである。ラッシュ時の東京駅で、誰かが刃物を振りかざしてわめけば、大パニックになり、そのあおりで、新幹線に遅れがでて、ダイヤが乱れるというはなしと同じなのである。<br>
<br>
　経済は、需要と供給とのバランスである。需要は、ある意味、購買心理でもある。これ以上の発展はいらないと多くの人が考えれば、それ以上の高性能のパソコンやデジカメはいらないのである。それよりも、エコロジーを推進しろといえば、根本的な動力や電力にメスを入れなければならないのである。社会のインフラを地球温暖化阻止にむかうように、整備しなおせという声がつよければ、そちらに舵を切る方向にむかうはずである。もちろん、方向をかえるには、一日で出来るわけがない。慣性の法則が働くからである。しかし、それも高速道路の渋滞と同じように、あるところから、車は流れ出すのである。<br>

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</item>
<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51114034.html">
<title>個人の一生における協調性（協和性）と独自性（不協和性）、宗教の必然性</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51114034.html</link>
<description>　ある程度、人間というものをやって、世知辛い世の中を歩いてくると、段々と、世の中のありようが見えてくる。もちろん、私と接触し、作用を起こした人も多くいるし、相手から作用を受けて、己の生きる航路も変更を余儀なくされたこともある。しかし、それも、一度の人生で...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-03T11:22:15+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　ある程度、人間というものをやって、世知辛い世の中を歩いてくると、段々と、世の中のありようが見えてくる。もちろん、私と接触し、作用を起こした人も多くいるし、相手から作用を受けて、己の生きる航路も変更を余儀なくされたこともある。しかし、それも、一度の人生である。一期一会の人生だと、割り切れれば、そんなものかなで終わってしまう。世の中は、なぜか交じり合うものと、交じり合わないものとで、成り立っている。電気的に言えば、ブラス極とマイナス極である。易経的に言えば、陰陽である。人間的に言えば、男と女である。神話的にいっても、陰陽が交わり、新たな命（神）が創生されることになる。そして、終わりも、陽が、陰にもどり、そこに光が生じて、陰陽が消滅して、空となるのである。概ね、素粒子の創生と消滅の原理と合致する。世の中は、なぜか、そういうふうになっているのか、そういうふうに、人間には見えるのかはわからないが、とにかく、そういうものらしい。<br>
<br>
　戦後、欧米の考え方が教育現場に入ってきた。もちろん、欧米には、キリスト教の文化が数千年受け継がれている。生まれて物心ついたときから、そういう環境で育てば、そういうものかと思ってしまう。個性を大事にしなさい。自由ですよ。隣人を愛しなさい。博愛主義である。大切なことである。そして、言葉では理解するが、どうしても、感覚的に理解できないのは、キリスト教的な神のありようなのである。神様の視点から見れば、人間は罪な存在である。そこに、あきらかに、不協和性があるのである。だから、神の教えに従えば、そこに協和が得られ、安寧がありますよというものである。それで、いいのなら、それはそれでいい。それが宗教というものである。それを、たんにそういうものであることとして教育の現場でそれを教えたのである。それとは、何か、それとは、協調性なのである。ある意味、人としての理想を教えたのである。だから、日本は戦後栄えたのである。逆なのである。欧米には、協調性はない、独自性である。神の世界にいったあと、協調が得られるのである。だから、人間は罪な存在なのである。罪とは、独自性なのである。だから日本に、人間が罪なる存在だという意識はない。欧米人も、その文化基盤が弱い環境で育てば、別な協調性を求めたがる。多くの欧米人が、禅や密教に憧れるのは、そういう心理である。<br>
<br>
　基本的に、どのような宗教も、構図は、協和と不協和との構図である。自分があること、自分を認知できる者は、外部と識別される自分を意識できる存在である。だから、自分が存在できる。独自性である。しかし、分からないことがある。自分の外の世界はわからないのである。自分は不安定なものである。永遠の命などない。いつか、終わりがくる。どんなに栄華をほこっていようと、どんなに権力や財力があろうと、人には終わりがくる。どんな人でも、必ず、死の不安や生存の不安はあるのである。ある意味、それを紛らわせるために生きているといっても過言ではない。だから、人は協調性に憧れをもつのである。協調性に美しさをもとめるのである。だから、みんなといっしょに、歌を歌うのはたのしいはずであるし、みんなと一緒に踊るのもたのしいはずであるし、みんなと時を忘れて何かをすることは、基本的に楽しいはずである。それが、生きること、つまり、協調性を求めることに他ならないのである。ある意味、協調性の世界から自分が分離され、独自性を付加され、そして協調性ある世界へと回帰する、それが、個人の一生でもある。だから、若いときは、だれでも独自性をもつ、俺は違うんだ、俺は偉いんだ、いつも、俺、俺、俺という意識をもつ。ある意味、当然なのである。しかし、社会はある程度の協調性を人に要求する。そのバランスが感覚的にわからないと、その人は痛い目にあうことになる。「社会を、世間をなめたらあかんよ」という言葉になるのである。<br>
<br>

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</item>
<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51113547.html">
<title>性能UPでコストダウンのエコでなければ、経済は動かない。</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51113547.html</link>
<description>　歴史はどうやら繰り返すようである。その歴史とは、江戸時代の一揆に近いものである。どうやら、経済は負のスパイラルに入ったようである。先行きへの不安心理が、経済にブレーキをかけるからである。これは、政治の閉塞感につながってくる。消費がないから、ものが作らな...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-02T13:15:19+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　歴史はどうやら繰り返すようである。その歴史とは、江戸時代の一揆に近いものである。どうやら、経済は負のスパイラルに入ったようである。先行きへの不安心理が、経済にブレーキをかけるからである。これは、政治の閉塞感につながってくる。消費がないから、ものが作らない、ものが作らないから、下請けに仕事がこない。そうすれば、金が回らなくなる。金が回らなければ、倒れるだけである。負の連鎖が生じる。そのために、かつては公共事業がカンフルとして機能した。しかし、いままで時計まわりに動いていた大きな歯車がとまり、逆向きに動きだそうとしているのである。そうなれば、これを止める手段はない。世界全体で、何かを作り出そうと（消費）する方向へ動かないと、お金は回ってこない。このような閉塞感はむかしにもあった。そのとき、人類は、消費する方向へ舵をきった。それが、戦争である。ある意味、物と人が消費されるのが戦争である。作ったものが焦土となり、人も同じように焦土となる。残念ながら、現代はそれができなくなった。それが未曾有の大不況になった。この６３年間は、ある意味、プラスの方向である。戦後復興から、IT革命と、世界は６３年間で、特にこの２０年間で、とんでもなく発展したのである。これが飽和したのである。そう、今までは戦争を繰り返した。それまでの価値をすべて否定し、ゼロにしたのである。ある意味、借金の棒引き、資産や債権の放棄である。バランスシートを無理やりに０にあわしたのである。リセットである。勝った国も負けた国も相当な痛手をうけて戦後復興したのである。それが一つの共同の幻想となり、それによりお金が回ったのである。<br>
<br>
　今は、戦争もできないし、エネルギーを無駄にすることもできない。地球全体がひとつの鎖国になったのである。しかし、物は消費されなければならない。しかし、その消費の代わりに、温室効果ガスは排出してはいけないという縛りがついた。なぜなら、温暖化防止に反するからである。そう、この大不況を生み出しているのは、実は、人間なのである。地球温暖化に対する恐怖が、消費を止めたからである。圧倒的なN数をもつ不特定多数が、このままでは良くないと思ったから、消費がとまったのである。ある意味、まともなことである。従来の手法はもう使えない、圧倒的なN数をもつ不特定多数が、それを望んだのである。だから、何をやっても、動くわけがない。それを動かす起爆剤が、エコしかないのである。エコロジー運動で、経済を動かすしかないはずである。消費させるには、物を消費させることで、エコにつながることを認知させなければならないからである。政府も定額な給付金などやめて、エコ商品、エコ動力推進に対する補助を推し進めたほうがいいはずである。<br>
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</item>
<item rdf:about="http://beryu.livedoor.biz/archives/51112951.html">
<title>初代新幹線「０系」がなくなってもまだ「１００系」がある。</title>
<link>http://beryu.livedoor.biz/archives/51112951.html</link>
<description>　東海道新幹線も、０系、１００系、３００系、５００系、７００系、N７００系と６種類の車種が走っている。そのなかで、昭和３９年の開業以来のモデル０系が、１１月３０日で、最終定期運転から、姿を消すことになった。後は、臨時便として、運転することだけだろう。仕事が...</description>
<dc:creator>nano3000xp</dc:creator>
<dc:date>2008-12-01T13:20:23+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[　東海道新幹線も、０系、１００系、３００系、５００系、７００系、N７００系と６種類の車種が走っている。そのなかで、昭和３９年の開業以来のモデル０系が、１１月３０日で、最終定期運転から、姿を消すことになった。後は、臨時便として、運転することだけだろう。仕事がら、新幹線はよく利用する。だから、０系でも、内部座席の変化は、時代の流れとともに、記憶に残っている。最初は灰色と背もたれがブルーの２列３列で、座席方向も、押して倒すものであった。今の快速や新快速のリクライニングがついていないものと同じである。そして、リクライニングの要望があり、あの不評のオレンジの座席が登場したのである。二列側は、回転させることができた。しかし、３列側は、回転させるためには、１００系と同じくらいの前後の座席空間が必要だったのである。それがないため、とんでもない方法をとったのである。固定である。簡易リクライニングはできるが、椅子の方向が固定だったのである。なんと、前と後ろ側が、逆なのである。３列の後半は、後ろ向きになったのである。そして、時代が豊かになり、１９８５年から１９９２年にかけて、先端がまるからとがった形で、２階建ての１００系が登場したのである。そして、座席間も、９８ｃｍから１０４ｃｍになり、３列シートをやっと回転できるようにしたのである。０系と１００系は、基本的に同じ発想で作られたものである。新幹線は、初めての高速定常運行である。あたりまえだが、運行していくと、色々なところに不具合が見つかる。０系での問題点を次の１００系である程度、解消していったのである。だから、０系で培われた技術は、まちがいなく、１００系に移行されたのである。しかし、０－１００系と、それ以降の３００系―N700系は、あきらかに、設計が異なる。今では当たり前の東京―大阪２時間３０分の高速化に、１００系の技術では対応できなくなったのである。高速性、と耐久性と安全性と費用対効果性、矛盾する問題を対処するには、０－１００系では、限界が来たのである。<br>
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　新幹線から、完全に食堂車が消えたのは、３００系からである。０系新幹線は、まさしく、昭和の高度成長を支えた団塊の世代を象徴するものである。しかし、昭和の火が、完全に消えるのは、実は１００系新幹線が消えるときなのである。０系新幹線は、戦後の復興の延長線にある機種である。そして、日本が世界で一番とうかれ上がっていたときに作られたのが、それを受け継いだ、１００系である。逆に言えば、今の新幹線よりも、豪華な電車なのである。食堂車、ビッフェ、二階建て車両、２階がグリーンであれば、一階は２列２列の普通車、そして、個室付き車両、特に、グランドひかりのグリーン車は、今の国際線のビジネスクラス並みの座席装備が施されていたのである。<br>
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